山下 真司。 【山下真司】の息子は死去していた!?結婚した嫁や経歴&現在もまとめ!

【山下真司】の息子は死去していた!?結婚した嫁や経歴&現在もまとめ!

山下 真司

35年経った今もなお熱い支持を集めるこのドラマは、校内暴力が吹き荒れる高校の弱小ラグビー部が、ある一人の教師が赴任して来てから数年で全国優勝を果たすまでの軌跡を描いたもの。 京都市立伏見工業高等学校ラグビー部とその監督で元日本代表フランカーの山口良治先生をモデルにしたノンフィクション小説をもとにしたフィクションドラマである。 山下さんはモデルとなった実在の山口先生に迷惑をかけてはいけないと、当時はいつもジャケットにワイシャツ、ネクタイを着用し、先生の格好で外出していたという。 スポーツはもともと大好きだったというがラグビーは未経験。 何よりも教師の役が来たということに驚いたという。 「ラグビーは全くやったことがなかったですからね。 タイトルバックでいきなり楕円形のボールを蹴らされたんだけど、10数回蹴って成功したのは2、3回。 タックルもやりましたけど、相手はからだのデカい外国人だったから怖かったですよ。 真冬の川に飛び込んだりしていたからね。 あれもフィルム撮影だったんですよ。 1日100カットとか撮影していました。 スタジオが中河原(東京都府中市)で遠かったから俺は自分で車を運転して通っていたんだけど、家から1時間ぐらいかかったんですよ。 朝7時ぐらいに家を出て8時に入って、8時半か9時に撮影が始まる。 それで終わるのが早くて5時か6時。 ナイトシーンの撮影があると、夜中12時を超えちゃう。 それで毎日、走ったりしゃべったり泣いたりでしょう? 撮影が終わるとまた車を自分で運転して帰ってましたからね。 若かったなぁと思って(笑)。 今だったらとても考えられないですよ」 -ほぼ毎日撮影ですか?- 「毎日。 最初の1カ月は日曜日が撮影休みだったんですよ。 それでいつも弁当ばっかりだから、おいしい居酒屋さんとかに行っていたんだけど、1カ月ぐらいしたらもう疲れちゃって、休みの日は家のなかでぐったりしているという状態になっていましたね。 それでも撮影の合間には、生徒役のみんなと一緒に相撲とったりしていましたよ。 あれは何なんだろうね(笑)。 勢いというか、コミュニケーションを取りたいっていうか、士気を上げるというのかな。 最近よく使われる言葉だけど『ONE TEAM』だからね。 グランドを結構転々として撮影していたんですけれども、土の上ですから。 俺なんかはちょこちょこっとしかラグビーのシーンはなかったけど、生徒役の役者たちは結構大変だったと思う。 芝生だと転んでも痛くないけど、土ですから本当にハードな撮影でしたね」 -セリフも膨大でしたし、泣くシーンも多かったですね- 「すごかったですよ。 あれこそ、ちゃんとセリフを入れておかないと芝居ができないじゃないですか。 それプラス泣かなければいけないので、最初は苦労しました。 こんなに毎回泣くのかって思いましたけど、不思議なことに後半は、涙を抑えるのが大変で。 今見ても胸が熱くなりますね- 「そうでしょう? 109対0で惨敗した後、賢治が泣きながら部員全員を殴るシーンがあったことは大きいですよね。 山口先生は部員全員を殴ったみたいだけど、そのあと全員のタックルを受けたそうです。 魂と魂、人間と人間が真正面から向き合っている。 これを一概に体罰だ、暴力だとは言えないと思うんですよね。 多少批判されたとしてもからだを張って、生徒と一緒に汗をかいたり、一緒に泣いたりする教師が必要なんじゃないかと思いますけど、今の時代は難しいのでしょうね」 -2019年はラグビー人気がすごかったですね- 「そうですね。 だから僕の役のモデルとなった山口先生ともつながっているんです。 田中さんは全然僕にそんなことを話してくれなかったから知らなかったんだけどね。 ベスト8に入ったというのは大きい。 やっぱりスコットランドとかに勝ったのが大きかったですよ。 南アフリカには残念ながら負けたけど、その南アフリカが優勝しましたから。 でも、4年前は南アフリカに勝ったんだからね。 そんなドラマチックな展開が今回もあって、それでリーチ・マイケルが、みんなをひとつにまとめあげてね。 なんか結構熱くなりました。 本当にタフな連中です。 山下さんは命を狙われる暴力団組長役。 松村さんは組長を支える若頭を演じている。 ヤクザだからラグビーは関係ないんだけど、ラグビーボールを使うことにして松村から俺にパスさせたり、そういうちょっとした遊び心がありましたね。 あれは御殿場で別荘を借りて撮影していたんですよ。 毎日深夜の2時か3時ぐらいまでかかって。 ある日、雨が降るなか、スタッフは外で撮影をしていたんだけど、午前1時頃まだ撮影が残っていたから2階の部屋で横になっていたんですよ。 そうしたらドアをノックして雄基が入ってきて、『何やってるんですか。 スタッフは表で雨のなか撮影をしているのに、横になっていていいんですか?』って言うから、『すみません』って謝ったの。 年齢は一回り向こうが下なんだけど、同期みたいなものだからね。 同じB型でウサギ年なのに、向こうはものすごくきっちりしているから。 初めてのシーンは、彼が校長室に入ってきてお母さんのことを心配して暴れるんだけど、僕にいさめられて涙するところだったの。 それできれいな涙を流したから、『これはちょっと、こいつにはかなわないなあ』って思った。 大映のスターだったし、スタッフにもものすごい信頼されていたから、これはちょっとやばいやつが入ってきたなみたいな感じで。 それでかっこいい役でしたしね。 本当は全然不良じゃないのに、不良でおいしい役って言えばおいしい役ですよ。 人望も厚くてしっかりしているんだよね。 俺みたいないい加減な感じがなくてさ(笑)。 いつもワイシャツにネクタイ、ジャケット。 おかげで遊びにも行けませんでしたね。 4年もやったけど『くいしん坊!万才』のときも遊べなかった。 モデルのときは遊び回っていましたからね(笑)」 -『くいしん坊!万才』のときに怒られたことがあったとか- 「初めてロケに行ったとき、ちょっと外に飲みに行って、隣に座った女の子に話しかけたんですよ。 そのことがすぐにスタッフにバレてしまって、『お前、夜の食いしん坊になったらダメだぞ!』って言われて、次の週から助監督がホテルの部屋に入るまでずっと付いていて離れないんですよ。 だから全く遊べなかった。 変な意味も含めてね(笑)」 -『くいしん坊!万才』の撮影はいかがでした?- 「食べてそれをコメントしなければいけないわけだから、大変な仕事を受けちゃったなぁって思いましたよ。 でも地方に行くと、田舎の人と一緒に撮影できるから、それがすごい楽しいというか。 本当においしいときはコメントがバーッと出てくるんだけど、おいしくないときはあまり出てこない。 だから恋愛と一緒だなぁと思って。 気の合う人とだと会話が続くけど、ダメだなぁと思うと黙っちゃうじゃないですか。 そんな感じ(笑)」 -『くいしん坊!万才』には昨年亡くなられたさんも出演されていましたね。 梅宮さんは『くいしん坊!万才』のロケには漬物とか包丁を必ず携帯して、朝の4時か5時に起きて皆さんの朝食を作っていたみたいですよ。 本当に料理がお好きだったんでしょうね」 -色々なお仕事をされてらっしゃいますね。 『男女7人秋物語』(TBS系)もありました- 「どちらかというと、それまで2の線の役だったのに、あれは初めて3の線だったんですよね。 だから結構楽しいのは楽しかったんだけど、地方ロケに行ったときに田舎の高校生が俺を見つけて『高木はポイント低いっペ』てバカにされてね。 その時点でもう辞めたかったんだけど、テレビを見ていると、みんなそう思っちゃうんだね、子どもは特に」 -色々な役を演じていらっしゃいますが、俳優としてはどんなふうに?- 「あまりこだわりはないですね。 やっぱり2の線をやっていると3の線がやりたくなるし、3をやってると2がやりたくなるっていう、ないものねだりっていうかね。 『東大王』とともに、ちょっと漢字も読めるようになって、ジムなんかに行っても、同年代の人とかに『すごい頑張っている姿を見ると勇気がもらえる』みたいな話を結構聞くんですよ。 だから認知されたってことと、逃げないで努力をすれば必ず世の中って認めてくれるんだということを、身を持って体験させてもらいました。 それでやっぱり良い方向に転がると、全てが周りもいい形になっていく。 毎日勉強するのは大変ですけど、セリフ覚えるのと一緒だから、そういう感覚で。 カミさんは『かわいそう』とか言いますけどね」 -猛勉強されているからですか?- 「そう。 それで僕はリビングで漢字の勉強をするんですよ。 マッサージチェアとかで。 そうするとテレビとか大きい音で見られないじゃないですか。 だからカミさんは二階に行ってひとりで見たりしていて、一緒に遊ぶ時間が少なくなっちゃったので、カミさんはちょっと寂しいかもしれないけど喜んでいますよ。 それでよくテストするんだけど、結構難読漢字を読むんだよね。 『わかる?』とかって聞くと、『ちょっと今忙しいから後にして』っとかって言われるんですけど(笑)」 -どのようにして勉強されているのですか?- 「検定の本が2冊と、あと単行本のような本が5冊くらい。 昨日も2本撮りだったから、朝4時に起きて2時間くらい勉強して行ったの。 そうしたらそれが全然出なくて、昔勉強したやつが出てね。 それを覚えていたから答えられたんだけど、俺も自分で『すげえな』って思った(笑)」 -正解率がすごい高いですよね- 「70何%だって。 俺は漢字だけだけどね。 この1月は大活躍していますよ。 それでちょっと自慢したらヒロミさんに、『自慢しちゃだめですよ』って怒られちゃった(笑)。 ヒロミさんもそうだけど、すごいいじられるんですよね、俺。 プロデューサーまでいじってくるから。 昨日も収録が終わって飲んでいたらヒロミさんが来て、『山下さんはきょうで東大王終わりだね』って言うんですよ。 『本当なの?』って聞くと、『プロデューサーに聞いてよ』って。 それでプロデューサーに聞くと、『それもう言ってました?じゃあもう終わりですね』って、そんなことを言うんですよ。 なんかそういうのを気にしているところがあるんですよ。 そこをいじるんですよ。 ヒロミさんもよくからかってくる。 気がちっちゃいというのが読まれているから、からかいやすいんじゃないですか」 『東大王』の収録は2本撮り。 最初は1本だけの出演という感じだったのが、難読漢字が読めるようになるに従ってレギュラーのようになったという。 『東大王』に出るようになって小学生ぐらいの子どもたちに声をかけられることも多くなったと話す。 「この間も小学6年生に『山下さん』って声をかけられて、『何で俺のことを知ってるの?』って聞いたら、『東大王を見ています』って言ってました。 子どもが話しかけてくるんですよ。 すごいうれしくてね。 『俺の名前知ってるの?』って聞いたら、『友だちがこの近くで山下がよく歩いているって言ってた』って。 だから『お前ダメだ、何呼び捨てにしてるんだ。 2020年も仕事と難読漢字の勉強で忙しい毎日になりそう。 (津島令子).

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【山下真司】の息子は死去していた!?結婚した嫁や経歴&現在もまとめ!

山下 真司

もくじ• 1975年に文学座の研究所に入所して、卒業後は劇団 NLTに入団。 1979年にテレビドラマ「太陽にほえろ」のスニーカー刑事に抜擢されて、知名度が大幅に上昇。 1983年の「天国のキッス」で映画初出演。 以降も数多くの作品に出演しており、テレビドラマの代表作は「男女 7人秋物語」や「春日局」、「ケータイ刑事銭形シリーズ」など。 タレントとしても活動しており、「くいしん坊!万歳」や「いつでも笑みを!」などの番組に出演。 7歳年上の一般人と結婚しており、妻の連れ子は俳優の森部達也( 2008年に逝去) 学歴~出身中学校・高校の詳細 スポンサードリンク 出身高校:山口県 下関商業高校 偏差値 49(やや容易) 山下真司さんの出身校は、市立の共学校の下関商業高校です。 同校は 1884年開校の伝統校で、硬式野球部は甲子園で優勝経験もある古豪です。 山下さんは 下関市立生野小学校から 下関市立生野向洋中学校を経て、同校に進学しています。 子供の頃から運動神経が万能で、高校時代も長身を活かしてバレーボール部に入部して活躍しています。 また当時から端正なマスクで女子にモテており、学校では目立つ存在でした。 学歴~出身大学の詳細 出身大学: 中央大学 商学部(中退) 偏差値 55(中の上) 山下真司さんは高校卒業後は、中央大学に進学しています。 大学在学中に俳優を志しており、時期は不明ですが大学は中退しています。 以降は六本木のクラブでアルバイトをしながら、文学座の俳優養成所などで演技を学びました。 そして当初は劇団に所属して舞台を中心に活動していましたが、 28歳の時に「太陽にほえろ」に抜擢されて、広く顔を知られるようになります。 以降は数多くの作品に出演して、人気俳優の地位も築きました。 またタレントとしても人気も高いことから、末永い活躍を期待したいところです。 スポンサードリンク ここまでお読みいただきありがとうございました。 ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。 また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。 なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。 このところ当サイトのページが警告音とともに「 Windowsセキュリティシステムが破損しています」とのページに切り替わることが稀にあります。 このような表示はすべて詐欺なので、「更新」や「続行」、「こちらをクリック」などのボタンは絶対に押さないでください。 万が一、そのような表示が現れた場合にはページをいったん閉じてから再開してください(クリックさえしなければ実害はありません)。 なお当サイトはグーグル社提供の広告ユニットを使用していますが、そのような詐欺広告はグーグル社のチェックをかいくぐって表示されています。 現状では当サイトでブロックすることができないことをご了承ください(いずれグーグル社に対策されると思われます).

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山下真司の妻の画像は?息子(子供)の自殺の原因は?今現在の生活も気になる

山下 真司

俳優では生計をたてるのが難しいと考え、まずは高身長とルックスをいかしてモデルとして活動を始めることに。 「劇団に入っちゃうと、他のバイトをしなきゃいけないでしょう?それはちょっとつらいなと思って、モデルを始めたらうまくいっちゃったから、『これはいいなあ』と思って(笑)」 -かなり売れっ子だったそうですね- 「まぁまぁね。 トップにはなれなかったけど。 あの頃は草刈正雄さんがトップだったから、2番手ぐらいの感じ。 でも、色々な雑誌の表紙を飾ったり、ファッションショーとか、ありとあらゆるカタログに出たりしていました。 だから多いときは月収100万円近く稼いでいましたね。 毎日きれいな女の子がくるし、そこそこ裕福だったから、ほとんど毎日のようにディスコとかに遊びに行っていました。 だから、あまりやめたくないという思いもあったけど、何か心のなかに物足りなさもあったし、いつまでもこれは続かないなぁと思って。 だったら役者にトライしようと思って、意外と遅かったんだけど、25歳のときに文学座を受けたら受かったんです。 文学座に落ちたらもうやめようと思っていたんですよ。 落ちたらもうしょうがないなあと思って」 -そして『太陽にほえろ!』のオーディションに?- 「そう。 文学座に受かって1年研究生でいて、『太陽にほえろ』のオーディション。 2回オーディションがあって、最初は北海道の撮影に合流してのテスト。 朝5時半起きなのに、スタッフは活動屋さん(映画製作に携わる人)だから『来い!』みたいな感じで1時か2時くらいまで飲んで、10人くらい一緒の部屋に放り込まれて。 モデルをやっているときには、ロケに行くと必ず個室だったのが、10人部屋だから、酒のにおいはすごいし、いびきと歯ぎしり、寝言で全然寝られなくて、2時間ぐらい寝て5時ごろ起きて行って、7時か8時ぐらいにはオーディション」 -2回目のオーディションは?- 「2週間ぐらい経って、今度はちょっとセリフの多い役が来て、竜雷太さんと一緒にいる新人刑事役。 それが最終オーディションだったみたいなんですよね」 -ご自身では次の新人刑事に決まる自信はありました?- 「全くないですよ。 何人か候補がいるって聞いていたし、モデルやってチャラチャラしていた俺はもうダメだなって。 文学座に入ったのも『太陽にほえろ!』に出たいと思ったからなんです。 当時は新人のスターの登竜門でしたからね。 ショーケンさんと優作さんが築いた道というか。 石原裕次郎さんも出ているし。 視聴率もすごい良かったから出たいなぁと思って文学座に入ったわけですよ」 -新人刑事役に決まったと知らされたときはどうでした?- 「両親にすごい恩返しができたなあと思った。 俺はおやじが50歳のときの子どもだから、両親がもう高齢だったんですよ。 おやじが70いくつで、田舎に帰ってきて欲しいみたいなことをよく言っていたんだけど、それを振り切って東京に行ったんですよね。 山口県出身。 モデルとして活動後、文学座の研修生となり、1979年、『太陽にほえろ!』にスニーカー刑事(五代潤)役でレギュラー出演。 クイズ番組『東大王』では驚異の難読漢字正解率で話題を集めている。 しかし、四苦八苦の日々が… 新人スターの登竜門で俳優を目指す誰もが熱望していた『太陽にほえろ!』の新人刑事役に抜てきされた山下さん。 しかし、撮影現場は想像をはるかに超える厳しさだったという。 「チャラチャラしていたのが、いきなりきつい体育会系の世界に放り込まれたみたいな感じでしたから、慣れるのに相当大変でしたね。 ちょっと甘く見ていたというか」 -でも文学座で研修を受けていきなり『太陽にほえろ!』の新人刑事というのはすごいですよね- 「もうそれは本当にえらいことになったなぁと思いました。 うれしさは本当につかの間で、実際に入ってみたら、こんな大変な世界があるのかなって。 2年近くやったんですけれども、ほんとに雨が降ったらうれしかったですもん。 撮影がお休みになるので。 雨が降ると『やったー』と思っていました。 それぐらい結構つらかったですね」 -結構苦労されたのですね?- 「結構なんてもんじゃない。 本当に最初の1、2カ月は肩がカチカチになるし、フィルム撮影だったんですよね。 NGを出すとフィルムがパーになってしまうので、カメラマンとスタッフがものすごい嫌うんですよ。 だからセリフは完璧に覚えてないといけない。 『100回読んでこい』ってよく言われました。 スタジオにはボス(石原裕次郎)以外は台本を持ち込めなかったんですよ。 だから裏でチェックして。 『太陽にほえろ!』で鍛えられたから、俺はNGをいまだにあまり出さないですね。 しっかり覚えるという癖がついているから」 -共演者の皆さんもそうそうたるメンバーですしね- 「人数が多いでしょう?みんなの顔に当たるライトをさえぎるわけにいかないから立ち位置とかに注意しないといけないんだけど、ど素人だからそれが大変でね。 モデルだと自分がメインだから自分にライトを当ててくれるんだけど、7人もいると立ち位置とか動きも全部、チェックしないといけない。 撮影はボスが出ているシーンをまず撮って終わって、お偉いさん順にだんだんと終わっていくんですよ。 最後に残されるのは新人で、夜12時とか1時を過ぎるじゃないですか。 そうするとだんだんとスタッフも機嫌悪くなってきて、『お前何やってるんだ?』みたいな感じで(笑)。 だからもう緊張に始まってホッとする間もなく、次の日が来るという感じでしたけど、それでも朝は走っていましたよ。 30分ぐらいジョギングして、それから行ってましたからね。 若かったんだね(笑)」 -石原裕次郎さんはどんな方でした?- 「すごい貫禄でした。 やっぱり銀幕のスターと言うのは背負ってるものが違うんでしょうね。 40代というとまだ若いじゃないですか。 だけど、若さというよりも貫禄を感じましたからね。 周りのスタッフの接し方も全然違っていて、スペシャルだったんですよね。 ボスは1週に2本撮りするんですよ。 だから2本分を1日で撮るので、毎週お会いできるわけではなかったんだけど、いらっしゃるときは朝あいさつに行くじゃないですか。 そうすると、『お前、名前は何ていうの?』って言うから『山下真司です。 よろしくおねがいします』って言うんだけど、毎回なんですよ。 だから、からかってるんだなって思って。 それで、『今日のストーリーはどうなってるんだ?俺台本読んでないから説明してくれ』って言うんですよ。 それで俺がストーリーを話すんだけど、あれは俺がちゃんと頭に台本が入っているかどうかチェックしていたんでしょうね、きっと。 台本を読んでないって言うけど、ボスだけは台本を七曲署(撮影現場)に持ち込めたんですよ。 それで引き出しのなかによく台本を入れていたんですけど、見てみたら結構赤線が引いてあって。 だからちゃんと読んでるんですよね」 -ほかの皆さんは台本を持ち込めず- 「持ち込めない。 だからそれだけで厳しいじゃないですか。 それでNGを出すと機嫌悪くなるから(笑)。 それはもうやっぱり肩は凝るし心臓がバクバクするし。 優作さんは別格だったみたい。 優作さんは亡くなる前の後半の演技と『太陽にほえろ!』の演技を比較してもあまり変わらないですからね。 だからやっぱりすごいなぁと思って。 もう亡くなってしまいましたけど、ボスと優作さんは本当にすごいですよね」 -優作さんとお会いになったことは?- 「国立競技場にジムがあって、そこで1回だけ会ったんですよ。 撮影ではもうずいぶん早くに卒業されていたので一緒になることはなかったんだけど、出身が同じ下関なんですよね。 だからあいさつをしたら、『おーっ』ていう感じで。 「刑事役じゃないですか。 だから今まで遊んでいたところにもいけなくなってしまいました。 モデルのときは誰も知らないから結構遊びに行っていたんですけどね。 一度、ロケで鹿児島に行ったときに一人で遊びに行ったんですよ。 東京じゃ遊べないので、遊びに行ったっていうか、フラフラして飲みにね。 それで部屋に帰ったらプロデューサーから電話がかかってきて、『どこに行っていたの?』って言うから、『ちょっと遊びに』って言ったら、『お前何考えてるんだ?太陽にほえろという会社に入っているんだから、勝手に行動するな』って言うんですよ。 だから『夜は自由じゃないですか?』ってひとこと言ったら、『お前そういう口答えをするんだったら、みんなの前で土下座して謝らせるぞ』って言われましたからね。 それで結局、飲み会は先輩の前に正座して泣くまで帰してくれないみたいな感じで、ちょっとしたもうパワハラですよ。 飲んでも酔わない。 俺は泣かなかったから最後まで帰してもらえなかった。 朝4時とか5時まで飲んで、それで7時にはもう撮影。 朝早いので、夜12時ごろ寝ていると、電話がかかってきて『来い!』って言われて、それがドラマの世界という感じでしたね」 -飲みに行かないとどうなるんですか?- 「行かなかったらどうなるんだろうって思って、1回行かなかったんですよ。 そうしたらカメラマンが酔っ払ってドアをバンて開けて、履いていたスリッパを投げつけてきましたからね。 『何やってるんだ、お前は。 来い!』って(笑)。 今とは違ってそんな世界でしたね。 だから、ロケに行くと毎日午前3時、4時、5時まで飲んで、よくあれで次の日走れたなあって思いますよ」 -アクションシーンもかなりありましたけど、ケガなどは?- 「しましたよ。 路地で犯人を追いかけて、狭いところでカメラを飛び越えてジャンプして着地したときに、バキッて音がしたんですよ。 それで折れたのかなって思ったら捻挫(ねんざ)」 -捻挫でもそんな音がするんですか?- 「したんですよ。 でも、1日休んだだけで固定して撮影。 だって休めないでしょう?出ているわけだから。 勘弁してくれない、全然。 今でも覚えているけど、アクションシーンも、本当に危ないときは吹き替えの人がやってくれたんだけど、4階建てのビルから1m50cmくらい離れたビルにジャンプして飛ばさせられましたからね。 下から撮ってるんですよ。 落ちたら死ぬじゃないですか」 -下から撮っているということは、マットは?- 「もちろんない。 カメラが下から撮ってるんだもん。 股ぐらしか映っていないのに、自分でやらされましたからね。 『落ちたら死ぬぜ』みたいなのが結構ありましたよ」 -今の時代にはありえないほど過酷でしたね- 「過酷でしたよ。 でも面白かったのはカースタント。 結構バーッと飛ばして、自分でできるじゃない。 今でも覚えてるんだけど、飛ばしすぎてスピンしてガードレールにぶつかったなんてこともあったけど、カースタントは面白かったなあ」 -約2年間スニーカー刑事をやられて、卒業することになるわけですけど、そのときはいかがでした?- 「寂しさが半分。 2年間毎日ですから、やっと肩の荷がおりたなみたいな安堵(あんど)感と、『当分刑事役はいいな』みたいな生意気な感じになっていました。 (津島令子).

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