モーツァルト 40番 名盤。 「クラシックはみんな同じに聞こえる」、という方に。モーツァルト:「交響曲第40番」と「第39番」

モーツァルト交響曲39番 名盤聞き比べ(CD比較)

モーツァルト 40番 名盤

モーツァルトの最高傑作? / 交響曲第40番ト短調 K. 550 取り上げる CD 26枚:コレギウム・アウレウム/ホグウッド/ガーディナー/ピノック/コープマン/インマゼール/テル・リンデン/ノリントン /マッケラス/ヤーコプス/ブリュッヘン/ヘレヴェッヘ/アーノンクール/A・フィッシャー/ワルター /カラヤン'59, '70, '77 /ベームBPO, VPO /マリナー /ケルテス /スイトナー/クーベリック/ブロムシュテット/レヴァイン ピリオド奏法について 古典派の交響曲、特にモーツァルトとなると、古楽器による演奏と従来までのモダ ン楽器によるものとの差が大き く、あるいはハイドンやベートーヴェンのそれよりも気になることが多い気がします。 どうしてなのか理由を考えて みたのですが、まずモーツァルトの曲は優美なメロディーに期待するところ大なわけです。 優美というと歌うように 滑らかなスラーとなる。 ところがなぜか古楽奏法ではスラーを嫌がるところがあり、一続きの音符のお尻を長く延ば さずにプツっと切る。 時にはスタッカートになるのです。 これは、いわゆる「ロマン派の垢を落とす」必要性から考 えられた戦略のようです。 緩徐楽章でのテンポが速い傾向も同じ理由でしょう。 ロマン派というのは自己の感情を表 に出し、どうかするとそれに酔うことだと考えられてきたわけですから、自己陶酔的に聞こえる表現は御法度なの でしょう。 もう一つは、モーツァルトのような古典派の様式美を持った楽曲というものは、今までは誰がやってもテンポの速 い遅いはあるにせよ、演奏表現上それほど大き く異なる余地がなかったということもあるかもしれません。 40番 など特にそうですが、楽曲が完成され過ぎているとも言えます。 例えばロマン派の大家であるフルトヴェングラーの ような指揮者がベートーヴェ ン やそれ以降の曲のように、大きく波打たせて途中から神がかって走って行くような熱い演奏をしようにも、どうもそういう余地はない(引き締まって均整の取れ た演奏をしています)。 でも今までと何か違った演奏をしてみせたい、新しいものを出したいという要求は常にある わけ です。 そこへ来て古楽器のブームというのは好都合だったのではないか、ということです。 それで学究的な理由を味 方につけて極端なものが出て来た。 でもこの夢見心地の呼吸を禁じるような古楽の演奏マナーは誰が言い出したこ となのでしょうか。 古楽器演奏初期のコレギウム・アウレウム合奏団などは概ね走らず、リラックスしていてどうし てもテヌートを避けるという感じではありませんでした。 スラー(レガート)とテヌートを一緒にしてもいけないで しょうが、ともかく滑らかに歌うことを禁じて歯切れ良くダイナミックに行くという傾向はありませんでした。 では誰からそうなってきたのか。 これも時代の 一つの流行ですから、誰の発案というより集合的に捉えた方が良いのでしょうが、どうもアーノンクール氏あたりが 関係しているのではないかと思えてきます。 ニコラウス・アーノンクールは大変才能豊かで、年齢とともにゆったり とした味わい深い演奏をするようになってきたドイツーオーストリアの指揮者で私も大変好きです。 レクイエムな ど、再録音の方は旧盤よりもエキセントリックではなくなり、同曲の一、二を争う名演だと思います。 しかしモー ツァルトのシンフォニーに関してはどうやら新しい録音が出ても穏やかにはならず、若々しいというのか、独特の歯 切れ良い音を聞かせ、至る所に工夫を盛り込んだ意欲的な演奏をしています。 知と情のバランスが取れているながら 大変頭が良い人ですから、モーツァルトの管弦楽に関してはどうしても譲れない考えがあるのでしょう。 特にティン パニの扱いは勇ましいもので、第39番の出だしなど、ロマン派以降の伝統的な演奏では控え目に叩かれるところで も驚くような鋭い音を立てます。 そしてこの天才が打ち出した古典派の新たな解釈は他のピリオド 奏法の演奏家たちにも影響を与え、大なり小なりその呪縛?から逃れられないようです。 フレーズの切れ目で音を 切って行く方法は今や誰しもが実践しています。 それも記符法の意味を追求した結果なのかもしれませんが、モー ツァルトの時代に皆がそうしていたのかどうか、ある いはピリオド奏法自体が歴史的に正しい演奏を求めるムーブメントであるのかないのか、知識のない私にはわかりま せん。 さて、今までは古楽器による演奏やピリオド奏法を、モダン・オーケストラによる演奏と分けて表記することはし てきませんでした。 しかし上記の理由から、ここでは便宜的に一応分けて記そうと思います。 曲について モーツァルトのシンフォニーの名作と言えば、35番から41番までの後期の作品ということに なっている、という言い方で良いのでしょうか。 その中でも最も有名なのが40番でしょう。 表題付きのものは「ハフ ナー(35番)」「リンツ(36番)」「プラハ(38番)」「ジュピター(41番)」とあり、後期以外では「パリ (31番)」というのもありますが、それらを差し置いて有名な40番はいかに出来が良いかを示しているかのようで す。 珍しく短調の曲で、同じ調性の25番は映画「アマデウス」でもテーマ曲になりましたが、40番 の方は クラシック以外でも色々アレンジされたり歌われたり、コマーシャルに使われたりで、そのメロ ディは誰でも聞いたことがあると思います。 モーツァルトの最高傑作と言われます。 突然この曲の第四楽章が頭の 中で鳴って百貨店に駆け込み、レコードを聞いたが、もう感動は環って来なかった、と書いたのは近代日本の文芸批評の 先駆者と言われ、好きな人は熱烈な信者、嫌いな人は異常な熱をもって酷評する 小林秀雄ですが 、この人の文は確かにこの時 代独特の空気感を漂わせているようにも思います。 なんと言うのでしょう、 自己陶酔と自己顕示の間で揺 れ動き、 主観と対象の境界を取り払って 心象風景を外側に探すような物言いはデルゥジオンだと言い たくなるのもわかります。 でもご本人の弁によると 、このト短調のシンフォニイは本当に頭の中で「聞こえた」 のだそうです。 疾走するゴダール映画もなんだかよくわからない私に裁く資格はありませんが、 文科省の教科書で取り上げら れ、受験で正誤を問われる愚はあるでしょう。 ただ、「モオツァルトのかなしさは疾走する。 涙は追いつけ ない」というのは言い得て妙な気がします。 作曲は1788年、死の3年前で、モーツァルトは貧窮していたと言われ、誰の依頼もなく書き上げたとされます。 編 成があまり大きくなくてトランペットとティンパニが入らないのはありがたいです。 クラリネットの入らない初稿版で演 奏されることもありますが、一般的には入る方が多いです。 古楽器の楽団ではチェンバロを加える場合もあります。 いず れにしても、どこから見ても隙がなく、やはり モーツァルト最高傑作の一つでしょう。 70年代のことです。 後にレオンハル ト、アーノンクール、ブリュッヘンといった古楽の名手たちが知名度を上げると同時にフェードアウトして行きまし た。 ビブラートとモダン・ボウ(弓)を用いるという批判もあったようです。 しかしフランツヨーゼフ・マイヤーを コンサートマスターとして指揮者を置かないその演奏は常に自発性と喜びに満ちており、残響のきれいなフッガー城 「糸杉の間」の録音と相まって今でも魅力を放っています。 40番は1972年の録音です。 第一楽章はゆったりと始まり、独特の残響が心地良いです。 慌てることのないリ ラックスした充実感が味わえます。 滑らかなスラーでつないでいるわけではないですが、後のピリオド奏法に共通に 聞かれる、一拍を短く切って行く歯切れ良さは追求していません。 モダンに近いマナーでガット弦を響かせる心地良 い音で、繰り返しは行っているようです。 自然さが何よりの魅力です。 第二楽章は最初のチェロからよく歌います。 編成はそこそこ大きいだろうにまるで室内楽のようで、個々の奏者の ノリがそのまま感じられます。 テンポはモダン演奏の標準というのか、ゆったりとしていて決して速くはないです。 この楽団はドイツ系の人々で成り立っていますが、リズムを律儀にカクカクと刻んで行くようなところはなく、自然 な歌が心地良いです。 リラックスしていて、はかなさを感じさせるような感情移入があるという感じではありませ ん。 第三楽章はゆっくりと大股で歩くようです。 こういう癖のないピリオド楽器によるリズムはもう聞けないでしょ う。 第四楽章は一転して速いテンポになります。 しかし充実した緊張感はあるものの、切羽詰まったところはなく心 地良く乗れます。 木管の音もやわらかくてひなびた感触がいいです。 録音は前述した通り、大変美しいです。 Christopher Hogwood The Academy of Ancient Music クリストファー・ホグウッド / エンシェント室内管弦楽団 モーツァルトの交響曲の古楽演奏としては早い時期に出て来たものです。 40番の録音は1981年です。 同時期 にはすでに何人もの演奏家が活躍していましたが、形にし て残したという意味ではホグウッドがモーツァルトにおけるピリオド奏法の手本となったとも言えるでしょう。 しかしこの人の演奏は、特にこの40番などはさほど新奇なものには感じません。 時間の流れがそう感じさせてい るのでしょう。 リズムは短く切って若干前のめり気味なところもありますし、テンポもやや急いだ感じはあり、ピ ノックなどよりも速く、ガーディナーのそれと同じぐらいでしょうか。 そしてその両者よりもアクセントの上で癖も ありますが、軽く翔けるような足取りがこの曲には合っているかと思います。 デモーニッシュさを強調する方向では なく、 余分なものを落として身軽になったモーツァルトです。 第一楽章から軽さがあります。 それが何と言うのでしょう、明るさに感じます。 短調の曲ですが、かえって新鮮で す。 明るいといっても、他のある演奏家のようにファニーな明るさではなく、純粋で曇りのない美しさを感じさせる ものなので、「駆け抜ける悲しみ」に酔いた い人にも不満はないことでしょう。 テンポは適度にやや速めというところです。 第二楽章は途中で緩まる旋律の力の抜け具合が良く、しなう歌が美しく感じます。 テンポはピリオド奏法としては 中庸で、スラーでつないだりしないこともあってリラックスしたやわらかさではピノックの方が勝りますが、落ち着 きのないものではありません。 第三楽章は 、その響きと音符に乗る波状のアクセントで ピリオド奏法だとわかり はするものの、それ以外は以前からの演奏とそんなに変わるものではありません。 ただ、その明るさは鮮烈で、まぶ しく感じます。 第四楽章は皆さん走って行ってほしいところかと思いますが、十分に快速ながら、納得できる範囲のテンポです。 ここもクリアで明快であり、力で押すのではない、陽性のエネルギーを感じます。 録音はくっきりとして鮮やかです。 高域の弦の音がはっきりしていますが、キツいところはなく、バランスはとれ ていて気持ちの良い音です。 ピノックより残響は少なめでしょうか。 人数は少なく感じます。 John Eliot Gardiner The English Baroque Soloists ジョン・エリオット・ガーディナー / イングリッシュ・バロック・ソロイスツ イギリス古楽界の御三家はホグウッド、ピノック、ガーディナーですが、モーツァルトに関して最もピリオド奏法 の癖を感じさせないのは 、数多ある演奏の中でも ピノックとこのガーディ ナーでしょうか。 ピノックは比較的やわらかなフレージングで滑らか、リラックスしてテンポもどちらかと言うと遅 めの場合が多いのに対し、ホグウッドは軽く活気があり、アクセントもそこそこ付いています。 一方でガーディナー はピノックと同じような癖のなさで進みながらも40番ではもう少しテンポが速く、よくコントロールされた端正さ に特徴があるような気がします。 なんとなく聞いているとどこに特徴があるのかわかりづらい気もしますが、細部が 磨かれ、かなり入念に仕上げられているようです。 何気ないフレーズもよく考えられて微細な表情の付け分けが行わ れており、ほとんど気づきませんが、主旋律に対して応答する声部がレガートになっていたりします。 完成度の高さ では一番ではないでしょうか。 第一楽章はホグウッドのテンポとほとんど同じで、やや軽快な運びです。 録音バランスがホグウッドの方が残響成 分も含めて若干高域寄りなので人数が少なく前に出てくるところがあり、軽めに感じます。 一方でガーディナーは ホールトーンも手伝って中域が若干厚く、やや芳醇な感じでしょうか。 ホルンのパートが浮き出るところがあるなど の工夫もあります。 しかし変な癖はなく、テンションもあって文句のつけようがありません。 第二楽章もホグウッドとテンポは大体同じですが、少し速めかもしれません。 緩徐楽章だから遅くやるというわけ ではなく全般的に中庸やや速めです。 リズムはピリオド奏法なので一音ずつ区切れている感じはあり、それもホグ ウッドと共通ながら、ホグッドより少しくっきりしています。 途中でチェロが部分的に テヌートになり、 ヴァイオリンにスラーが強いところもありますが、ホグウッドの方も別の箇所でレガートがか かりますので、どちらがどうとも言えないでしょう。 情緒的 なサッパリ感はガーディナーの方が強いかなという感じです。 私はピノックのテンポがゆったりで流れるような第二 楽章が好きですが、このガーディナーもホグウッドも清潔で悪くないと思います。 第三楽章ははっきりとホグウッドよりもリズミカルに聞こえます。 ホグウッドはリラックスしており、このガー ディナー盤はむしろピノックと瓜二つな印象ですが、ピノックはチェンバロが聞こえます。 第四楽章は三者とも同じ テンポで行きますが、ピノックだけやや滑らかで静けさがあるように響きます。 ガーディナーが最もリズムがくっき りしているでしょうか。 この人の演奏はゆったりしたところも感じられる39番が大変気に入っており、そこでは滑 らかさと繊細な歌とがあったのですが、40番の方は端正で、もう少し引き締めています。 フィリップスの1988年の録音は大変きれいです。 現在は装丁を変え、デッカ・レーベルで出ているようです。 古楽器による演奏といっても過激にならず、テクニックに走るところもなくていつも魅了されます。 この人はい つもやすらかな呼吸が良いですね。 もちろん考証は常に行き届いているのだと思います。 個人的には初期の作品はあ まり聞きませんが、チェンバロを加えたモー ツァルトの交響曲の全集の演奏も期待を裏切られることなく素晴らしいものでした。 必要なところでは適度な緊迫感も出ながら、リラックスしていて大変美しい です。 ピリオド奏法によるモーツァルトの中では、アクセントに誇張がなくてフレーズを短く切る傾向が少ないとい う意味でも、いわゆる「ピリオド奏法」的でない最右翼の演奏かと思います。 40番の交響曲、古楽器による演奏の中では最も気に入っています。 何といっても、軽やかさが素晴らしいです。 ゆったりと穏やかな運びで、繊細な抑揚が感じられます。 エネルギーと緊迫感のある演奏や端正なもの は他にもありますが、第二楽章の流れるような自然さはモダンオーケストラの伝統的な解釈の優れた演奏と何ら変わ るところがなく、それでいてバロック・ヴァイオリンの繊細な音が楽しめます。 駆け抜ける第四楽章も他に引けを取 りません。 第一楽章の出だしから濃い陰影があり、適度な残響の中で一つひとつの音が有機的につながって行きま す。 速過ぎも遅過ぎもせず、あるべきテンポだと思います。 ひたむきな感情があり、同時に変に力の入らないリラックス したところが独特の静謐さを感じさせます。 第二楽章は全く見事です。 数あるモダンオーケストラの演奏も含めて、最も魅力的かもしれません。 テンポは遅過 ぎは しませんが、大変ゆったりしています。 静かなところから微細な表情を付けながらテヌートでクレッシェンドして行くと ころなど朝もやがたなびいているようで感じ入ってしまいます。 チェロが鼻にかかった音で輪郭を際立たせながら浮 き上 がるところも、なんと美しいことでしょう。 各パートが生きています。 第三楽章はテンポこそオーソドックスですが、呼吸があり、引き締め過ぎない自由さの中に感情が乗ります。 第四 楽章 のアレグロ・アッサイも力みはありませんが、疾駆しています。 アルヒーフの全集の録音は1992年〜95年という短期間に行われており、音は揃ってどれも優秀録音です。 ホ グ ウッドほどではないながらやや中高域に重心があり、モダン・オーケストラのものとは楽器の音も録り方も違い、毎度の ことながらクリアです。 人数は 少ない楽団ですが、適度に残響もあり、さみしい感じは全くしません。 細部がよく聞こえながら全体が溶けて艶もありま す。 40番も含めてめぼしいところは単独でも出ています。 Ton Koopman The Amsterdam Baroque Orchestra トン・コープマン / アムステルダム・バロック管弦楽団 真摯ながらいつも爽やかでやわらか、どこか楽しげで充実した波長を 感じさせるバロック音楽の職人コープマンです が、モーツァルトの短調交響曲では速めで軽い出だしを見せます。 今やピリオド楽器による演奏に共通した特性ですが、 時折おっと思うような工夫があり、普段聞こえない伴奏の音が浮き上がって強調されたりします。 第二楽章はややゆっくりで、ふっと弱める音の扱いなどに陰影が出ます。 やはりスラーで滑らかという演奏ではあ りま せんが、そのせいなのか、反響の強い録音会場かと思われるのに残響は案外少ないように感じます。 この楽章は大変きれ いです。 ところが第三楽章に入ると、今度は反対にスラーでつなぐような不思議な処理が聞かれます。 トータルでは フ レーズの語尾を延ばさないピリオド奏法で、高い方のストリングスが波打ちながら独立してクレッシェンドしたりする独 特の息遣いです。 録音は1994年です。 残響が長いようには感じないと書きましたが、39番の録音と比べるとなぜか反響成分が 若 干多く感じます。 全体に中域に寄った響きで、やや箱鳴り感があります。 弦は艶っぽい音ではありません。 ところがこのインマゼールの演奏には大変説得力があります。 特別 扱いするつもりもないのですが、なぜでしょうか。 やはりピリオド奏法特有でテンポは全体に速め、リズムはくっきり でエネルギッシュ 、強弱には波打つような息遣 いもあります。 ただ、この演奏は乗れています。 どこをとってもスイング感があるというのか、自然に揺れて、生きいき している。 ジャズではないですが、音楽をやりたいのでこういう表現になったのだと素直に思えます。 工夫は感じられるとしても、 とってつけたような技法のみに終止していないのです。 ヘレヴェッヘが宗教合唱曲を得意としているとするなら、同 じベルギーでもこの人はオーケストラ作品を中心にしているようで、ベートーヴェンも溌剌としていました。 一方でベル リオーズは力強い方向ではなく、 各声部の動きが手に取るように見え、 音色の美しさが随所に感じら れるものでした。 アーノンクールとならんで知、情、意のそろったリーダーなのでしょう。 モーツァルトはとにかく若々 しくて新 鮮です。 40番は短く切って弾むような扱いのリズムにテンポが快速ということはありますが、作為的な工夫は感じられず、ス トレートなところが良いと思います。 第一楽章は超速ではないですが、少し速めのテンポはこの曲に合っていて説得力が あります。 第二楽章は中庸やや速めのテンポで、よく歌います。 もちろん古楽系の節回しですが、しなりがあって、メッ サ・ディ・ヴォーチェも自然です。 第三楽章は速くて軽快、勢いがあります。 一方で第四楽章はやや速めながらスタン ダードに感じる範囲で、テンポとしては理想的です。 一息で駆け抜けます。 録音が素晴らしいのがこの演奏での大きな強みです。 繊細で自然な艶があり、透明感を感じます。 楽器の音色を聞くと いう楽しみも味わえます。 ジグザグ・テリトワー(ル)というフランスのレーベルで、2001年の録音です。 どちらか というと高域の明確なバランスでしょうか。 Jaap Ter Linden Mozart Akademie Amsterdam ヤープ・テル・リンデン / モーツァルト・アカデミー・アムステルダム ヤープ・テル・リンデン はオランダのヴィオラ・ダ・ガンバ奏者で、バッハのチェロ組曲の演奏が素晴らしいことは別項で触れました()。 ここでは指揮 者として、彼自身が創設した 古楽器オーケストラであるモーツァルト・アカデミー・アムステルダムを率 いて録音しています。 全集も出ていますが、ここでの演奏は楽器奏者としての彼とは幾分異な り、真面目で実直な面が前に出てきているような印象です。 40番は全集の方にはクラリネットなし版も収録されているようですが、第一楽章のテンポは速くなく、モダン楽器の 演奏並みでピリオド演奏としては遅い方です。 同様にアクセントを強めるという癖はなく、ロング・トーンの真ん中を強 めるメッサ・ディ・ヴォーチェと所々でフレーズの語尾を切るところは見受けられるものの、目立つものではありませ ん。 モダンと違うのはビブラートのない真っすぐさと編成が小さく感じられるところでしょうか。 第二楽章はスタッカートとレガートを使い分けて行きます。 テンポはオーソドックスですが、ピリオド奏法なのだとい うことはわかります。 違和感はなく、ストレートで正直、落ち着いた味わいがあります。 第三楽章はひなびた素朴な味わいが前面に出ています。 テンポは比較的ゆっくりです。 第四楽章はフォルテであっても 余分な力が抜けています。 テンポは中庸で、ざっくりとした素朴さがあります。 ブリリアント・レーベル2001年の録音は残響がほどよくあります。 フォルテでは全体に中低域寄りのバランスだな と感じさせます。 高音弦の周波数ではあまり反響が強くありません。 そのせいできらびやかさはありませんが、メタリッ クに ならず、木質のきれいな響きです。 Roger Norrington Radio-Sinfonieorchester Stuttgart ロジャー・ノリントン / シュトゥットガルト放送交響楽団 一部で古楽界のクラウン(道化師)のように言われていたノリントンですが、世代としてはブリュッ ヘンと同い年、レオンハルトやアーノンクールよりは年下ながら、ホグウッド、ガーディナー、ピノッ クといった古楽演奏の中心的な世代より十前後年上です。 今や大家と言っていい円熟期でしょう。 面白 い動きだった指揮棒振りもすっかり落ち着いて、ジャッケット写真では大変愛嬌のある笑顔です。 モー ツァ ルトの手稿譜断片をつなぎ合わせたような版を用いたレクイエムでは、その次々と表情の変わる楽譜の 面白さに吸収されて、いつものノリントンらしいユーモラスさがあまり感じられない事態となっていま したが、交響曲ではまだまだ健在かと思います。 40番も楽しい演奏です。 第一楽章は速めのテンポでやや駆け足なリズム、ビートの効いたうねるよ うな呼吸があり、コントラストが強いです。 延ばし気味に処理したフレーズから大胆なフォルテに飛び 移るところなど、ノリントンは全然大丈夫ですね。 第二楽章はテンポこそ速めですが、案外速過ぎる印象もなくてこの人にしてはほどよい加減です。 リ ズムは歯切れ良く、フレーズの後ろを跳ね上げるようにして切るところが軽やかで面白いです。 緩徐楽 章という感じではないですが。 第三楽章のテンポはやや速い、ではあっても案外常套的でしょう。 ここも跳ねるようにリズミカルで す。 第四楽章も速くて区切られた感じはしますが、奇異ではありません。 Charles Mackerras Scottish Chamber Orchestra チャールズ・マッケラス / スコットランド室内管弦楽団 オーストラリアで生まれ、イギリスとチェコで学んだ幅広いレパートリーを持つ指揮者です。 2010年に亡くなっています。 ここではモダン楽器によるピリオド奏法を行っています。 撫でるようにつなげて行くテヌートの弦が場所によってすすり泣きのような効果をもたらしていま す。 対してリズムははっきりとしています。 しかしトータルではオーソドックスでストレートな 表現 に感じま す。 レクイエム で見せた厳しく引き締まったクールさとは別の印象です。 中低音がボ ンとよく響くところは、同じ趣向のアダム・ フィッシャーとは会場の傾向も録り方も違うようです。 第一楽章は快活な進行ですが、テンポは中庸やや速めといったところでしょうか。 深刻な感じにはな らないながら独特のテンションの高さがあります。 軽快さと流れるようなところを併せ持っています。 しかし変な癖はありませんので、ピリオド奏法ではありますが、モダン楽器によるスマートで現代的な 解釈のようにも聞こえます。 第二楽章は中庸なテンポです。 決して遅くはありません。 緊張感を持って静けさを表現するのではな く、自然な進行です。 あえて小声にすることなく、さらっと流して行きます。 第三楽章はかなり速いテンポで意外性があります。 ノリが良く、リズミカルにどんどん流れて行きま す。 余分なディナーミク、アゴーギグはありません。 淡々と力強く。 管の音に意外な響きの二重性が聞 かれる箇所がありますが、二つのパートが分解され、普段聞こえない側の音が強調されるからでしょう か。 新鮮で爽やかです。 第四楽章は前と同様速いですが、ここは元来こういうテンポが合うので意外性は感じません。 やはり 癖の あるアーティキュレーションはありません。 テンションは高めでありながら、流れるように過ぎて行き ます。 2007年の録音はエンジニアがマーラーの巨人で素晴らしい音を聞かせてくれた() 元デッカのジェームズ・マリンソン、それに加えて高級オーディオ・メーカーのリン・ソンデックの録 音部門が独立したレーベルです。 ただ、あのときのマー ラーほどの出来かどうかは疑問です。 同じリン・レコードでもレクイエムの方がクリアだった記憶もあ ります。 中高域によく響くところがあって輝かしい音で す。 その部分で は弦に独特の塊感が出ます。 艶と言ってもよいのですが、あまり高い周波数帯ではありません。 中低音 も厚みのある方でフォルテでは若干カブります。 高い方の 弦のテクス チャーはさらっとしていて自然ですが、やや艶消しです。 Rene Jacobs Freiburger Barockorchester ルネ・ヤーコプス / フライブルク・バロック・オーケストラ マタイ受難曲では温かみのある自然体で楽しんでいる感じが素晴らしかったヤーコプスですが、この2008年録音の モーツァルトの交響曲では古楽演奏での流行を感じさせる歯切れの良さを聞かせます。 特にジュピターなどの演奏では アーノンクールに勝るとも劣らない張り切ったところと、他と違うんだぞといった工夫が前面に出ているように思いま す。 ティンパニが 勢い良 く、フレーズの区切りがくっきりとしており、スッと弱拍へと抜く扱いがあり、スタッカートも聞かれます。 バラエティ豊か な古楽のデパートというのか。 40番の出だしはやや速めのテンポで、リズムにピリオド奏法独特の凹凸があります。 第二楽章はきれいですが、やは り古楽奏法の呼吸があるため、バロックの協奏曲の緩徐楽章を聞いているような錯覚を覚えます。 もちろん「バロック の」と言ってもそのバロックらしいと感じる感覚自体、昨今のピリオド奏法に慣らされた耳がそう感じさせるわけです が。 第三楽章も歯切れの良いリズムが心地良く、第四楽章も「疾走」する感じが良く出ています。 ハルモニア・ムンディの録音はバランス上低音がよく出ていて残響が少なめです。 高域は弦にやや艶が少なく、自然で す。 色気はあまりないものの、古楽器独特の細身な感じと繊細なところは出ており、悪くない音だと思います。 Frans Bruggen Orchestra of the Eighteenth Century フランス・ブリュッヘン / 18世紀オーケストラ ブリュッヘンの最近の演奏は古楽奏法といってもエキセントリックではなく、 穏やかで走らず、自然体です。 独特の呼吸はありますが、ほとんど意識させられませんでした。 したがって40番は 鮮烈さを狙った演奏ではないと思います。 出だしのテンポはほどほど速めながら、駆けるような感じはなく すっきりしています。 第二楽章はよくしなう旋律線が印象的で、テンポは遅くはなく、ほどほど中庸というところで す。 第三楽章と終楽章はともにリズムの歯切れ良い箇所もありますが、これも自然です。 ピノックと並んでおっとり とした方の演奏で、自然体というのは近頃の彼 のキーワードでしょう。 2010年の録音は低音が良く出ていて反響があります。 あまり高域が目立たないバランスです。 個人的には明瞭 さに欠ける気がしますが、今や大抵がそうなってしまった高域の強調されたステレオセットでは案外良く聞こえるの かも しれません。 大手 レーベルを離れてリリースする例が最近目立ちますが、ブリュッヘンはスペインのグロッサから出すようになってお り、カヴァーデザインもいつも統一された人形シリーズです。 こうした個人/精鋭のレーベルの録音ではヘレヴェッ へもコープマンもそんな印象ですが、あまり派手さのない音に録れている例が多い気がします。 Philippe Herreweghe Orchesre des Champs-Elysees フィリップ・ヘレヴェッヘ / シャンゼリゼ管弦楽団 古楽宗教曲のベルギー皇太子へレヴェッへもモーツァルトの交響曲に取り組みました。 前にも第九というのはあり ましたが、 今回レーベルはハルモニア・ムンディではなくなりました。 2012年の録音です。 この人は古楽器演奏といっても極端 なディナーミク、アーティキュレーションは見せないで演奏する洗練されたところが持ち味ですが、テンポ設定は曲 ごとにいつも異なり、快適なものもじっくりなものも両方あり得ます。 ここでのモーツァルトの40番はやや テンポが良い方に入ると思います。 曲の性格からしてそうなるのが自然でしょう。 表現はピリオド奏法としての特徴 は持っていますが、この演奏者の他の曲よりもストレートです。 第二楽章もゆっくり歌わせる方ではなく、やや速め の清潔な設定になっています。 スマートで洗練されていて工夫もあり、大変良い演奏だと思います。 録音ですが、全体としては明瞭な方です。 ただ、すごく見通しが良いという感じでもなく、繊細で艶っぽい弦の音 でもあ りません。 反響が多くてにじむというわけでもないのに何のせいでしょうか。 自然ではあるのですが、 ジャケットの水晶のよう に大変 きれいというのとは少し違うような気がするのです。 中高域に若干の強調と反響があるせいで しょうか。 PHI(フィー)というヘレヴェッへ自身のレーベルのようで、技術者のことはよく わかりません。 Nikolaus Harnoncourt Concentus Musicus Wien ニコラウス・アーノンクール / ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス 優美で滑らかなモーツァルトではなく、リズミカルかつダイナミック、速くて歯切れ良くて、うなるような大きな 起伏があり、ときに攻撃的ですらある古楽のモーツァルト、という印象を皆に与えた、おそらくは中心人物ではない かと思われるのがアーノンクールです。 他の指揮者たちももはや目を閉じてうっとりとスラーで行くというのは許さ れないような雰囲気になってしまうほど、この問題提起には影響力がありました。 最初のモーツァルトの録音はホグ ウッドと並んで80年頃のことです。 同じように新しくて皆を驚かせる趣向に満ちていたのはイギリスのノリントン かもしれませんが、雰囲気は大分違います。 ノリントンはいつもどこか少しユーモラスです。 ロックの乗りのように ビートが効いていて、学問的な追求から出てきてはいるのでしょうが、なんだか全てがノリントン節のせいだろうと 納得してしまいがちです。 一方でアーノンクールの方は大変緻密な学者の一面を持っており、うかつに異議を差し挟 もうものなら、楽譜と時代考証によって 理路整然と 迎撃されてしまいそうです。 こっちが本物のモーツァル トなんだ、なぜなら、と。 誤解を招くといけないのではっきりと申し上げておけば、私はアーノンクール、好きです。 哲学者のような一面を 持ってはいますが、頭でっかちの人では決してなく、音楽が本来音楽であるような、湧き出るような情感を大切に演 奏する人です。 とくに 時代を経るにしたがって 近年は、宗教的なとでも 言いたくなるほどの深い感情の襞を感じさせるものになってきました。 ただ、これも正直に申し上げれば、彼のモー ツァルトはさほど好きではありません。 というのも、レクイエムは二度目の録音が素晴らしかったものの、交響曲に 限っては、歳を取るとともに穏やかになるいつもの彼らしさは例外的に感じさせないからです。 元気なのはいいこと で、このままいつまでも頑張っていてほしいところですが、恐らくモーツァルトの解釈に関しては彼一流の考え方が あり、それを決して譲りたくないのだと思いま す。 三回録音しているのですが、傾向は少なくとも私には同じように聞こえます。 ですから、それら三回の録音の微 妙な違いについては、彼のシンフォニーこそがいいと感じる人に味わい比べてもらいたいと思います。 各パートの解釈について も、音楽学的な、あるいは彼なりの根拠があると思いますが、私には是非を問う知識はありません。 一度目の録音はロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と行った80年〜88年にかけてのもので (40番は83年) 、二度目は90年代 (40番は91年) に行われたヨーロッパ室内管弦楽団とのもの、そしてこの三度目の録音は、40番については2012年に収録され ています。 40番の演奏は、第一楽章については驚くようなところはありませんが、休符の間が長かったり、強弱に微妙な陰 影があったりします。 第二楽章はやや速めのテンポで、緩徐楽章ではありますが短く切るようなリズムで運ばれます。 タメが効いている と言えばよいのでしょうか、少々もったいぶったような表情が面白く、まるでいたずらっ子のモーツァルトが大人を からかってやろうとたくらんで忍び足で背後から近づくといった風情です。 第三楽章も速めで、ジャンプするようなリズムでトキトキと弾み進みます。 機関車トーマスが快速で走るというの か、公園の鳩が一斉に首を動かして歩くというのか。 第四楽章は意外ですが、比較的ゆっくりなテンポです。 モダン演奏の教科書のように思われているのはカール・ ベームでしょうが、その角の立ったドイツ的リズムのように、一音一音を独立させて丁寧に弾かせているようです。 Adam Fischer The Danish National Chamber Orchestra アダム・フィッシャー / デンマーク国立室内管弦楽団 アダム・フィッシャーはハンガリー生まれの指揮者で、ハンガリアン・ハイドン管弦楽団とハイドンの交響曲全集 を出して一部では話題になったようです(ハイドンはハンガリー地方の出身)。 そのときも古楽器の楽団ではありま せんでしたが、このモーツァルトもモダン楽器を使って古楽器奏法のアーティキュレーションでやる、いわゆるピリ オド奏法の演奏です。 大変フレッシュです。 リズムが引きずらず、弾けるような軽さが あります。 そのせいで、私はあまり好んでかけないのですが、41番のジュピターなど大変魅力的に聞こえます。 や かましさも押し付けがましさも感じません。 高原の朝の爽やかさというのか、弦も管もメロディーラインには繊細さ とやさしさがあり、流れるようです。 そこにはリズムの軽快さとのコントラストがあり、機知にあふれて大変楽しそ うです。 この曲 を「優美」に感じた数少ない演奏です。 40番の第一楽章はテンポこそオーソドックスですが、細かく浮いたり沈んだりするような抑揚が意欲的です。 ピ リ オド奏法らしくフレーズの終わりをあっさり切るところがある一方で、引っ張るところもあります。 かなり大胆な表情ですが、どう言ったらよいでしょう、軽さ こそが命、というところでしょうか。 第二楽章は緩徐楽章としてはやや速めですが、さほど速くは感じません。 やはりフレーズの後ろを延ばさないさっ ぱり感はありますが、場所によっては静かに、テヌートでつなげる扱いも聞かれます。 創意工夫は感じられますがこ こでは奇をてらうというものでもなく、美しさを感じます。 第三楽章のテンポは速くも遅くもありませんが、強調されたアクセントによるリズミカルな拍動が心地良いです。 現代的な歯切れの良さです。 面白いのは、長く延ばす二拍目にアクセントが来る部分で裏打ちのリズムのように感じるところでしょうか。 終楽章 のテンポは、この「駆け抜ける悲しみ」の出だしにおいては適切に速いです。 リズム感のある抑揚は相変わらず細か く付いています。 主フレーズの後で繰り返される呼応の フレーズの方に、山なりの大きなアクセントをつけるところが出てきますが、ここも裏打ちのリズムのようで面白い です。 録音はきれいです。 モダン弦楽器をノンビブラートで弾かせるとちょっとそっけない音に響くときがありますが、 ここでの録音ではそういう傾向がさほど気にならず、明るさが心地良いです。 2013年の録音です。 古楽器 演奏というジャンルを除いた中で、やはり今でも一番美しいものの 一つだと思います。 これとブロムシュテットぐらいがあれば、私はもう満足かもしれません。 ワルターというとロマ ン派の巨匠という見方をされ、過剰な表現でオードファッションと言われる場合もあるのですが、決してそういうこ とではないと思います。 常に節度は保っているし、洗練されています。 元来ワルターは豊かな歌がありますが、セ ンチメンタルな人ではありません。 そういう通俗性は自身の苦難の中に置いてきているのではないでしょうか。 もち ろん最も表情豊かな演奏であることは間違いありません。 細部に至るまでよく練られた歌があります。 ポルタメント に近い音のつなぎと変化のあるスラー、しかしそうした表情が満遍なく施されるわけではなく、感興に合わせた呼吸 となっ て 生き生きしています。 滑らかでありながら覇気があるというのはなかなか難しいことではない でしょうか。 速いところ、ゆっくりなところ、どこをとっても これ以上ないほどに適切 さを感じます。 モーツァルトの40番はワルターの最高傑作の一つであると言い切りましょう。 第一楽章は遅めのテンポですが、世間が言うほど遅さが際立っているという気はしません。 案外ダイナミックな一 面もあります。 最初の主題、有名なタララン、タララン、タラ・ラーラーの最後の音でしなわせて延ばす、撫でるよ うなポルタメントがいかにもワルター節で心地良いです。 静かな部分でのくっきり感はなかなかのもので、すごくレ ガートというわけではなく、しかもリズムがぶつ切れになりません。 第二楽章は見事です。 ゆったりながらダレない緊張感があり、旋律をスラーでつなげながらクリアです。 テンポ自 体は遅いと言えるでしょう。 管もくっきりしており、盛り上がりに感情がこもります。 ピアニシモの美しさは格別 で、スコアの読みがしっかりしていると言うべきか、低弦からもり上がってくるところはロマンティックです。 第三楽章の テンポは中庸やや遅めですが、 確固とした力強い歩みが印象的です。 第四楽章のテンポ も中庸ですが、「疾走する悲しみ」の運びは決然としています。 中間部の歌の部分ではやわらかな延びと豊かな表情 があります。 録音はステレオ最初期の1959年ですが、古いからといって劣るところは何もありません。 何度かリマスターさ れており、音には違いがありますので、興味のある方は を参照してください。 初期のマックルー ア・リマスター盤だけが良いと宣伝する人がいたせいで、あちこちにそういう意見があふれているようです。 確かに マックルーア盤はナチュラルで良いですが、38番とカップリングになっている日本盤 DSD マスター・サウンドの音も、5KHz前後を若干落したい気はしないでもないながら、なかなかきれいにマスタリングしていると思います。 元の録音のせいでサ ラっと細身の艶消 しの音になりがちな弦の高音に艶が出ます。 機器によっては少し張って聞こえるかもしれません。 一方で最新なので しょうか、41番と組になっているルビジウム・クロック・カッティングの方はノイズも敢えて残したままで明らか にハイ上がりに聞こえます。 なるべくオリジナルのマスターテープから鮮度を上げて取り込むという方針なのでしょ う。 私はマックルーア盤(35DC75)を自分なりにリマスターして聞いています。 余談ながら大雑把にデータを 記しておくと、110Hz から下で棚状に +5dB 以内で緩やかに盛り上げ、1KHzで Q=0. 43 にて+4dB 行かない範囲で上げ、逆に5KHz では Q=0. 8 でー5dB 以内で落とし、10KHz やや手前から上の周波数に向けて棚状に+3dB 超えない範囲で持ち上げました。 そこにフィルターで中低音以下がかぶらないようにカットし、超高音も除いた状態 でごくわずかにリヴァーブを加えて響きを調整しました。 レベルはもう少し控えめにいじった方が良かったかなとも 思いますし、オリジナルを重視するならリヴァーブはなしでも良いとも思いましたが、とりあえず上手く行き、 最新録音でないこと があまり気になりません。 レコード会社では鮮度のことばかり宣伝しますが、結局リマスターは バランスだと思います。 今は誰でもこういうことが可能ですから、各自で楽しめば良いと思います。 Herbert von Karajan Viener Philharmoniker ヘルベルト・フォ ン・カラヤン / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 モダン・オーケストラの演奏の中で、最も知名度が高く、皆に買われたのはカラヤンの盤なのだろうと思います。 モーツァルトは正確には何回録音したのか知りませんが、ここでは市場に一般的に出回っている三枚を取り上げま す。 カラヤンは世界一上手いベルリン・フィルを「カラヤン・レガート」と呼ばれる滑らかにして颯爽とした棒さば きでまとめた人だと理解されているようです。 ただ、そのスラーでつないだ角のとれた表現は、古楽器演奏が市民権 を得た今日ではむしろ脂っこくすら聞こえます。 一つの時代の模範的演奏と言え、今とは違ってオーケストラの人数 も多くてヘヴィです。 最も豪華なモーツァルトでしょう。 デッカから出ているのは1959年の録音で、オーケストラはこれだけベルリン・フィルではないですが、やはり 「世界一」のウィーン・フィルです。 恐らくこれがカラヤンが最初に人気を得たモーツァルトではないでしょうか。 カラヤンという人は他の作曲家の作品では、初期ほど颯爽とテンポが速く、表現が控え目で溌剌としている印象で す。 ただ、このモーツァルトについては古典派という作品の性質上、時期によって大きくテンポ/ディナーミクを変 えることはないように思います。 テンポは案外速くはありません。 後の演奏と比べると確かにレガートの度合いは幾分控え目で、その分爽やかに、 ややダイナミックに感じます。 第二楽章もどちらかと言うとあっさりです。 録音はこの年代にしては大変良いです。 若干フォルテでの透明感が少ない気もしますが、音が悪いからやめようと いうようなレベルでは全くありません。 レーベルの特性もあるのか、明るめの音に録れていると思います。 ふくよか なウィーン・フィルの響きを求めたい人にとって魅力的な盤だと思いますが、その音の特徴が最大限に発揮されてい るかどうかは受け取り手次第でしょう。 音色自体に現れるもの以外でもオーケストラの音の違いというものはあるは ずですから。 Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker ヘルベルト・ フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 EMI の録音は1970年です。 ベルリン・フィルとの演奏で、収録会場はベルリン・イエス・キリスト教会です。 ここは残響の美しさで有名ですが、教会だけに反響 時間は長いです。 この後の録音と比べて最も違うのは、会場の違いによる音の違いかもしれません。 演 奏自体の方法論はモーツァルトに限ってはどの録音も大きく異なるわけではないようです。 録音以外の違いでは、いわゆる「カラヤン・レガート」が最も顕著なのはこの70年のものではない かというところです。 後の盤と比べて微妙な違いですが、この時代のベルリン・フィルは「最も上手 い」、もしくは「最も美しい」と言われ始めた頃で、大変流麗かつ芳醇です。 Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker ヘ ルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ベルリン・フィルとの セッションでは、時代が下ってくると無機的になるという傾向がカラヤンにはあるような気がします が、それは主にデジタル時代の80年代に入ってからのことで、この1976年のアナログ録音ではそ ういう心配はありません。 三枚の録音のうち、音が最も良いのはこの76年盤ではないかと思います。 70年盤の方はイエス・キリスト教会で録音されていましたが、こちらはベルリン・フィルハーモニ ザールです。 残響はこちらの方が少なく、音の輪郭がはっきりします。 旧盤との音以外での違いは、こちらの方が演奏上も若干はっきりくっきりとした傾向があり、第一楽 章など元気で起伏も大きい気がします。 フォルテで特にそう感じますが、もちろんホールの音の違いを 除いて評価するのは難しいところで、その音の違いを意識しての演奏の違いということもあるかもしれ ません。 Karl Bohm Berliner Philharmoniker カール・ベーム / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ワルター、カラヤンときたら、ベームでしょう。 モーツァルトのモダン・オーケストラによる三大定番演奏の話で す。 ワルターには温かく変化に富んだ歌があり、カラヤンは流麗かつ重厚、そしてベームは実直、という感じでしょ うか。 定番がいつもいいかどうかはわかりませんが、そう言われるからには何らかの要素があるのでしょう。 オーストリアを含めてドイツ語圏の演奏家が全部そうというわけではないですが、ミュンヒンガーとベームはリズ ムの角がしっかり付いて、ドイツ語の音のように大変生真面目な印象を与えることがあります。 ベームは協奏曲など ではずいぶんしなやかな伴奏をしているときもあり、必ずしもいつもカクカクしているわけではないのですが、モー ツァルトの交響曲ではどうも、個人的な好みから行けば正統派過ぎるように感じます。 こういう方向が安心できる方 にとっては大変貴重でしょう。 40番の最初の主題が始まる前の序奏の音はズズ、ジャジャ、ズズ、ジャジャ、と一 音ずつくっきり発音されており、滑らかではありません。 全体にリズムの扱いはこういう風で、それが人によっては 安定感を与える基礎になっているだろうと思います。 文句のつけようがありません。 ベームのモーツァルトは二種類あります。 初期のベルリン・フィルとのものと晩年のウィーン・フィルとのもので す。 基本的な考え方に違いはないものの、ムードには差があります。 多くの指揮者が生理的にそうかと思いますが、 年齢が高くなってくるほど穏やかでテンポがゆっくりになる傾向というものは一般に存在します。 チェリビダッケ同 様ベームも典型的で、特にスタジオ録音ではまったりとした感じになりがちでした。 若いときとどちらが良いかは双 方に美点があって何とも言えませんが、ベルリン・フィルの方を定番とする人は多いようです。 シューベルトなども そうでしたが、均整美というのか、引き締まった印象があります。 ギリシャ彫刻のように整ったという意味では、特 にモーツァルトなどはこのベルリンとのセッションを評価する声が高いのだと思います。 比較すればテンポが速いといっても、第二楽章などはむしろウィーン・フィルとのものよりも静けさがあるような 気がします。 案外ゆっくりと、よく歌っています。 トータルでは私もベルリンの方が良いかな、という気もします。 音は、収録時期が古いからといってウィーン・フィルと比べて大して劣るという感じがありません。 1961年と 言えばステレオ初期ですが、グラモフォンのいくつかはフェンンツ・フリッチャイの大ミサなども含めて、かなりバ ランスの良い録音がありました。 これも良い音です。 Karl Bohm Wiener Philharmoniker カール・ベーム / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ベームが来日して白熱的な演奏を聞かせていた頃の演奏です。 ただ、晩年もののスタジオ録音は大変穏やかで、肩 に力の入らない演奏がほとんどだったと思います。 教科書のように真面目なアプローチで、テンポも非常にゆっくり です。 伝統的なモダン・オーケストラ(面白い表現ですが)なので編成も大きく、しかもウィーン・フィルであり、 存在感は大変しっかりとしています。 全体にテンポは遅いわけで、もちろん第二楽章もゆったり歌いますが、そこについてはベルリン・フィルも案外遅 かったのであまり違いはないかもしれません。 ただ、こちらの方は第三楽章も第四楽章もゆっくりです。 演奏に対す る考え方は、多分ベルリン・フィル収録のときと多分変わっていないのだろうと思います。 1976年の録音は大変きれいで、ブラームスのシンフォニーなど特にそうでしたが、ディジタル時代の音よりも 滑らかで完成されていたと言えるかもしれません。 これは最大の魅力でしょう。 Neville Marriner Academy of St Martin in the Fields ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団 イギリスの室内オーケストラ、アカデミー室内管弦楽団は古楽器による演奏ではありませんが、編成の点から言え ばカラヤン、ベームといった伝統的オーケストラの分厚い音に比べて古楽演奏にも通じる、モーツァルトらしい小回 りの効いた良さを感じさせます。 この人は常にテンポから言えばややすっきり速めのことが多く、重さを感じさせ ず、大仰なところが全くなく、洗練されていてウィットに富んでいます。 ベームやケルテスなどとは違った意味で優 等生的とも言われかねませんが、私はモーツァルト指揮者としては最適の一人ではないかと思っています。 ブレンデ ルと組んだピアノ協奏曲など、フィリップスの潤いのある録音と相まって最高の出来でした。 交響曲については、この人は二度録音をしています。 最初はここで取り上げるフィリップス・レーベルのもので、 アナログ録音です。 後にディジタルで EMI からも出しました。 ただ、両者には解釈上も音も違いがあります。 後発のディジタルの方はテンポも遅めの楽章があり、起伏があってよりダイナミックな印象で す。 ディジタル最初期の EMI の録音ということもあって、私の耳にはちょっと潤いがなく感じますので、ここではアナログの方だけを取り上げることにします。 さて、その一回目のアナログ録音なのですが、ピアノ協奏曲では独特の艶やかにして弾力のある小気味良い音が楽 しめたのに対し、ここではややオフでデッドな印象です。 27番の協奏曲などは同じように高域がオフな印象があり ましたから、フィリップスといえどもセッションによってバラつきは致し方ないことと思います。 ただ、デッドの方 はちょっと問題で、元々編成の小さな室内管弦楽団なので、反響成分が少ないと間の空いたような頼りなさを感じる 瞬間もありました。 それでもディジタルの方よりは自然で良いのですが。 第一楽章は軽やかにして柔軟です。 テンポはやはり遅くはありません。 ただ丁寧で端正な印象はあります。 マR ナーらしいというのか、部分的に弱めるようなフレーズが聞かれ、細かな抑揚は割と付けられていますが、録音がつ いて行ってない印象は否めません。 リズムも重すぎず、表現としては大変良いと思います。 第二楽章にも細やかな表情があります。 やわらかさと静けさが同居していて、過度にロマンティックにならないな らないながら情緒があって良いです。 端正で、ピリオド奏法と比べるとスラーで行きます。 第三楽章はくっきりとしていますが、やはりこの人は重くはなりません。 深刻にならない繊細さが持ち味で、第四 楽章も疾走する悲しみかどうかはともかく、非常に軽くて心地良い運びです。 大変良いところのある演奏なのですが、1970年の録音については前述した通りで、一連のマリナーの優秀録音 の中にあってはちょっと残念なところもあります。 リマスターで色々変わり得る範囲なので、私の持っている盤以外 では改善されているものがあるのかもしれませんが、結局写真で取り上げた DUO の廉価版シリーズをイコライジングして聞いたりしました。 100Hz から下でわずかにレベルを落とし、500Hz あたりと10,000Hz 周辺を数 dB 持ち上げ、デッドな分を補うために周波数をよく選んでリヴァーブ(ホールトーン=反響)をつけ加えました。 まあ、そんなことまでして聞くべきなのかどうか は わかりませんが。 Istvan Kertesz Viener Philharmoniker イシュトヴァン・ ケルテス / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 テルアビブの海岸で波の高いときに海に入り、若くして亡くなってしまったケルテスは、そのデッカの輝かしい録 音もあってか、ドヴォルザークもブラー ムスも人気のようです。 中庸で完成度の高い演奏はどこにも欠点がなく、悪いことを言う余地もなければ、私などは どう褒めたものか悩むところもあります。 モーツァルトについては、それを古典派の様式美のある音楽という線で理 解するのであれば、均整が取れているということは最大の美点にもなり得るでしょう。 実際に聞いていてきれいな録 音であり、心地良いと言えます。 そしてオーケストラはモーツァルトの国のウィーン・フィルです。 40番については、やはり演奏はニュートラルで、音の面からやや輝かしいその魅力は不変です。 第一楽章はほど よく 遅過ぎないテンポで、リズムも固すぎず、ベームよりも流れる印象です。 第二楽章も特に滑らかという方向ではありませんが、オーソドックスで安心していられるます。 ウィーン・フィル のやわらかい音は魅力的です。 第三楽章もオーソドックスで、あまり力まず、フレーズがつながれて丸い印象があります。 第四楽章はモダン・ オーケストラの演奏としては速いです。 1972年の録音はアナログながら、これもソフィエンザールの録音なのでしょう、デッカ特有の音は輝かしい部 分もあり、セールスポイントの一つとなっています。 Otmar Suitner Staatskapelle Dresden オトマール・ス イトナー / シュターツカペレ・ドレスデン 旧東ドイツに属した名門オーケストラとして、シュターツカペレ・ドレスデンは大変古い歴史を持ちます。 シュ ターツカペレは State Chapel, もしくは Band の意味で、 ベルリン国立歌劇場管弦 楽団とも訳されます。 同じく シュターツカペレ・ ベルリンというのも有名ですが、ドレスデンの方が古 く、創設は16世紀に遡るそうです。 ドレスデンはベルリンの南に位置するため、指揮者の交流はあったものの、旧 体制では東側に属しました。 東側オーケストラの特徴は商業主義に傾かず、はったりのない誠実さだと言われてきま した。 ステレオタイプかもしれませんが、その音はよく「いぶし銀」などとも評されてきました。 この楽団のモー ツァルトでは、スイトナーとブロムシュテットの盤が出ています。 どちらも解放前の演奏です。 スイトナーはドイツーイタリア系でオーストリアに生まれた旧西側出身の指揮者ですが、シュターツカペレ・ベル リンと、このドレスデンの両方の音楽監督になり、ドレスデンの方の任期は1960年から64年でした。 オースト リア生まれのスイトナーが落ち着いた音のシュターツカペレ・ドレスデンと録音した盤は、一方でウィーン・フィル が本家のように言われるのに対し、もう一つの極として正統派のモーツァルトとも目されてきたようです。 ここに写 真を掲載した盤は後期三大交響曲がこれ一枚で聞け、お得です。 第一楽章は遅めのテンポで、ベームのようにリズムがきっかりしています。 それに対して、旋律の部分はわりと滑 らかです。 全体の印象としては大変オーソドックスで、かっちりと真面目なものに感じます。 第二楽章も一音一音区切られたリズムの上に、やわらかな歌が乗ります。 テンポはモダン楽器のオーケストラとし ては速くも遅くもありませんが、古楽器演奏の平均よりは遅いと言えるでしょう。 第三楽章はテンポはじっくり一歩ずつ着実に進む感じで、やはりくっきりとしています。 第四楽章も着実で、決して速く駆けるような方向ではありません。 シャルプラッテン1975年の録音はアナログですが、残響が心地よく、伸びやかながら派手さのない好録音で す。 Rafael Kubelik Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks ラファエル・ クーベリック / バイエルン放送交響楽団 スイトナーとは反対に、東側はチェコで生まれて亡命し、西側で活躍したのはクーベリックです。 この人はチェコ の人だからとは簡単には言えませんし、国際派なんであまり泣き系でもありませんが、独特の豊かな歌を持った人だ と思います。 ワルターやクリュイタンスともまた違ったニュアンスですが、一見ゆったりで、スタジオものなど特に あまり表情が濃くないように見えていながら、緩徐楽章も途中からだんだんと熟成が進んだみたいに味が出て来た り、などということがよくあります。 このモーツァルトは終止ゆっくり丁寧で、人によっては熱っぽさのない平坦な ものに聞こえるかもしれませんが、やはりクーベリックらしい落ち着いた味わいがあります。 個人的意見ですが、 ジュピターはきばらなくて大変いいです。 第一楽章はテンポは遅めですが、ドイツ系の演奏家がときどき見せるような低音伴奏部の几帳面な固さはなく滑ら かで、むしろ旋律の部分で一音ずつ区切って発音するようなところが感じられます。 抑揚があまり大きい方ではない でしょう。 第二楽章は案外スラーという感じではなく、丁寧に区切られながら着実に発音されて行きます。 やはりあまり大き な起伏をつける演奏ではありません。 肩肘張るというのとは正反対です。 第三楽章は力まず、ゆっくりです。 こういう風に穏やかに行くというのもありでしょう。 ぬるいと言う人もいそう ですが、別の言い方をすればやわらかく静かです。 不思議な味わいがあります。 ちょっとしなったり、ある語尾で力 が 抜けたりと、表情はあります。 第四楽章は中庸のテンポですが、けっこう速さがあります。 力まないところが良いです。 平静にして滑らか、チェ コの指揮者ですが、悲しいという感じは全くしません。 後半はそこはかとなく熱がこもってきます。 1980年のデジタル録音はデジタル最初期ということもあり、やや弦のテクスチャーがメタリックに響く傾向は あります。 しかしきつい音ではなく、明るくさらっとしています。 そのせいか、全体のバランスがあまり低域寄りで ないせいか、あまり大きな編成のオーケストラではないかのように響きます。 このモー ツァルトの40番はモダン楽器によるオーケストラの演奏の中で、ワルターの名演で満足していてもなお大変魅力的な一 枚だと思います。 厚みがあってしっとりした音色に誠実な運びというのは指揮者が変わってもスイトナー盤同様ですが、 こちらの方がつなぎが滑らかで、個人的な感想としては優美に感じられます。 ワルターのように自在にしない、変化を もって歌うという意味ではやや控えめで、ゆったりめのテンポもさほど動かず、何となく聞いていれば生真面目な優等生 に思えるかもしれません。 ベームやケルテス、マリナーの端正さとどう違うのかと言われると説明が難しいのですが、 じっくり味わうとどのフレーズも表面的にならず、表情はおとなしいながら乗れていて自発的な歌があり、楽団員の音楽 に入り込んだ熱意が感じられます。 これは指揮者固有の解釈の問題ではないかもしれません。 ワルターより新しい録音で ピリオド奏法でない40番をとなると、私はこの盤を取ります。 第一楽章はテンポから言えばスイトナーより遅い、ゆったりした運びです。 しかしスイトナーやベームなどに聞かれる ような、伴奏部分の角張った几帳面なリズムは目立たず、滑らかで静かです。 自分の好みとしてジャカジャカと一音ずつ 低音部が浮き出すのはあまり粋じゃないと感じているので、この自然さはありがたいです。 そして旋律の部分は弾力のあ るやわらかさで歌われて行きます。 第二楽章はやさしくて美しいです。 テンポは遅く、滑らかで静けさに満ちています。 古楽のアプローチとは違ってス ラーでつながれて歌われます。 展開部で盛り上がるところは絶品で、大きな呼吸に振えます。 第三楽章も遅めですが、確固とした足取りです。 ここはスイトナーとほぼ同タイムでしょうか。 ただ、第一楽章同様、 ここもスイトナーのようにリズムが角張って目立つことはありません。 第四楽章は小林秀雄こそ「疾走する」と言いましたが、ブロムシュテットはゆったり構えて走りません。 こういうアプ ローチも案外納得させられます。 焦らず、滑らかで、これが本来かなと思えます。 1981年の録音はデジタルで、レーベルは DENON ですが、日独協力ということでレコーディング・ディレクターとバランス・エンジニアはドイツ・シャルプラッテンの人の名があがっています。 大変良い録音 で、デジタル初期の問題を全く感じさせません。 スイトナー盤と同じくドレスデンのルカ教会で録られているので残響が 美しいです。 バランス的にはスイトナーのものより低音が厚く、きらびやかさはないですが、しっとりとして良い音で す。 James Levine Wiener Philharmoniker ジェームズ・レヴァイン / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 モダン楽器のオーケストラの演奏で、比較的新しいところで話題になったのはレヴァインの盤でしょうか。 大手ド イツ・グラモフォンから出ており、オーケストラがモーツァルトと同国のウィーン・フィルというのが最大の魅力ポ イントかもしれません。 レヴァインはユダヤ系アメリカ人の指揮者です。 第一楽章は中庸なテンポで、ふくよかなウィーン・フィルの音が心地よいです。 やわらかな歌い回しです。 第二楽章はあまりゆっくりな方ではありませんが、やはりやらかくよく歌います。 音自体がやわらかいので魅力的 です。 第三楽章は中庸のテンポで、終楽章も走りません。 録音は新しいだけにアドバンテージがあります。 ウィーン・フィルのものではベームが遅過ぎるなら、ケルテスか この人かということになるでしょうが、こちらは1989年のデジタル録音です。

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モーツァルトの「交響曲第25番」の解説とオススメ名盤

モーツァルト 40番 名盤

これも白鳥の歌? / モーツァルト交響曲第39番ホ長調 K. 543 取り上げる CD 28枚:コレギウム・アウレウム/ホグウッド/ガーディナー'88, '06/ピノック/コープマン/インマゼール/テル・リンデン/ノリントン /マッケラス/ヤーコプス/ブリュッヘン/ヘレヴェッヘ/アーノンクール/A・フィッシャー/ワルター /ベームBPO, VPO /ケルテス /カラヤン'70, '77, '88/スイトナー /マリナー /クーベリック/ブロム シュテット/レヴァイン/ザンデルリンク ピリオド奏法について モー ツァルト=優美なメロディーというのは思い込みだとしても、そう感じる人は案外多いのではないでしょうか。 同様 に古楽嫌いの人も結構いるようです。 オーケストラの弦楽器奏者の場合はビブラートをかけないと正確な音程を求め られ、難しいから嫌うということはあるでしょうが、一般の愛好家の中にもアレルギー 反応を示す人もいるところから、これは必ずしも技術的な意味ではなく、聞こえ方の問題もあるようです。 しかも、攻撃 的な拍の取り方だけでなく、古楽器の弦の音自体が細いといって嫌がる人もいるようです。 私は古楽器の繊細な倍音は大変 好きで、バッハの受難曲やミサ、ハイドンからベ ルリオーズまで、ピリオド楽器とその奏法を好んで聞きます。 室内楽などはわざわざマイナーなクァルテットを探す ほどで、独特のアーティキュレーションも控え目で効果的なものは好きです。 ただ、どうもモーツァルトの交響 曲と ピアノ協奏曲だけは例外である場合が多いようです。 したがってここでは、他のところでは決してしないのですが、 ピリオド楽器と その奏法によるものと、従来通りの演奏とを分けて説明することにしようと思います。 曲について 40番と同じ年に書かれた39番も名曲で す。 これら二つと最後の交響曲第41番「ジュピター」を合わせて三大交響 曲と言いますが、個人的にジュピターはあまり得意でないので今回はスキップします。 私自身モーツァルトの交響曲とい えば、38番「プラハ」の冒頭が華々し過ぎて第二楽章からかけるというのを除けば(三楽章しかない曲の一番壮麗な楽 章を取ったら何も残らないじゃないか、お前はほんとのおばかさん!)、ほとんどこの39番と40番ということになっ ている気がします。 この曲はまた、モーツァルトの「白鳥の歌」だとも言われます。 そのタイトルで別の章を設けたのに() そこでは触れませんでしたが、確かに透き通った透明さがあり、穏やかで優美な旋律が大変魅力的です。 交響曲の中でこ の波長の曲は他にないように思います。 この曲の演奏で忘れられないものの一つに、セルジュ・チェリビダッケが壮年時代に、確かシュツットガルト放送交響 楽団を指揮したものがあります。 恐らく南ドイツ放送協会提供のテープが NHK の FM でオンエアされたものだったのだろうと思いますが、今インターネットで探してもアップしている人は見当たりません。 当時のチェリビダッケは幻の指揮者で、 晩年の遅いテンポの解釈ではなく、独特の弱音奏法を敢行していました。 最弱音は非常に張り詰めた音で、本来ならフォ ルテの指定があるところでも弱い音で演奏させていました。 この方法論でやられた第39番が印象的だったのです。 出だ しのティンパニが本当に静かに叩かれ、聞き耳を立ててしまいます。 プラハの頭のところで元気良さに負けるぐらいの意 気地なしですから、これには魅了されました。 各旋律も、一つひとつが痛いほど浮き上がって聞こえました。 まあ、かな り奇抜なところのある、若さと気負いに満ちた解釈だったのか もしれませんが、白鳥の歌と呼ばれるこの曲の美しさを存分に聞かせてくれました。 それから時が流れ、チェリビダッケのせいで CD探しに苦慮することになりま す。 そんな演奏は他に全くないわけです。 古楽器演奏、またはピリオド奏法によるもの Collegium Aureum コレギウム・アウレウム合奏団 古楽のパイオニア、1977年の録音です。 後期交響曲集は72年から80年の間に収録されています。 忘れ てはいけない魅力的な楽団です。 第一楽章はしっかりとしたアタックで始まりますが、後の古楽演奏家たちが問題提起したやり方のように強烈 なティンパニが力で押すという感じではありません。 ゆったりめのテンポで自然な歌があります。 流麗にしよう というような抑揚ではなく、自発的で自分の呼吸になっている歌です。 やはり後のピリオド奏法のようではない ながら、全体にアタックは弱くはなく、くっきりとしたリズムを感じさせます。 第二楽章はのびのびとした歌が楽しめます。 テンポは中庸。 弱いところの緊張感が美しい演奏もある中、彼ら はことさら静けさを強調するのではなく、健康で自然です。 もう少しはかなさを感じさせてもいいかなと思わな なくもないですが、それはないものねだりでしょう。 第三楽章は割と重めのリズムで引きずる感じがします。 テンポはオーソドックスですが、やや速めでしょう か。 フレーズを区切って行く感じが軽さよりも真面目さを感じさせます。 第四楽章では前よりテンポが速まり、この楽章としては中庸なものでしょう。 ここも慌てず真っすぐで、実直 で面白さはありません。 奇異なところのない自然さがこの演奏の魅力でしょう。 録音はいつものように、残響の美しいものです。 Christopher Hogwood The Academy of Ancient Music クリストファー・ホグウッド / エンシェント室内管弦楽団 トレヴァー・ピノック、ジョン・エリオット・ガーディナーと並んでイギリス古楽の代表的な指揮者であるホグウッド ですが、特にピノックとはレパートリーが似通っており、バロック&初期古典派ということでよく比べられるのではない でしょう か。 全集の録音時期はホグウッドが1978年〜85年、ピノックが1992年〜95年と、ホグウッドの方が10年早 く、モーツァルトの交響曲の古楽演奏としては事実上最も早い時期に出て来たものです。 そして古楽器の演奏法自体は 60年代から色々試みられてきたことですから、必ずしもホグウッドがモーツァルト演奏の見本となったとも言えないで しょうが、やはり一つのマイルストーンではあると思います。 今聞くと、ホグウッドの演奏は決してエキセントリックなものではありません。 ピリオド奏法だなと思わせる点は三点 ほど。 極端ではないですが例の独特の、一つの長音符の中での持ち上げて降ろすような弓の力の入れようが聞かれるこ と。 フレーズの区切りで音をあまり長く延ばさないであっさり切ること。 そしてティンパニなどのリズムの扱いに工夫があり、例えば二つ続けてビートを刻むような ところで均等割するのではな く、タン、タン、ではなくてタターン、とやらせることなどです。 他にも楽譜の上でたくさんの解釈上の工夫があること と思いますが、聞いていて主に気づくのはそれぐらいでしょうか。 テンポなどは速めではありながら自然な方で、全体に 軽く快活なところがロマン派的ではないですが、攻撃的という印象は全く持ちません。 第一楽章は全体にピノックよりも溌剌としているように聞こえます。 テンポも比較すると速めです(全体としては中庸 やや速め)。 冒頭からのティンパニは軽やかで、キレはありますが過度に力強くはしません。 ただ、叩き方のリズムは上 で述べたように、二拍目にアクセントが来て弾むような工夫があります。 前進する力として、打楽器は全体を活気づける 役割なのでしょう。 短くて歯切れが良いです。 冒頭から夢見るような白鳥の歌を期待するのはお門違いでしょう。 細く繊 細な弦の音は爽やかで、風のように軽く運びます。 第二楽章もやや速めで軽く、旋律を歌う弦のやわらかさが印象的です。 第三楽章は力が抜けて軽やかながら、テンポはピリオド奏法にしては比較的ゆっくりで、伝統的な演奏と変わらない オーソドックスなものに感じます。 ここには尖ったところはありません。 第四楽章もテンポは普通で、全く違和感がなく美しいです。 録音は艶やかにして繊細です。 やや高域がはっきりしていますが、それだけにバロック・ヴァイオリンの音が大変きれ いに聞こえます。 比べるならばピノックよりやや明るい音に録れています。 残響もほどよく、かぶりがなくて潤いもあり ます。 実際高く評価されたベートーヴェンの交響曲でも、田園はアーノンクールやホグウッド の方が好きだし、全集として見てもどちらかというとインマゼールに惹かれると思ってきました。 しか し39番のモー ツァルトの白鳥の歌はガーディナーが好きです。 古楽器の演奏グループの中で一番です。 それとも、す べての CDの中で、と言っ てもいいかもしれません。 この人の魅力は、ちょっとわかり難い気がします。 完璧に整っていてどっちの角度か ら見ても崩れることがありませんが、感性を持ち合わせてない学者肌というわけではないのでは、と 時々思うときもあります。 人は多面的ですから本当に理解するのは難しいです。 「学者の音楽で感情表 現 に欠ける」というようなことを前に言っておきながらここで反対のことを書いて恐縮ですが、身内 では打ち解け た顔を持ち、繊細で親身なところもあるのでしょうか。 ともかく、この39番は控え目ながら生きた動 きを感じます。 細部まで注意が行き届いており、その美への独特のこだわりが心地良いです。 具体的に 言えば、ジャズシンガーがよくやる手ですが、歌う弦の声部が前へ出てくるところでそれとわからない ほどわずかに歩を緩めて際立たせたり(奏者の自主性?)、短い音価で行くところとテヌートを使い分 けたり、旋律のしな りに微妙に陰影があったりします。 そしてそれらがすべて自然で自発的な歌になっています。 他の演奏 と比べてのその違いは大変微細なので、何かをしながら聞いていると気づかずに通り過ぎてしまうかも しれません。 第一楽章は出だしから響くティンパニが温かい響きであまり尖らず、心地良いです。 ロマン派的な解 釈 のように目立たないように叩かせるわけではなく、しっかりリズムを刻んではいますが、でしゃばらず、むしろそ のリズムが心地良く感じます。 第二楽章はゆったりとしています。 40番ではやや速く通り過ぎたのに、どうしたことでしょう。 細 やかな配慮にこの曲への愛情を感じます。 弦の音が大変美しいです。 ガーディナーってこれほど表情豊 かだったでしょうか。 ホグウッドも、ピノックさえもちょっと色褪せる気がします。 イングリッシュ・ バ ロック・ソロイスツも大変上手いのでしょうけど、これほど微細な表情の違いを指示されて生き生きと アウトプットできるというのは、指揮者とこの楽団との普段の信頼関係を知らされるようです。 愛おし む感覚がたまりません。 第三楽章も生き生きしています。 ティンパニの低めながら軽い響きが心地良いです。 リズムはくっき りと刻んでいますが、ブツ切れ感は全くありません。 フォルテが力づくにならず、 中間部の歌もよくしないます。 あのピノックの方が速くて前のめりになっている ようにすら思えるほどです。 第四楽章もその傾向は同じで、ピノックよりテンポは緩め、慌てる感じが ありません。 ホグウッドとはほぼ同じテンポですが、それでも若干遅めでしょうか。 ピリオド奏法のせ かせかした感じが全くありません。 どこをとっても美しくゆとりがあります。 40番もそうでしたが、今はなくなってしまったレーベル、フィリップスの1988年の録音がまた 優れていま す。 残響はほどほどあり、中低域がわりと響きますが、自然で弦の艶もあまり細くならず、理想的で す。 John Eliot Gardiner The English Baroque Soloists 2006 ジョン・エリ オット・ガーディナー / イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(新盤) ガーディナーは2006年にロンドンのカドガン・ホー ルで行ったコンサートのライブ収録盤も新しく出しています。 こちらは 41番とカップリングになっていますが、表現の方法論は旧盤とほとんど変わっていません。 第一楽章と第二楽章はテンポにおいてほぼ同じで、新録音の方が ゆっくりの部分でややあっさりしているように思え、ささやくようだったところが少し普通の 小声になり、言いようによってはより健康になったとも表現できるかもしれません。 スラーに よってつながる度合いもわずかに減っている気もします。 それとも 高 音の残響成分が減っているので切れて聞こえる と いうのもあるかもしれませんが、いずれにしても違いは微妙です。 第三楽章は旧盤よりやや ゆっくりで静かになり、 途中木管(クラリネットとフルート)が装飾音符の掛け合 いを演じたりしますが、 第四楽章は逆に明らかに速くなって快活にさらっと流れま す。 最も気になる違いは音でしょうか。 旧盤はフィリップスの録音でバランスの良いものでし た。 この新盤の方は近頃の主流となっているライブ収録で、レーベルも多くのパ フォーマーが採算的に大手から出さなくなっている流れの中、ソリ・デオ・グロリア (SDG)から出ています。 これは2005年にロンドンで設立されたガーディナー自 身のレーベルのようで、非営利で彼らの録音を継続させて行くための団体だとホームページでは紹介されています。 昨今は機器も発達してある程度の投資でこう いうことが可能なようです。 ジャケットには目立つところに楽団員全員の名前と謝辞が記さ れ、第一ヴァイオ リンのリーダーがアリソン・バリーだということもわかり、民主的かつ手作り感があって良い 雰囲気です。 録音は フローティング・アースという会社が担当していることに なっており、 プロデューサーはイサベラ・デ・サバタ、バランス・エン ジニアがマイク・ハッチとなっていますが、イサベラはどうやらガーディナーの奥さんのよう で、家族経営を窺わせます。 音は近頃の傾向か、あまりきらびや かにならないバランスのもので、ハイ上がりの再生機器にはちょうどよいのでしょうか。 中低音 はそこそこ響いてバランス的にも厚めなので見通しが良いとい う感じではありません。 派手さのない高域は残響成分がほとんどないデッドなもので、弦の音に艶を加える傾向はありません。 小さいところは応援したいのでネ ガティヴなことは言いたくないですが、コンサート収録らしい生っぽさはあるものの、ちょっ と古いラジオを思わせる小ぢんまり感もあり、自分としては旧盤の方をとりたいかなというと ころです。 結論から言えば私は 39番に関してはガーディ ナー(旧)の方がちょっといいかなと思います。 どれか一人の演奏者が常に好みなら経済的なのですが、そうい うわけにもいかないのが楽しいところでしょう。 しかしこのピノックの39番もやはり優劣つけがたいほど魅力 的です。 古楽演奏の中で常に誇張が少なく、ゆったりとした歌があって安らげるのがピノックですが、ここでも 例外ではありません。 第一楽章はテンポの上ではピノックもガーディナーもほとんど同じです。 表現上では ピノックの方は、比べればピリオド奏法特有の語尾でスーッと力を抜いて引っ張る所作や ディナーミクの癖が若干強い気がします。 リズムの端正さではガーディナーで、 力を抜くところでもガーディナーは美しく感じます。 ゆっくりのところでかなり遅くする 傾向があり、静けさあるのですが、ピノックは最初の楽章からそのように緩徐楽章のような扱いはせず、素直に 流れます。 第二楽章は前半ではガーディナーの方が静かに抑えた感じで進行し、語りかけるように一音一音を丁寧に、愛 おしむように抑揚を付けて行きます。 一方ピノックはもう少しあっさりしていて、リラックスしているとも言え る自然な抑揚が良いところです。 しかし三分の二あたりから後ろになると、静かなところでピノックが滑らかに つないで行くように変化し、大変美しいです。 最後に向かってさらに減速して行き、ささやくような風情になっ てくるところではため息が出ます。 こうなるともはやガーディナーとも甲乙付け難いでしょう。 第三楽章はピノックの方が若干速くて流れますが、何気ない自然さがあり、それよりも遅いガーディナーはア クセントがあって溌剌とリズミカルです。 第四楽章もピノックの方がはっきり快速で流れるように進み、ガー ディナーはリズカルで弾むようです。 全集の録音は1992年〜95年で、優秀録音です。 適度に残響があり、細部がよ く聞こえながら全体が溶けて弦が美しいです。 輸入盤ではバラでも出ています。 Ton Koopman The Amsterdam Baroque Orchestra トン・コープマン / アムステルダム・バロック管弦楽団 バッハを大変愛しているように見受けられるコープマンですが、そのバッハでは軽さの中に適度に揺らめく抑揚が あり、やわらかな印象でした。 モーツァルト でも基本的にその楽しげな波長は変わりませんが、他の古楽の指揮者同様、やはり70年代以降に確立されてきたピ リオド・モーツァルトのセオリーは外してい ないようです。 つまり、溌剌として歯切れ良い、ロマン主義的な霧の中で夢を追ったりしない覚醒したアプローチで す。 39番は元気良く始まりますが、誰かの ように頭のティンパニが非常に強いというわけではありません。 しかし途中での叩き方にはクレッシェンドなどの工 夫があります。 意外なところでタン、タン、 とリズム感を感じさせる強調が入ったりもします。 テンポは中庸ですが、例によってスラーで延ばさないので実際よ りも速めに聞こえるようです。 第二楽章もほぼ中庸なテンポですが、ここでは逆にピリオド奏法の平均よりはややゆったり目に聞こえます。 一音 の途 中で弦がクレッシェンドしてディミヌエンド するメッサ・ディ・ヴォーチェの呼吸はありながら、あまり目立つ方ではありません。 フレーズの区切りは軽くて さっぱりしています。 ここもやはりレガートの 演奏ではありません。 コープマンらしいのは力が抜けているところでしょうか。 緊張感のあるピアニシモで息を呑む 美しさという感じではないです。 録音は1994年でレーベルはエラートです。 中域に寄った響きで、残響はほどほどの長さですが、やや箱鳴り感 があります。 高域が艶やかという録音ではありません。 というのも、この白 鳥の歌とも呼ばれることのあるお仕舞いから三番目の交響曲は、その繊細で優美な旋律が魅力的で、静かに、もし悲 しみというものがあるのなら結晶の中に閉じ込めてしまって、あくまでも透明に羽のように軽やかに翔けてほしいぐ らいに思っていたわけです。 ところがこの演奏、軽いは軽いものの、そういうヨーゼフ・ランゲの肖像画みたいにう つむいて遠くを見ているようなのは本当の モーツァルトじゃないよ、歴史の垢だよと言わんばかりに嬉々として弾けんばかりです。 しかも聞いているとそれが この曲本来だと思えてくるから不思議です。 ティンパニが元気いっぱいなのは迷惑です。 しかし頭の部分からキレが良いです。 でもアーノンクー ル盤がタメを作ってからテンポを遅め、断定的な迫力をもって叩いているのとは違い、軽くて弾けるような音です。 第一楽章は全体に力強くはありますが、その中に軽さもあります。 第二楽章はやや速めのテンポながら自然な歌があ ります。 第三楽章はテンポは普通ですが、やはり弾むようなリズムでダイナミックです。 終楽章は特に速くなく、古 楽器による演奏であることをさほど意識させないオーソドックスなものに聞こえます。 伝統的な演奏とどちらが好きなのかと言われると今でも悩みますが、もはや方法論だけでは決められない、ひとつ の完成された演奏だと思います。 2001年の録音は大変優れています。 透明さがあり、ヴァイオリンの音が瑞々しく響きます。 編成の大きくな い、楽器にこだ わったオーケストラの良さが十分味わえます。 Jaap Ter Linden Mozart Akademie Amsterdam ヤープ・テル・リンデン / モーツァルト・アカデミー・アムステルダム オランダのヴィオラ・ダ・ガンバ奏者 、ヤープ・テ ル・リンデン のバッハのチェ ロ組曲はリラックスした大変素晴らしい演奏でした()。 ここ では指揮者としてモーツァルトの交響曲に挑んでいます。 その名を冠した楽団を作って全集も出していると ころをみると、この作曲家に特別な思い入れがあるのでしょうか。 39番の演奏ですが、第一楽章は出だしの音から厚みがあり、ティンパニは低音寄りの響きです。 テンポ はやや遅めで、素朴さを感じます。 リズムはわりと重めで、軽快で歯切れ良いといういかにも古楽器演奏と いう感じのものではありません。 また、静けさと繊細さに特徴があるという方向でもありません。 オランダ の指揮者と楽団ですが、ひとことで言うと実直なドイツ系の人のような演奏に感じます。 途中で走ったりす る表現は一切なく、一音一音はっきりとアーティキュレイトして行きます。 第二楽章はゆっくりです。 スラーでつなぐのではなく、区切って行く感じで、滑らかに流れるようにやる 意図はないようです。 第三楽章は重めのリズムでどっしりとしています。 中庸ややゆったりめのテンポです。 第四楽章もどっし り、しっかりしており、くっきりと重めなリズムです。 スポンジに対するパウンド・ケーキというところで しょうか。 テンポもこの楽章にしてははっきりと遅めだと思います。 どこまでもゆったりと一定に進みま す。 面白みと軽さはありませんが、素朴で実直な良さがあると言えるでしょうか。 2001年の録音は残響が全体に良く付き、しかし高域が響き過ぎることはなく、バランス的には中低域 寄りです。 Roger Norrington Radio-Sinfonieorchester Stuttgart ロジャー・ノリントン / シュトゥットガルト放送交響楽団 ノリント ンという人は存在感のある人です。 とにかく楽しい演奏という意味では他にはない良さがあるの ではないでしょうか。 特にユニゾンで始まるところが芝居っけのある25番や、ともすると大編成で重たく なりがちなジュピターなど、これほど楽しく乗れる演奏はめったにあるものではありません。 39番は個人 的にはささやくように美しく歌って欲しいですが、そういう期待を押し付ける相手ではないでしょう。 これ はこれで喜んでみたら良いと思います。 第一楽章は軽く明瞭なティンパニの音、という感じでもないながら、やはりなかなか元気に叩かれて始ま ります。 ロングトーンの途中で弱めたりする独特の呼吸法はここでも健在で、ただ歯切れ良くやるだけでは なく、結構引きずったような拍の扱いもあります。 低くうごめくような構えから何か獣が飛びかかるような バネの効いた表現もあります。 第二楽章も途中からスタッカートにしたり、飛び跳ねるような動きがユーモラスです。 第三楽章はアクセントに癖があるものの、案外普通に聞こえます。 昨今は他の演奏者も色々仕掛けを工夫 するからでしょうか。 終楽章はやや遅めのテンポで、重めのリズムでくっきりとしています。 Charles Mackerras Scottish Chamber Orchestra チャールズ・マッケラス / スコットランド室内管弦楽団 オーストラリアで生まれ、イギリスとチェコで学んだ幅広いレパートリーを持つ指揮者でしたが、 2010年に惜しまれつつ亡くなっています。 モダン楽器によるピリオド奏法を行っていますが、突飛なところはなく、レクイエムで見せた先鋭さ、寒 色の響きという特徴はここではあまり感じません。 録音の状態も違うので演奏だけの問題とも言えません が。 最近のものらしく色々工夫は感じられますが、案外淡々として自然な進行です。 むしろもっと前の時代 の語法かと思わせるような部分も聞かれます。 第一楽章は出だしの部分で、二拍目に三つ続くティンパニのリズムが二音に聞こえます。 弱いのか叩かれ ていないのかと耳を澄ましましたが、他のパートもそういうリズムになっているので、そう演奏しているの でしょう。 つまり「ダーン、ダダダーン」ではなくて「ダーン、ダダーン」です。 テンポは速いです。 スト レートな歌わせ方です。 結構迫力があります。 ただ、中高域が反響によってきらびやかに響くせいで、 ちょっと音がキツい気もします。 途中、第二主題への導入が大変遅く、その後意外にもチェンバロが鳴らさ れて次の主題が始まります。 こうした抑揚によるのではない工夫は面白いと思います。 それから途中から アッチェレランド(だんだん速くなる)して猛然と進むところがあります。 フルトヴェングラーですらモー ツァルトでは途中から駆け出したりはしないものだと前に言いましたが、これにはちょっと驚きました。 ま た、通奏低音の弦が持続音に聞こえているとでも言いたくなるような処理があったりもします。 第二楽章は中庸なテンポです。 前の楽章と比べるとゆったりに聞こえます。 やはり語尾は過度には延ばし ません。 リタルダンドが出たりしますが、表現上突飛な感じはどこにもありません。 中間部の力強いところ が印象的です。 静けさの方には力点がないのでしょうか。 全体にテンションの高い演奏です。 第三楽章は速いです。 そのせいもあり、ちょっと低音のボンつきが気になりました。 エネルギッシュで す。 教会録音のようによく反響しています。 第四楽章は普通に速いです。 反響の中でどんどん続けて進行して行く感じです。 このテンポならもう少し 音が明瞭だといいと思います。 撫でるようにつなげて行くテヌートの弦が場所によってすすり泣きのような効果をもたらしています。 対 してリズムははっきりとしています。 しかし全体的には表現はオーソドックスなものに感じます。 中低音が ボンとよく響くところは同じ趣向のアダム・フィッシャーとは録音場所も録り方も違うようです。 トータル では意外とストレートな演奏に感じます。 レクイエムで見せた厳しく引き締まったクールさとは別の印象で す。 2007年の録音はエンジニアが元デッカのジェームズ・マリンソンです。 ただ、すでに色々述べました が、今回の録音のバランスは正直私の好みではありませんでした。 Rene Jacobs Freiburger Barockorchester ルネ・ヤーコプス / フライブルク・バロック・オーケストラ アーノンクールに勝るとも劣らない古楽独特の工夫が凝らされた新しいヤーコプスの録音、白鳥の歌とも呼ばれる 39番では比較的その元気さが抑えられているような気がしますが、傾向は同じだと言って良いでしょう。 第一楽章 は中庸なテンポで決して速くはありませんが、リズムがくっきりしています。 第二楽章のテンポはゆったりしていま すが、古楽独特の山なりの強弱がかなりしっかりと付けられていま す。 第三楽章は速く、短く切って強調されたリズムで勢いが良く、第四楽章のテンポは中庸ですが、はきはきしてい てブラスが元気です。 録音は40番のところで書いた通りで、低音がしっかりしていて残響は少なめです。 2008年の収録です。 Frans Bruggen Orchestra of the Eighteenth Century フランス・ブリュッヘン / 18世紀オーケストラ 以前とは違い、大変自然体になってきたブリュッヘンですが、39番の演奏で特徴的なのは、古楽器に よるピリオド奏法でいつも感じるブツ切れ感がないところでしょうか。 拍の区切りをはっきりと取るところと、それに対 するアンチテーゼのように故意に引きずるところとを設けてコントラストを付けるという手法はピリオド奏法の他の指揮 者でもときどき聞かれますが、ここでは後者の引きずるようなテヌート気味の歌わせ方が印象的です。 そして古楽演奏で はめずらしく全体にスラーがかかったようなその扱いにより、旋律線がよくしない、滑らかです。 第二楽章はゆったりめ のテンポです。 後ろ二つの楽章は大変オーソドックスな印象です。 グロッサの2010年の録音は40番のところで述べた通り、自分の好みからするとややオフで明瞭さに欠けるような 印象を持ちます。 演奏は自然で素晴らしいのでちょっとだけ残念です。 これも再生機器によるかもしれません。 Philippe Herreweghe Orchesre des Champs-Elysees フィリップ・ヘレヴェッヘ / シャンゼリゼ管弦楽団 40番よりもストレー トさが減り、その分工夫が生きた演奏であるように感じました。 第一楽章のテンポは中庸で、遅い方ではありませ ん。 第二楽章もゆったりの方向ではありません。 洗練を感じさせる速度です。 表現はピリオド奏法をとっている演奏 家たちの中で最も誇張 がないものかというとそうでもなく、この人にしては案外メリハリが効いている方でしょう。 リズムが適度に歯切れ 良くて心地良いです。 拍の区切りと間の置き方は くっきりとしています。 所々で意図的な音の強弱による揺れというか、歌い回しに微妙な変化が聞かれます。 こうし た表現が説得力を持つかどうかは受け手の感性にもよると思いますが、最近のように数としても色々工夫の凝らされ たものを聞くようになってくると、ディテールが少し違うバリエーションの一つぐらいに聞こえてしまいがちで、必 然性はよくわからない気もします。 少なくとも私には新鮮ということはありませんでした。 第三楽章は軽快で弾むよ うです。 第四楽章も同じ傾向で、快活で生きいきしています。 録音はトータルでバランスが良いですが、響き方が生真面目で個人的にはあまり魅力的ではありませんでした。 2012年の録音です。 モダン楽器を使って古楽器奏法のアーティキュレーションでやる、いわゆるピリオド 奏法ですが、全体の印象は大変フレッシュです。 弾けるような軽さがありながら優美な歌が聞け、この39番はなか なかの名演だと思います。 最初の楽章でこの曲に対するアプローチはわかるもので、伝統の塵を落として元気良く先鋭にやりたいのか、白鳥 の歌と呼ばれるこの曲の持つ優美さに焦点を当てたいのかがはっきりします。 ピリオド奏法では結構グイグイ来られ るものが多い中、この演奏はどちらのステレオタイプにも堕せず、新鮮にして優美です。 リズムに工夫がある一方 で、その静かに繊細にしなう歌 い回しは絶品です。 出だしのティンパニは結構軽い音で間を取って落ち着きはあるながら、結構勢い良くリズミカルに叩かれます。 途中で緩めるなど、均等なリ ズムでないところと、打っておいて止めるような拍の区切りに意欲が聞かれます。 一方で続くメロディーラインは繊 細に表情を付けます。 第二楽章はテンポこそゆったりしているわけではありませんが、ここにも静けさがあります。 やはりフレーズの語 尾を切るところとアクセントは現代のピリオド奏法的ですが、デリケートで美しく感じます。 第三楽章はあまり力を込めたようにはなりません。 リズムに軽さがあるせいでしょう。 リズミカルで独特のグルー ヴ感があります。 それでいて弦が歌うところでは対比的に滑らかに、引っ張るように撫でて行きます。 第四楽章は40番の第一楽章同様、細かく浮いたり沈んだりしながら進行します。 テンポはやや速めながら常識的 な範囲内で、この演奏者は全曲を通じて、たとえ駆け足になっても威圧感は感じません。 軽さがあります。 2012年の録音はこの手のピリオド奏法モダン楽器というものの中ではきれいなものの一つでしょう。 弦も管も 瑞々しく心地良いです。 レーベルはデンマークのダカーポです。 Nikolaus Harnoncourt Concentus Musicus Wien ニコラウス・アーノン クール / ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス モーツァルトの三大交響曲はこれまでにすでに二度録音している古楽ムーヴメントの急先鋒、アーノンクールですが、 年とともに穏やかになって行っているこの指揮者にしては珍しく、モーツァルトの交響曲についてはこの最新の録音でも 最初のものとさほど変わらない劇的な表現を貫いています。 最初はロイヤル・コンセルトヘボウと1980年に録音して そのアグレッシブさが話題になり、次いで91年にヨーロッパ室内管弦楽団、そして今回アーノンクール自身が設立した 楽団による古楽器の演奏となりました。 この指揮者は好きですが、ヴィヴァルディの四季とモーツァルトの交響曲、特に この39番だけはその創意工夫が個人的には必然に感じられない気分のままでいます。 四季については昔のイ・ムジチの ようなまったりした演奏が今決して繰り返されなくなったことをさして懐かしく思わないのですが、「白鳥の歌」はもう 少ししんみり聞きたいと言えば、やはり時代に乗り遅れてるでしょうか。 第一楽章から芝居っ気は全開で、ゆっくり主題を提示した後のつなぎで軽快に走ったり、ティンパニの加わるところで 遅めて断定的に強く打たせたりしています。 テンポは速めです。 第二楽章はこの人独特の歌い回しの上手さが堪能できます。 ただ優美なだけではないモーツァルト像を示すというのが アーノンクールの意図なのでしょうが、元々美に対する感受性が豊かな人なので十分に美しいです。 テンポは中庸やや速 めというところです。 第三楽章はまたテンポが大胆に変動し、ティンパニは元気よく強調されて叩かれます。 第四楽章はあまり速いとは言えない中庸なテンポながら、アクセントはやはり強くて勇ましいです。 録音は新しく、2013年でムジークフェラインでのライブ収録です。 モダン・オーケストラによる演奏 Bruno Walter The Columbia Symphony Orchestra ブルーノ・ワルター / コロンビア交響楽団 40番が定番と言われる名演であり、ワルターと言えば歌にあふれた手弱女振りというのが評判ですから、39番 についてはその曲の性質からぴったりだろうと想像するわけです。 果たしてどうかというと、そういう思い込みから すると案外元気です。 第一楽章は最初からほどほど力強いですが、ピリオド奏法とは違ってティンパニは鋭くはありません。 編成が大き いせいもあって分厚い音が重めにやって来ます。 テンポはゆっくりです。 個人的にはかなり遅いなと感じます。 節回 しはヘヴィ・クリームのように滑らかです。 第二楽章は大変ゆったり、静かに入ります。 やはり滑らかだけれども、一歩ずつ踏みしめて歩くような運びです。 もう少し軽 さとウィットがあってもと思わなくもありませんでした。 真面目でじっくり、悪く言えば若干間延びしているとも表現で きるかもしれません。 第三楽章は力強くてくっきりしています。 テンポはやや遅めながら、中庸の範囲です。 中間部ではワルターらしく 滑らかに歌います。 第四楽章はモダン・オーケストラの演奏としては中庸な方で、遅くはありません。 そして大変はきはきしています が、軽やかというのとは違います。 好みとしては、この楽章はもう少し軽快に行ってくれればと思わなくもありませ んでした。 しかしワルターで揃えたいなら、やはり名演だと思います。 録音は1960年。 40番のときのセッションとはバランスが違います。 イコライザーで調整しても、40番の方 が上手く行きました。 少し寝ぼけて反響が多いような気がします。 ソニーの日本盤 DSD リマスターは、ここではややシャキシャキした音に感じます。 Karl Bohm Berliner Philharmoniker カー ル・ベーム / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 モダン楽器によるオーケストラの演奏で、三大定番と言われるものの一つです。 残りはワルターとカラヤ ンですが。 ベームの演奏は大変実直で生真面目、リズムの一つひとつがくっきりと手に取るように見えま す。 こう言うと古楽器の演奏がリズムをはきはきと区切って、ときにスタッカートのように歯切れ良くやる のが流行になっているのと似ているように聞こえますが、実際に聞くと全くニュアンスが違います。 古楽器 オーケストラの指揮者たちは鋭角にえぐることで新鮮な驚きを提供したいという意図があるのだろうと思い ます。 一方でベームのリズムのかっちり感は、鋭く切れるという方向ではなく、一歩ずつ区切って確かめて 行くような真面目なもので、重さ軽さで言うなら重みを感じます。 二つある録音のうち、ベルリン・フィルとのものが前、ウィーン・フィルとのものが後になり、前者の方 がテンポが速くて筋肉質だというのが全体的な傾向ですが、この39番についてはテンポはずいぶんゆった りで、ウィーン・フィルに迫るところもあります。 大変しっかりと演奏しているなという印象です。 1961年の録音はステレオ初期ですが、何の不満も感じないバランスの良いものです。 リマスターのせ いもあるのでしょうか。 これについては比べてないのではっきりしたことが言えませんが。 Karl Bohm Wiener Philharmoniker カー ル・ベーム / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ベーム晩年の、大変ゆっくりな演奏です。 レクイエムなど、私はちょっとついて行けませんでしたが、これもかな り遅く感じます。 止まりそうだというと言い過ぎでしょうか。 ただ、この時代の大変正統的な演奏をする指揮者です し、やわらかな音の伝統的なオーケストラですし、老翁ベームの良いところは自然体であるところです。 力が一切入 らず、悠々と流れて行きます。 第二楽章のゆったりさなど、他にはないのではと思わせます。 これはこれで味わいが あると言えるでしょう。 この時期の録音は大変ナチュラルで、グラモフォンのアナログ録音としても優れていると思います。 1979年の 収録でした。 Istvan Kertesz Viener Philharmoniker イシュ トヴァン・ケルテス / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ハンガリー出身のユダヤ系指揮者、ケルテスの演奏はどこにも欠点のない均整のとれたものであ り、そういう意味では正統派の最たる ものと理解されているベームのベルリン・フィルとの演奏と比較できるのかもしれません。 ただ、ベームほど四角く はなく、やわらかな印象のあるモーツァルトの39番など、一つの模範と言えるかもしれません。 ウィーン・ フィルとの演奏であるため、デッカの録音と相まって音の面からも喜ばれているようです。 第一楽章はやや遅めのテンポで、モダン・オーケストラらしい落ち着いた重い運びで滑らかです。 第二楽章もゆっ たりで、ここにはあまり波はありません。 大変穏やかな印象です。 第三楽章も終楽章もまた、大変オーソドックスな 完成度を見せます。 1962年の録音は40番よりも古いようですが、ここでも音は悪くありません。 Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker ヘルベルト・ フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 レガートの帝王、カラヤンの39番はどうでしょうか。 静かな白鳥の歌に、滑らかでロマンティッ ク、艶やかなベルリン・フィルハーモニーという組み合わせは最高のような気がします。 ただ、今あら ためてこうして聞くと、ピリオド楽器による演奏の嵐がクラシック市場を席巻した後の今となっては、 過度に大編成で重厚に聞こえるのではないでしょうか。 颯爽としていたカラヤンですら、その滑らかさ が重さを感じさせます。 この第39番についても、全部で何回カラヤンが録音をしたのか、詳しいことを知りません。 一般的 に流通しているものは、1970年、77年、そしてラスト・コンサートでの88年ということになる でしょうか。 演奏様式についてはこれも40番と同様で、モーツァルトに関してはカラヤンの演奏は時 とともに大きくやり方を変えて行くということはなかったように思います。 1970年のこの盤の特徴 は、その後の77年のものよりも幾分ゆっくりで、レガート度合いも大きい気がします。 カラヤンの個 性という意味では、案外この70年盤に特徴が出ていると言えるかもしれません。 録音は十分に良く、イエス・キリスト教会で収録されているためもあって残響が長くて芳醇な味わい です。 その分やや透明度は落ちるかもしれません。 Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker ヘ ルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1977年にはあまり期 間を空けずに新録音が出ました。 ベルリン・フィルハーモニーザールでの録音で、旧録音よりも残響成 分が減ってすっきりしました。 しかしデッドというわけではありません。 大変良いバランスだと思いま す。 テンポもややすっきり、スラーのつながりも若干もやが晴れたところがあるようですが、やはり相 変わらず滑らかにして重厚です。 Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベ ルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1988年、ブラームスの来日時のライブが圧倒的名演で、それが日本での最後のコンサートになったということは別 項目で触れました()。 この39番は そのときに行われた演奏です。 演奏順もあり、曲も曲であるがゆえ、ブラームスのような神懸かりの燃焼は見せません が、遅いテンポで、元来重厚だったカラヤンのモーツァルトの中でもさらに重厚な運びとなっています。 第二楽章はさほ ど遅いわけではないですが、全体には何か、冗談と卑猥と白鳥のモーツァルトというよりもむしろ、病と向き合った晩年 のベートーヴェンとでも言うべき雰囲気で、もはや滑らかさや優美さという種類ではなく、重く真剣な印象です。 音はさすがに日本でのライブ録音だけに、前二者と比べるといかにもライブらしい感じです。 1960年から4年間音楽監督だったこのスイトナーの盤は、モダン・オーケストラの演奏する 39番の中では バランスが良く、 今のところ最も気に 入っています。 40番では同オーケストラの後発盤であるブロムシュテットのも のが素晴らしい演奏でしたが、39番では自分の中で逆転していて、両方手の届くところ に置いておかなくてはならなくて悩むところです。 第一楽章のティンパニは控えめで、やわらかく入ってスラーでつながります。 リズムの区切れ感は40番のときのよう には出ておらず、この曲の雰囲気に合っています。 残響のあるルカ教会での厚みのある音が魅力的です。 古楽器奏法とは 違ってリズムは軽いものではなく、着実で滑らかであり、さすがに東側の伝統オーケストラの落ち着きです。 第二楽章はやわらかく、静かで大変ゆったりです。 ウィットに富んだという感じではなく、良い意味での真面目さを感 じます。 運びはやはりピリオド奏法ではないので、スラーが聞かれます。 穏やかでよくしなう節回しで、途中弱めるとこ ろで消え入るように繊細に扱い、スイトナーはこんなにデリケートな表情を与える人だったかと驚きました。 展開部では 力のある盛り上がりを見せます。 弦の音が繊細で滑らかです。 第三楽章は遅めのテンポで、しっかりしたリズムながらしつこさがありません。 終楽章はゆったりではあるものの、遅くは感じません。 ドイツ・シャルプラッテンの1975年のアナログ録音は落ち着いた良い音です。 ヴァイオリン群の艶と分解がちょう ど良く、最新録音に劣るところがありません。 分解能の高いオーディオ・ファイル向けの音ではないですが、厚い低音の オーケストラが堪能できます。 Neville Marriner Academy of St Martin in the Fields ネヴィル・ マリナー / アカデミー室内管弦楽団 小規模な室内管弦楽団でありながら、古楽器による演奏ではないマリナーとアカデミー室内ですが、これはこれで独自の魅力があるかと思います。 大げさでな く、常に端正でありながら繊細なウィットに飛んでいます。 39番などは大変期待した演奏でした。 フィリップスに録音 したこの盤の後にも EMI からディジタル録音が出ていますが、そちらはよりダイナミックな表現に変わり、テンポも遅めになっている部分があり、音は初期デジタルのちょっとギスギス したところのあるもの(主観の範囲ですが)なので、ここではアナログ盤の方のみを取り上げさせていただきます。 ただ、40番のところでも述べましたが、このモーツァルトの交響曲については、少なくとも私の手に入れた DUO の廉価版シリーズの音はややオフで、反響も少ないデッドなものでした。 ピアノ協奏曲などでは大変優れた録音になって いるのでちょっと残念です。 39番も中庸なテンポで、第一楽章は、いつもどちらかというとやや軽快なことが多いこの人にしてはゆったり目に感 じます。 しかし表現は過度に引っ張らない端正なものです。 第二楽章も中庸のテンポで端正さが際立ちます。 もう少しやわらかに表情をつけて歌う方が、と思わなくもないです が、マリナーらしく出しゃばらないのでしょう。 第三楽章も中庸で端正、力が入らないところが特徴かと思います。 終楽 章も遅くはなく、中庸なテンポで進みます。 1978年と表記されている録音は、40番と8年の開きがあることになっていて別のセッションなはずですが、音は 案外似ていてやはりちょっと高域がオフ、残響の面からするとデッドです。 弦に艶はあるのですが、40番同様、個人的 にはイコライジングしてしまった経緯があります。 熱気のある演奏では ないで すし、テンポもゆったりですが、案外はきはきしたところもある清潔にして繊細な演奏です。 第一楽章はモダン・オーケストラとしては中庸の範囲のテンポですが、まあゆったり目と言えます。 音の扱いはピ リオド奏法とは違って弦にスラーがありますが、一つひとつ音を出して行きますので、カラヤン・レガートとのよう に厚いもやの中でつながった滑らかさとは違います。 出だしは力で押さず、管楽器もやわらかく抑揚があります。 ワ ルターよりも間が取れているでしょうか。 ピアニシモでよく延ばすところがきれいです。 第二楽章は滑らかで遅めなので、棒のように延ばしているように感じる人もあるかもしれませんが、ニュアンスは かなり繊細についています。 やわらかく弱めたり、大仰でなく膨らませたり、愛おしむようです。 モーツァルトのは かなさというよりも大人の落ち着きを感じさせますが、後半は夢の中を漂うようで、いい演奏だと思います。 録音が もう少ししっとりだったら演奏に合い、自分の中でベストの評価に入るかもしれません。 第三楽章はゆったり力が抜けて、着実です。 やや遅めでリズムが幾分区切れているように感じます。 終楽章は中庸 なテンポに変わりますが、着実な歩みは変わりません。 1980年の最初期のデジタル録音です。 高域がややサラッとしてヴァイオリンに浮いた艶が加わりますが、バラ ンスは良いです。 低音のたっぷりした音ではなく、室内管弦楽団のようにくっきりとして聞こえます。 これでフォ ルテの弦がもう少し滑らかだったら文句のないところですが。 リマスターによって印象が変わる範囲にはあります。 Herbert Blomstedt Staatskapelle Dresden ヘルベルト・ブロムシュテット / シュターツカペレ・ドレスデン スイトナー盤 の後にデジタルで出たドレスデン・シュターツカペレの演奏は、40番が圧倒的に良かったために期待しました。 良 い演奏ですが、比べると私はスイトナーの方が逆転して良かったように思います。 テンポが大変遅く、ちょっと着実 に過ぎるように感じられるせいだと思います。 古楽器とピリオド奏法によるアプローチの正反対と言えるかもしれま せん。 他の指揮者同様、40番の鮮烈に対して39番を静かで穏やかな曲だと位置づけているのでしょうが、 ブロムシュテットの捉え 方は全体がロマン派的な緩徐楽章のように壮大な方向です。 常に作為を感じさせない東ドイツの楽団ではあります が、 ここではオーケストラの自発的な中庸さを超えて指揮者の設定を感じます。 第一楽章のテンポはしっかり遅いです。 角を付けて区切るわけではないですが、リズムも重いです。 一音一音はっ きりしていて大変ゆっくりやります。 第二楽章はスイトナーよりゆっくりしています。 悪く言えばのっぺりしているとも表現できるでしょうか。 展開部 では盛り上がりますが、全体では私はやや平坦に感じます。 ただ、クーベリックにもそんな感じがありましたが、よ く聞いていると穏やかで、染み出してくる味わいがあるとも言えます。 第三楽章はスイトナーとほぼ同タイムで、一歩一歩進みます。 ただ、やはり主観的にはスイトナーより遅さを感じ ます。 どうしてでしょうか。 リズムの区切れた感じから来るのか、平坦さのせいでしょうか。 第四楽章も遅く平坦に 感じます。 真面目な好演という見方もあると思いますが。 後半では力強さもあり、この楽団の伝統を感じさせます。 1982年の DENON PCMシリーズのデジタル録音はシャルプラッテン側の技術者を立て、厚みのある自 然なバランスで弦も爽やかです。 James Levine Wiener Philharmoniker ジェームズ・レヴァ イン / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン・フィルの演奏です。 アメリカ生まれのユダヤ人の指揮者、レヴァインの盤も話題になったようです。 この楽団で聞きたければベームかケルテスかこ の人かという話になるかと思います。 演奏はケルテスと並んで大変オーソドックスです。 第一楽章のテンポは中庸ですが、ややゆったり目かもしれません。 明らかに古楽器の小楽団とは違います。 第二楽章も オーソドックスなテンポ設定です。 一方で第三楽章はやや速く、若干リズムにキレがあります。 第四楽章もモダン・オー ケストラとしては速めの方でしょう。 最大の魅力は VPO の音かもしれませんが、1986年の録音はこの楽団らしいやわらかい風合いをよく伝えてい ます。 ただ、鮮明な方向ではなく、案外残響が含まれた録り方です。 キツさはありません。 Kurt Sanderling Deutsches Symphonie-Orchester Berlin クルト・ザンデルリンク / ベルリン・ドイツ交響楽団(旧ベルリン放送交響楽団) ザンデルリンクは現在のポーランド領に生まれ、ユダヤ系であったためにナチから逃れてソ連でデビューし、後に東ド イツで活躍した指揮者です。 2011年に98歳で老衰のため亡くなっています。 一方ベルリン・ドイツ交響楽団の方は以前ベルリン放送交響楽団という名で呼ばれており、米軍占領地区の楽団として 設立された旧西側のオーケストラなのですが、ベルリンにはたくさんのオーケストラがあって混乱します。 同じ名前のベ ルリン放送交響楽団は東側にもあり、現在も存在しています。 また、ベルリン交響楽団という名前も二つあります。 東側 にあったものは現在ベルリン ・コンツェルトハウス管弦楽団と名称を変え、西側のものは戦後に設立された楽団で、現在は リオール・シャンバダールが主席指揮者を務めています。 この楽団は私も聞きに行き、世間の軽い扱いとは裏腹に大 変上手で楽しませてくれました。 特にアンコールで取り上げられたエニグマ変奏曲の「ニムロッド」は、通常最後で 盛り上げるところを中程以降で波打つようにエネルギーを高め、圧倒的に気の入った名演だったため、以後どの CDにも満足できなくて困っています。 脱線しましたが、これ以外にも旧東側だった シュターツカペレ・ベルリン(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)もありますし、世界一上手いと言われるベルリン・ フィルは名を挙げるまでもないでしょう。 今回この CDで演奏している ベルリン・ドイツ交響楽団は、1991年 という時期から言ってアシュケナージが 主席指揮者だった頃だと思います。 さて、演奏なのですが、カップリングになっている田園もゆったりほのぼのとした味わいで良いのですが、気のせいか どうか、どうもミスが多いように思います。 編集していないだけという問題だとも言い難い感じです。 第一楽章でフルー トのテンポが走って合わず、フライングのように聞こえるところがありますし、クラリネットの音もピッチが合ってるの かと思う箇所があります。 全体に揃わない微妙な感じはアンサンブルの乱れと言うべきかもしれません。 正直、この楽団 一流だったっけとケースを再確認してしまいました。 合っているところは問題ないので第二楽章などの美点に目を向ける べきでしょう。 出だしで面白いのは、最初の音が一斉にドンと強く出るのではなく、ティンパニが鳴って一瞬遅れて他が スタートし、途中から盛り上 がるように感じるところでしょうか。 ボン、ガ〜ンという感じで全体の演奏を象徴しています。 テンポはゆったりで、この 人の演奏には独特のリラックス感があって良いです。 音を鳴らす前にちょっと確かめているような風情があちこちにあっ て、ややもったりしているようにも響くのですが、ユルさは美点にもなり得ます。 第二楽章はよく響かせていながらスローだという不思議な感覚です。 穏やかできれいです。 このゆったりした感覚は平 和で幸せです。 これが良いとなると他では探せない個性です。 やさしく抱かれているような感じと言いましょうか。 続く 第三楽章も余分な力が入らず、ゆったりとたゆたって良い雰囲気です。 アンサンブルの微妙な揺れも美点に聞こえてしま います。 終楽章も肩の力が抜けています。 技術的に言えば不満なのに、なんか魅力のある不思議な演奏だと思います。 お 昼寝の後の幸せ、でしょうか。 録音は良いです。 ライブなので会場のノイズなどは聞こえますが、自然という意味では演奏ともども良い雰囲気です。 目の覚めるような音ではないですが、自然な弦ののびのびした音が楽しめます。 Weitblick というレーベルは知りませんでしたが、ドイツのものながら日本で曲目選定をして、日本向けに出されているもののようです。 中の解説もドイツ語、英語と来 て、日本語が印刷されています。

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天才の最後から二番目の交響曲。その解釈をめぐって。テーマは「悲・喜」?「悲哀」? モーツァルト:交響曲第40番

モーツァルト 40番 名盤

こんにちは。 ともやんです。 10代でマーラーに出会ったワルターは、すっかりマーラーに心酔し、その激しい指揮ぶりから、せかせかした歩き方、咳払い、爪を噛み仕草まで真似をするようになりました。 その一方、マーラーの強力な影響が自分の個性を殺しはしないかと案じ始めたりもしました。 やはりワルターは、ただのハイティーンの若者ではありませんでした。 自分を客観的に見られるだけの落ち着きと頭の良さを持っていました。 そこで自分の個性を見極めようと20歳からの5年間は、ブレスラウ、リガ、ベルリンで過ごし、1901年の25歳の時に再びマーラーのいるウィーンに赴いたのです。 オペラの楽長として過ごしたウィーンの11年間は、ワルターにとって幸せな期間でした。 古都ウィーンの持つ優雅で芸術的な雰囲気はワルターすっかり魅了したのです。 また、ソプラノ歌手エルザとの出会いとロマンティックな恋愛を経て結婚したのもこの地でした。 ただ、1911年、師であるマーラーの享年51歳という早すぎる死にも遭遇する悲しみもありました。 ワルターは、1913年、ミュンヘンの歌劇場の総監督の地位に就くことになり、思い出深いウィーンを後にしたのでした。 385 Symphony No. 35 in D Major, K. 05:09 I. Allegro con spirito 2. 06:48 II. Andante 3. 03:05 III. Menuetto 4. 04:02 IV. Presto total 19:04 ブルーノ・ワルター — Bruno Walter 指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック — New York Philharmonic Orchestra 録音: 16 January 1953, New York, United States 素晴らしい演奏です。 生命力に溢れ、早くもなく遅くもない絶妙のテンポ設定でニューヨークフィルの厚みと威力のある響きで、豊潤にして時には羽毛のように軽やかに奏でるモーツァルトは最高です。 フルトヴェングラー、トスカニーニと並び、20世紀最大の指揮者と賞されるブルーノ・ワルター。 ナチズムの蔓延するヨーロッパを離れ、アメリカに亡命したワルターが、1941年から亡くなる前年の1961年までアメリカのコロンビア・レコード 現ソニー・クラシカル に残したすべての録音をCD77枚にまとめたボックスセットです。 これはまた、現社長ボグダン・ロスチッチのもとでソニー・クラシカルが新たな組織として出発してから10年という節目となる今年、「ソニー・クラシカル再生10周年」を記念してのリリースでもあります。 ワルターはその長い音楽活動の中で、レコード録音を特に重要視したパイオニア的演奏家の一人でした。 また、カラヤンと同様に、録音技術の進歩に応じて、同じ曲を繰り返し録音し、それが音楽家としての成長・円熟をも記録することになった演奏家でした。 このボックスセットには、そうしたワルターのアメリカ・コロンビアへの録音がほぼ発売年代順に収録されています。 ワルターが録音の経歴をスタートさせたのはアコースティック録音の時代 本人の証言では1900年とされていますが、現在残されている最古の録音は1923年のベルリン・フィルとの独ポリドール録音 で、生涯にわたって約150もの作品を録音 その多くは複数回 していますが、彼が集中したのはモーツァルトからマーラーにいたるドイツ・オーストリアの作曲家でした。 電気録音が開始されるとワルターの録音量は飛躍的に増え、特に1934年からのウィーン・フィルとのSP録音は、当時世界的にもっとも高く評価された名演ぞろいでした。 スポンサーリンク 最後に 僕が、クラシック音楽に興味を持ち、特に用もないのにレコード屋に入り浸っていた頃が懐かしいです。 ただ当時はモーツァルトの交響曲のLPを選ぶのは簡単でした。 そうワルターのLPを選べば、間違いなかったからです。 モーツァルトの交響曲の最初に買ったLPは、ベーム&ベルリンフィルの第40番&第41番でした。 ベルリンフィルは、既にカラヤン時代になっていましたが、ベームは、ドイツ風の質実剛健で堅固な構成と、重厚でやや暗さを持った響きで、充実した演奏を聴かせてくれました。 でも、何かが足りないと思い、買い求めたのは、ワルター&コロンビア響の第39番と第40番でした。 ベームに比べ、ずっと優雅でチャーミングな煌めくような演奏でした。 特に第39番のイントロのキラキラした響きを聴いて感動した思い出は、いまでも思い返すことがあります。

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