ディープ インパクト 馬。 ディープインパクト

【POG】2020

ディープ インパクト 馬

求められるのはここ一番での確かな性能 圧倒的な1番人気に支持されたコントレイル 父ディープインパクト の、決定的な3馬身差の完勝だった。 2007年ウオッカが「3馬身差」。 2005年ディープインパクト、1998年スペシャルウィーク、1994年ナリタブライアンの3頭が「5馬身差」で勝っているが、近年の良馬場ではこういう着差はめったにない。 コントレイルは、落ち着き払っていた。 日本ダービーの1番人気馬は、ふつうは存在をアピールするくらい気迫を前面に出すことが多い。 しかし、無観客、レースの重要性を分かっていないのかと映るほど静かだった。 品性あふれる身体つきは、逆に非力な幼ささえ思わせたが、これこそディープインパクトの真価。 時おり見せる眼光だけはどの馬より鋭い。 競走時のディープインパクトは、他馬のオーナーに「そんなに抜けた存在とは思えないのだが…」と、レースのたびに嘆かせる少年のような存在だった。 ミニ父ディープインパクトは何頭も輩出したが、ディープと同ランクか、ひょっとすると父を超える面もあるのではないか、と思わせる本当の後継馬は、父が光りすぎていただけに少ない。 すでに結果を出しているキズナとともに、ディープインパクトの最良の後継馬になること必至、そんなムードに満ちた日本ダービー制覇でもあった。 写真提供:デイリースポーツ このペース「3分割すると 49秒4-48秒6-46秒1 =2分24秒1」なら、レイデオロやエイシンフラッシュの年のように最後は32-33秒台になっても不思議なかった。 福永祐一騎手の勝利騎手インタビューに出てきたが、まだ本気で走っていないのがその理由か。 案外、平凡な馬に見せる一面もディープインパクト系のすごさかもしれない。 ハデな見映えより、求められるのはここ一番での確かな性能である。 サンデーサイレンス直父系産駒は、直仔登場の1995年以降の26年間で日本ダービー16勝。 同じ東京2400mのオークスも13勝。 ジャパンCは24回 一度は中山 で10勝。 東京芝2400mのGI計76レース中、実に半数以上の39レースを制したことになった。 慎重に大事に乗ったサリオス 父ハーツクライ が3馬身差の2着。 ただし、ディープインパクトとは自身の成長曲線も、産駒のそれも異なるハーツクライは、3歳クラシックはワンアンドオンリーとヌーヴォレコルトが、日本ダービーとオークスを勝っただけ。 最初のころ、野獣のように見えた武骨なサリオスも、すっきり見せる好バランスの素晴らしい馬体に整ってきたばかりだった。 陣営が最初のころ、クラシックではなくNHKマイルCの路線をほのめかしたように、今回は距離適性の差も大きく感じさせた。 確かに惜しい2着ではなかったが、それは完成度も軽快なスピードも重要な3歳春時点だから、ともいえる。 リスグラシュー、ジャスタウェイ、スワーヴリチャード、シュヴァルグラン…などが示すように、ハーツクライ産駒の3歳時は案外なことが多い。 サリオスの今後の路線は2000m級以下と思われるが、4歳後半-5歳時になったらまたベストの距離は変化する可能性がある。 コントレイルがディープの有力後継馬なら、これから本物になるはずのサリオスも、ハーツクライの最良の後継馬の1頭となって不思議ない。 ハーツクライ産駒では、横山典弘騎手のマイラプソディも同じ。 前後半の1200mに2分すると「1分13秒5-1分10秒6」=2分24秒1のスローバランス。 緩い流れを読んで途中で動いたが、後半失速するようなペースではない。 前2戦のスランプは脱しつつあったが、まだまだ成長の途上か。 母方に重ねられた種牡馬から、マイラー型の可能性もある。 文句なしにデキ絶好に映ったのは、3着にがんばったヴェルトライゼンデ 父ドリームジャーニー。 前回あたりまで、父とはまるで異なるずんぐり体型にみせることがあったが、陣営が早くから「5月末の日本ダービーこそが最大目標」と公言していた通り、意欲的に追って仕上げた今回は体型まで変わったように見えた。 終始、コントレイルと前後する位置で先行し、ペースが上がると手応え一歩になる場面もあったが、最後までがんばって3着死守。 皐月賞とは一変の快走だった。 1-2着馬と異なり、東京は初コースだった。 4着サトノインプレッサ 父ディープインパクト は、最近では珍しいNHKマイルCからの挑戦。 のびやかに見せる体型ながら、母サプレザも、その父Sahmサームも短距離での活躍馬だけにいきなりは苦戦と思えたが,祖母の父はタップダンスシチーで知られるPleasant Tapプレザントタップ。 母と同じく輸入馬の半妹スタイルプレッサは短距離タイプではない。 毎年のように好走馬を送る1番枠を利した坂井瑠星騎手の好騎乗もあった。 これから大きく成長するだろう。 3番人気のワーケアは、勝負どころではコントレイルの直後にいたが、上がりの速い展開になって切れ味負け。 この馬もハーツクライ産駒。 今回の独特のローテーションは実を結ばなかったが、秋になって確実に変わる。 トモの発達した馬体は光っていた。 巻き返しを図ったサトノフラッグ 父ディープインパクト は、見せ場を作れなかった。 皐月賞より気迫もあり、身体全体の作りも良かったが、上昇カーブに乗ったところで日本ダービー、という望ましいサイクルになれなかった。 伏兵視されたガロアクリーク 父キンシャサノキセキ は、コントレイルを射程に入れての正攻法。 伸びてはいるが、この距離だと一連のレースでみせた意外性発揮とはならなかった。 ダーリントンホール 父New Approachニューアプローチ は、前半から流れに乗れなかった。 レース後半の1200mは1分10秒6。 上がり34秒7。 どんどんラップが上がる流れは、父も祖父も英ダービーのこの馬にとってもっとも歓迎できないペースだった。

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ディープインパクト禁止薬物検出事件

ディープ インパクト 馬

勝ち鞍 GI 2005年 GI 2005年 GI 2005年 GI 2006年 GI 2006年 GI 2006年 GI 2006年 GII 2005年 GII 2005年 GII 2006年 繁殖成績 タイトル 日本(2012-2019年) ディープインパクト(: Deep Impact、(平成14年) - (令和元年))は、のである。 2005年(平成17年)に日本競馬史上6頭目の(無敗での達成は1984年のに次いで2頭目)を達成、2006年(平成18年)には日本調教馬としては初めて芝部門・部門で世界ランキング1位となった。 種牡馬としては2012年から2019年の日本のである。 このほかに年度代表馬・、2006年に年度代表馬・を受賞し 、 (平成20年)にはに選出された。 競走馬時代 [ ] 出自-デビュー前 [ ] ノーザンファーム時代 [ ] (平成14年) 、(現在の)ので誕生。 同期には、、、、が名を連ね 、ノーザンファーム場長の秋田博章は生まれたばかりの同馬を見て、体のバランスは良いと思ったが、ほかの馬と比較して目立って良い点があるとは感じなかったと語っている。 0歳時にに「ウインドインハーヘアの2002」として上場されたディープインパクトは、に7000万円で落札された。 馬体が薄かったことから上場されたの産駒14頭のうち9番目 の落札価格だった。 購入した金子は「瞳の中に吸い込まれそうな感覚に襲われた」 と証言するほどこのときの瞳の輝きに衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けた。 ディープインパクトは0歳10月にノーザンファーム遠浅の1歳馬用の厩舎に移動した。 関節に不安があると判断されたため、遠浅に移動した翌日から「パドック」と呼ばれる小さな放牧地に入れられて運動を制限された。 広い場所で放牧されるようになったのはそれから約1か月後だった。 ノーザンファーム場長の秋田は遠浅時代のディープインパクトについて、集団のリーダーではなかったものの、集団の先頭に立って走ろうとし、薄い(の項目を参照)を擦り減らして血だらけになりながらも走るのをやめなかったと語っている。 1歳9月にはノーザンファーム早来に移り育成を受けた。 小柄で繊細な面があったため、女性スタッフが育成を担当した。 その育成担当スタッフやノーザンファーム場長の秋田は共にディープインパクトの柔軟性の高さを指摘している(の項目を参照)。 一方で、柔軟性がありすぎるところや、小柄で非力なところを欠点として指摘する声もあった。 池江泰郎厩舎に入厩 [ ] 池江泰郎 ディープインパクトは(平成16年)に早来町のホルスタイン市場で産地馬体審査を受けた。 そして同年、の厩舎に入厩し 、とが担当することになった。 初めてディープインパクトを見た市川は、同馬が小柄でかわいらしい顔をしていたため牝馬ではないかと思い、本当に牡馬かどうか股を覗きこみ確認したという。 入厩して1か月が経過した10月、坂路の調教で初めてタイムを計ったときに、調教師の池江が58秒から59秒で走らせるように指示したが、これよりも速い54秒前半のタイムを出してきた。 この時、調教助手の池江敏行がきっとバテバテになってしまっているに違いないと心配して駆け寄ったところ、ディープインパクトは「汗一つかいておらずケロっとしていた」といい 、このとき厩務員の市川は、ディープインパクトを「ただ者ではない」と思ったとのちに語っている。 その後12月に騎乗でデビューすることが決定したため、デビュー戦4日前の調教で武豊が初めて騎乗することになった。 池江敏行は武に「この馬、ひょっとしたらとんでもない馬かもしれないよ。 久々に味わった、気持ちいいぐらいの背中なんだ」と言い 、武が騎乗したディープインパクトは栗東トレーニングセンターのCウッドコースを6ハロン81秒5、ラスト3ハロン38秒3、1ハロン12秒5という時計で走り、併せた馬に1. 6秒先着した。 調教を終えると武豊は池江敏行に「敏行さん、この馬、ちょっとやばいかも」と興奮気味に話し 、翌年の活躍に期待した。 2歳 - 3歳(2004年 - 2005年) [ ] 新馬戦から東京優駿まで [ ] 2004年(平成16年)第5競走の2歳(芝2000)で武豊をに据えてデビュー。 武豊は引退まで手綱を握ることとなる。 レースでは、3ハロン33秒1の脚で、のちに・など重賞4競走に優勝しで2着となる に4馬身の差を付けて勝利。 レース前に池江敏行は武豊に対して「あまり派手に勝たせないでくれ」と願い出ており 、レース後厩務員の市川は、このデビュー戦の強い勝ち方に「派手にやってしまった」と消耗を心配したが、レース後すぐに息が戻っていたので「クラシックでも戦える」と思ったという。 によると、このレースの翌週の水曜日、ある雑誌の企画で京都のシティホテルで行われた、ディープインパクトの新馬戦の11日前にで達成した海外通算100勝をメインテーマにしたインタビューを一通り終えたあとに、武の方から「ちょっと読者用に来年の楽しみな一頭を言うとしたら、先週デビューしたディープインパクトですね。 これはみなさん覚えておいてください」と言ったという。 続く2戦目は(平成17年)に、で行われただった。 レース数日前、武豊は「すごいことになるから見ていてください」と対談相手に語っていた。 レースでは最後方から競馬をし、4コーナーに入っても先頭の馬から10馬身程度の差があったが、直線で一気に突き抜け5馬身差で勝利。 この若駒ステークスでの圧勝によって、早くも「三冠は確実」とまで言われる存在となった。 次走には皐月賞トライアルの第42回に出走。 武豊はこのレースを前にして、マスコミを通じてファンに向けて「競馬場に見に来る価値のある馬だと思います」とコメントした。 関東では初出走となったが、を超える当競走史上最高の支持率71. 5を記録した。 レースでは2歳王者のやを制した以下にクビ差ではあったものの鞭を一回も振るわずに 勝利し、クラシックの最有力馬に躍り出る。 レース後、武は勝利騎手インタビューで代表質問が終わった後、ディープの良さは何か、と問われると「負けないところです」と答えた。 また、3着に敗れたマイネルレコルト鞍上のは、「ディープインパクトに並ばれた時、威圧感を感じました」とコメントした。 第65回では、単勝支持率が63. 0パーセント(は1. 3倍)と(昭和26年)のの73. 3パーセントに次ぐ史上2位となった。 レース開始直後にいきなり躓き落馬寸前まで体勢を崩し、ほかの馬から4馬身ほど離れた最後方からの競馬になった。 さらに向こう正面でと接触する場面があった。 それでも、4コーナーでディープインパクトの気を抜く素振りを感じた武豊がレースで初めてを入れると 、直線では2着のに2馬身半の差をつけ勝利。 系で実況を担当したアナウンサーはゴール直後、「武豊、三冠馬との巡り合い」と五七五風にその勝利を讃えると同時に三冠を確実視するコメントを発した。 無敗での皐月賞制覇は2001年の以来16頭目であり、また弥生賞勝ち馬の皐月賞制覇もアグネスタキオン以来の10頭目となった。 武豊は、、と並ぶ皐月賞最多の3勝目を挙げ 、レース後の勝利騎手インタビューではディープインパクトの走りについて、 東京優駿の優勝馬服を着せられたディープインパクト 5月29日の東京優駿では、当日のには前年比114. 8パーセントとなる14万143人もの観衆が押し寄せた。 左回りのコースは初めてだったが、単勝支持率は73. 4パーセント(オッズは1. 1倍)とハイセイコーの持っていた当競走における単勝支持率最高記録を更新する人気となった。 スタートは皐月賞同様に出遅れ、道中は後方につけるも、4コーナーでは横に大きく広がった馬群の最外を通り、直線では1頭先に抜け出したに残り200メートル地点で並んでから同馬を突き放して5馬身の差をつけ、前年のに並ぶ2分23秒3のレースレコードタイで優勝。 (平成4年)の以来となる史上6頭目の無敗のを達成した。 オーナーの金子真人は前年のキングカメハメハに続いて馬主として史上初のダービー連覇を達成した。 武豊は勝利騎手インタビューで「感動しています。 この馬の強さに…」と言い、レース後の記念撮影では指を2本立てて二冠をアピールした。 武によるとこのレースは「アクシデントさえなければ勝てるだろう」というぐらいの自信があったといい、「ディープの状態は万全でしたし、中山2000メートルから東京の2400メートルに舞台が変わることが、乗っている立場としては気持ち的には楽でした。 前走の皐月賞で初めて目いっぱいの競馬をしたことで、ダービーではもっと走るだろうという思いもありましたね」と述べている。 そして翌日のの手記で武豊はディープインパクトのことを 英雄というニックネームで呼ぶことを自ら提案した。 対戦した騎手もその勝ち方を高く評価し、は「サラブレッドの理想形」、は「のようなレース運びだった」と語っている。 三冠達成、有馬記念での初黒星 [ ] 東京優駿の後は、まず栗東トレーニングセンターで調整されたが、にに移動し 、それから約2か月間は同競馬場で調整された。 に出さずに札幌競馬場で調整されたのは、厩舎での調整のリズムを変える必要がないことと、ができるからであった。 札幌競馬場での調整では行きたがる気性を治すための調教もされた(の項目を参照)。 に栗東トレーニングセンターに戻り、その後は栗東で調整が行われた。 秋初戦となったは、91人の徹夜組も含めて前年比147. 馬体重は前走の東京優駿と同じく448kgで 、単勝オッズは1. 1倍で1番人気に支持された。 ディープインパクトはやや飛び上がるようにしてスタートを切り、道中は最後方から2番手の位置でレースを進めた。 正面スタンド前ではやや前に行きたがるところを見せたが2コーナーを回って向正面に入ったところでは完全に折り合い 、3コーナー過ぎで外に出たディープインパクトは手綱を持ったままの状態で加速し、直線入り口で大外から先頭に並びかけるとそこから瞬時に抜け出し、2着シックスセンスに2馬身半の差をつけて優勝した。 勝ちタイム1分58秒4はが持つ従来の記録を塗り替える当時のレースレコードを記録した。 レース後、武は「本当に素晴らしい馬です。 なんとかこの馬を三冠馬にしてやりたいですね」とコメントした。 第50回有馬記念(2005年12月25日、中山競馬場。 ハーツクライの2着に敗れ、デビューからの連勝記録が「7」で途絶える) そして三冠のかかった2005年(平成17年)の第66回菊花賞では、京都競馬場には菊花賞の入場動員レコードとなる13万6701人(前年度比182. 0パーセント)の観客が押し寄せた。 京都競馬場には863人の徹夜組を含む1万1936人のファンが午前7時20分の開門時に列を作り、が先着100名に配布したディープインパクト像前での記念撮影整理券は7時30分に全てなくなり、300食限定の「めざせ三冠!! ディープインパクト号弁当」も7時45分に完売した。 ディープインパクトの単勝支持率は79. 03パーセントとなり、単勝式オッズは1. 0倍(100円元返し)となった。 この単勝支持率は菊花賞としては(昭和38年)の(6着)の83. 2パーセントに次ぐ史上2位 、施行後の重賞としては当時史上最高の単勝支持率であった。 レースでは好スタートを切ったものの、スタート後の最初の3コーナーから掛かってしまう。 そのため武豊はディープインパクトを馬群の内側に入れ、前に行くのを防いだ。 その後馬群中団で落ち着いたディープインパクトは、直線で先に抜け出していたアドマイヤジャパンを差し切り2馬身差をつけて優勝。 シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となった。 なお、ゴール前でのアナウンサーの実況「 世界のホースマンよ見てくれ!! そしてレース後の記念撮影では武豊が指を3本立てて三冠をアピールした(レースに関する詳細についてはを参照)。 また、3冠レースを全勝した内国産馬に2001年から1億円の褒賞金が贈られることになっていたため、ディープインパクトが初の対象馬となった。 菊花賞後、陣営はディープインパクトを年内にあと1レース出走させる方針を示したうえで、とのどちらに出走するかを検討し、最終的に有馬記念に出走させることを決定した。 事前のファン投票では16万297票を集めて1位となった。 レース当日の中山競馬場には前年比129. 6パーセントとなる16万2409人もの大観衆 が押し寄せた。 とは初対決となったものの、単勝式オッズは1. 3倍を記録した。 しかしレースでは、いつものように後方から進めるも、に半馬身及ばず2着に惜敗し、8戦目にして初黒星を喫した。 レース後、鞍上の武豊は「今日は飛ぶような走りではなかった。 普通に走ってしまった」と初めての敗戦にショックを隠し切れないコメントを残している (レースに関する詳細についてはを参照)。 2005年(平成17年)の活躍をうけ、この年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された。 JRA賞選考委員会の記者投票では最優秀3歳牡馬では満票(291票)を、年度代表馬では285票を獲得した。 も受賞した。 4歳(2006年) [ ] 阪神大賞典から宝塚記念まで [ ] に行われた前年のJRA賞授賞式において、オーナーの金子が「夏にでいいレースがあれば使いたい」と発言し、海外遠征を行う意向が示された。 海外遠征については2月、調教師の池江によって、春はからへ向かい、天皇賞(春)の後にのとののどちらに出走するか決定すると発表された。 (平成18年)の初戦となった阪神大賞典は、88人の徹夜組も含めて前年比108. 3ヶ月の休み明け、ディープインパクトにとっては初めて背負う58kgの斤量、初めて体験する水を含んだ稍重馬場、直線で吹き付ける強い向かい風、菊花賞以来の3000メートルの長丁場での折り合いといった不安材料が懸念されたが単勝オッズは1. 1倍で1番人気に支持された。 他馬とほぼ横並びのスタートを切り、1周目のスタンド前ではやや前に行きたがる素振りを見せたが 、2周目の向正面に差し掛かるところで折り合いがつき、逃げるの15馬身ほど後ろを進んだ。 2周目の3コーナーで鞍上の武豊が手綱を持ったまま加速して先行馬との差を詰め、馬なりで4コーナーを回ると勢いの違いで先頭に並びかけ直線に入った。 武がステッキを右に持ち替えて肩鞭を入れるとさらに脚を伸ばして後続を突き放し 、ゴール前の100メートルほどは流すようにして2着に3馬身半の差を付けてゴールした。 レース後、武は「この馬の強さを改めて感じましたね。 大きな夢がありますので、それにむかっていいスタートが切れました」とコメントした。 2006年4月30日、京都競馬場にて、天皇賞(春) の第133回天皇賞(春)では、単勝支持率は1940年にが記録した71. 5パーセント(オッズは1. 1倍)を記録した。 スタートではまたも出遅れ、道中は最後方から2番手の位置で折り合いをつけて進んだ。 そして3コーナー手前の残り1000メートル地点からロングスパートを開始して 先行馬を交わしていくと、ゆっくり下ることがセオリーとされる下り坂でもスパートを続け、4コーナーで早くも先頭に立った。 直線では、出走馬中最速となる上がり3ハロン33秒5の脚を使ってそのまま先頭を維持し、2着のに3馬身半の差をつけ優勝した。 三冠馬の翌年春の天皇賞勝利は1985年のシンボリルドルフ以来2頭目であり 、勝ち時計の3分13秒4は芝3200mの世界レコードタイムで 、(平成9年)のにおいてが記録した3分14秒4のレースレコードを1秒更新した。 2着に入ったリンカーン(3着に5馬身差をつけ、かつ自らも従来のレコードタイムを上回る走破時計を出す )に騎乗したが「(リンカーンは)生まれた時代が悪すぎた」 と言うほどの内容だった。 武豊は「世界にこれ以上強い馬がいるのかな」と言い 、海外遠征での勝利に期待感を示した。 レース後の記念撮影で武豊は指を4本立てて四冠をアピールした。 この時記録した勝ち時計3分13秒4は、全兄の仔であるによって2017年、第155回にて破られるまでの11年間、コースレコードとして君臨し続けた。 天皇賞(春)の勝利により、5月7日に発表された世界統一ランキング上で、芝・部門 の世界ランク1位となった。 翌5月8日、調教師の池江が凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランを発表 、そのとしてに京都競馬場で開催される第47回 に出走することとなった。 事前に行われたファン投票では8万9864票を集め1位となり 、単勝支持率も天皇賞(春)に続いて1961年にが記録した72. 2パーセント(オッズは1. 1倍)をマークした。 また、ディープインパクトはこのレースでデビューからJRA競走(サラ系平地)11戦連続で1番人気に支持され、歴代1位のハイセイコーに並んだ。 当日の京都競馬場は雨で稍重の馬場状態であったが、道中後方2番手追走から残り700メートル地点で進出を開始すると、直線では馬場外目を伸び、2着のに4馬身差を付け優勝した。 そして同競走を優勝したことで史上7頭目、史上最速での(収得賞金額)10億円馬となった。 レース後の記念撮影で武豊は指を5本立てて五冠をアピールした。 宝塚記念優勝を受けて、7月10日付の世界ランキングでは芝長距離部門 で世界1位となった。 これは日本調教馬としては史上初のことである。 凱旋門賞 [ ] ディープインパクトの応援幕を張るファン 凱旋門賞の行われるフランスに出発する前に、(平成18年)にマイクロチップが埋め込まれた。 これはフランスでは2006年からすべての出走馬にマイクロチップを埋め込むことが義務付けられているからである。 日本では(平成19年)に産まれてくる産駒からのためにマイクロチップを埋め込むことが義務付けられたが((平成18年)に産まれた産駒や現役馬は順次導入)、ディープインパクトはこれに先立ち日本産馬としてはマイクロチップの埋め込み導入第1号となった。 翌3日には金子真人、池江泰郎、武豊がフランスへ視察に訪れ、滞在先がカルロス・ラフォンパリアス厩舎になることが決まった。 同月19日にはからフランス遠征に際する出国予定日や帰国予定日が発表され、がに決まったことも報じられた。 20日にはが発表した「トップ50ワールドリーディングホース」の1月1日から7月10日までの集計で125ポンドの評価を獲得し、ランキングが設立された2003年以降、日本馬として初めて世界1位となった。 ディープインパクトはからに滞在してピカレスクコートとともにを受け 、翌3日から8日まで美浦で調整が行われた。 9日、台風の影響で約2時間遅れとなった午前10時33分、6461便で出国し、現地時間9日午後2時56分にフランス・パリのに到着した。 その後はの隣の調教場にあるカルロス・ラフォンパリアス厩舎に滞在し、おもにそこで調整された。 には主催者のの許可を受け 、凱旋門賞が開催されるでスクーリングを兼ねた調教が行われた。 の凱旋門賞は、前年の同競走の優勝馬、前年のの優勝馬、そしてディープインパクトの古馬3頭が「三強」を形成した。 直前の各のオッズではこの3頭が上位人気を占め、中にはディープインパクトを単独で1番人気に推すところもあった。 この3頭と対戦するのを他陣営が嫌ったためか 、レースは8頭という史上2番目の少頭数で行われることになった。 それまで欧州調教馬以外勝ったことのない凱旋門賞だが、現地のメディアやファンからは「今回はディープインパクトに勝たれても仕方ない」という諦めムードさえ見られた。 ロンシャン競馬場内では、日本人がディープインパクトの単勝馬券を多数購入したため、一時は1. 1倍という断然の1番人気となった(最終的なオッズは1. 5倍)。 レースでは好スタートを切り、今までの控える競馬とは違い道中2 - 3番手でレースを進めると、残り300メートル地点でいったん先頭に立ったものの突き放すことはできず、残り100メートル地点でに、さらにゴール直前でにも交わされて3位入線に終わった。 敗因として武豊は「直線を向いてからを取らなかった。 ギアが一段上がらなかった」と語っている。 そのほか競馬関係者もこの敗戦を分析し、元騎手の岡部幸雄とはとヨーロッパ特有の重い馬場を敗因として挙げ 、さらに岡部は現地のレースを1回経験させておいたほうが良かったとの見解も示している。 また、ライターの江面弘也はフランスの厩舎の3頭 に囲まれながらレースを進めざるを得なかったことを指摘し、ディープインパクトは「『なにをしてでも勝たなければいけないフランス』に負けた」としている (レースに関する詳細はを参照)。 日本帰国からジャパンカップまで [ ] ディープインパクトはにフランスから日本に帰国し、で検疫が行われた。 その後、調教師の池江によってのが復帰初戦の予定とされたため、規定により同競走が開催される東京競馬場で着地検査が行われた。 ウィキニュースに関連記事があります。 この額は日本で繋養された種牡馬としては史上最高価格である。 しかし、引退発表からわずか数日後の、凱旋門賞のレース後に実施された理化学検査でフランス競馬における禁止薬物が検出されたことがによって発表された。 そして、正式に凱旋門賞が通告された (禁止薬物問題についてはを参照)。 天皇賞(秋)は、帰国して日が浅い中で出走させるのは馬がかわいそうだということで 回避が決定され、日本国内での復帰初戦は第26回ジャパンカップにずれ込むこととなった。 迎えたのジャパンカップでは2005年の有馬記念以来のハーツクライとの再戦となった。 同競走は海外からは当年の年度代表馬を含む2頭しか出走せず、日本馬を合わせても11頭しかいないという、ジャパンカップとしては少数立てのレースとなった。 ディープインパクトの単勝支持率は61. 2パーセント(オッズは1. 3倍)で、日本国内で走ったレースの中ではもっとも低かったが、2000年にが記録した50. レースはスローペースとなったが、ディープインパクトは終始最後方で待機し道中を進めた。 そして直線に向くと内に入った他馬を大外から一気に捲くり、に2馬身差をつけ優勝した。 レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに健在ぶりをアピールした。 そして表彰式に出るときに武豊はファンといっしょになって三唱をした。 記念撮影では武豊の5本指にオーナーの金子の1本指が加わって六冠を表す6本指ができた。 一方、再戦ムードを盛り上げたハーツクライは、レース前から陣営が明らかにしていた(喉鳴り)が進行しており、見せ場なく10着に敗れた。 有馬記念 [ ] 2006年12月24日、中山競馬場にて、有馬記念 そして、引退レースとなる有馬記念に出走した。 事前に行われたファン投票では11万9940票を集め 2年連続1位、かつファン投票で選ぶレースとしては3レース連続で(2005年有馬記念 ・2006年宝塚記念 ・2006年有馬記念 )1位となった。 単勝支持率は70. 1パーセント(オッズ1. 2倍)で、(昭和32年)にが記録した76. 1パーセントに次ぐ史上2位となった。 レースでは道中後方3番手につけ、3コーナーから追い出して直線で早々と先頭に立つと、最後は流しながらも2着に3馬身の差をつける圧勝で、有終の美を飾った。 武豊が「生涯最高のレースができた」 「今までにないくらい、強烈な『飛び』だった」 と言うほどのレース内容だった。 このレースの勝利でシンボリルドルフ・に並ぶ史上3頭目(当時 )の中央競馬GI7勝の最多タイ記録を達成し 、獲得賞金は14億5155万1000円となりテイエムオペラオーに次ぐ単独2位にランクインした。 2006年1年間では7億7148万8000円を獲得し 、84年,85年のシンボリルドルフ、98年,99年のに続く3頭目のグレード制導入以降2年連続JRA年間獲得賞金1位馬となった。 父・サンデーサイレンスにとってはこのレースで、ハーツクライに続いて産駒による同レース三連覇を達成し、と並ぶ同レース最多の4勝を達成した。 池江泰郎にとっては87年の以来、武豊にとっては90年の以来16年ぶりとなる有馬記念2勝目を挙げた。 この後ウイニングランは行われなかったが、その理由について武豊は、ゴールを過ぎてから走るのを嫌がったためだと語っている。 記念撮影では武豊の5本指にオーナーの金子の2本指が加わって七冠を表す7本指ができた(レースに関する詳細についてはを参照)。 そして有馬記念当日の全競走が終了したあとに引退式が行われた。 約5万人 のファンが見守る中、厩務員の市川と調教助手の池江に曳かれながら、武豊を背に同日の有馬記念のゼッケンを付けて登場し、ファンに最後の勇姿を披露した。 世界ランキングでは、夏から秋にかけては一時的に順位を落としたものの、ジャパンカップと有馬記念の優勝によって、最終的な2006年通年の世界ランキング1位となった。 JRA賞でも年度代表馬および最優秀4歳以上牡馬に選出された。 年度代表馬は2年連続の受賞だった。 JRA賞選考委員会の記者投票では総得票数289票のうち年度代表馬で287票、最優秀4歳以上牡馬で288票を獲得した。 前年に続き関西競馬記者クラブ賞も受賞した。 19 9 4 4 1. 1(1人) 1着 55 芝2000m(良) 02:03. 8 33. 1 -0. 7 () 452 1. 22 OP 7 4 4 1. 1(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 02:00. 8 33. 6 -0. 9 (ケイアイヘネシー) 450 3. 6 GII 10 8 10 1. 2(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 02:02. 2 34. 1 -0. 0 () 446 4. 17 中山 GI 18 7 14 1. 3(1人) 1着 武豊 57 芝2000m(良) 01:59. 2 34. 0 -0. 4 () 444 5. 29 GI 18 3 5 1. 1(1人) 1着 武豊 57 芝2400m(良) 02:23. 3 33. 4 -0. 8 () 448 9. 25 阪神 GII 13 6 9 1. 1(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 01:58. 4 34. 1 -0. 4 (シックスセンス) 448 10. 23 京都 GI 16 4 7 1. 0(1人) 1着 武豊 57 芝3000m(良) 03:04. 6 33. 3 -0. 3 (アドマイヤジャパン) 444 12. 25 中山 GI 16 3 6 1. 3(1人) 2着 武豊 55 芝2500m(良) 02:32. 0 34. 6 -0. 1 440 3. 19 阪神 GII 9 2 2 1. 1(1人) 1着 武豊 58 芝3000m(稍) 03:08. 8 36. 8 -0. 6 () 442 4. 30 京都 GI 17 4 7 1. 1(1人) 1着 武豊 58 芝3200m(良) R3:13. 4 33. 5 -0. 7 () 438 6. 25 京都 GI 13 6 8 1. 1(1人) 1着 武豊 58 芝2200m(稍) 02:13. 0 34. 9 -0. 7 () 442 10. 1 G1 8 1 1. 5(1人) 失格 武豊 59. 5 芝2400m Bon 3位入線 11. 26 東京 GI 11 6 6 1. 3(1人) 1着 武豊 57 芝2400m(良) 02:25. 1 33. 5 -0. 3 () 436 12. 24 中山 有馬記念 GI 14 3 4 1. 2(1人) 1着 武豊 57 芝2500m(良) 02:31. 9 33. 8 -0. 5 () 438• 日本国外では、複数の事業者()が自由に馬券を販売できるため、業者ごとに倍率は異なり、人気とは連動しない。 ここではロンシャン競馬場内の倍率 を示す。 (フランスはを採用しており、競馬場内で馬券を買う限りにおいては人気と倍率は連動する。 日本語では一般的に「稍重」に相当する。 のJapan Bloodstock Information Systemでは「稍重」 、netkeibaでは「良」 と表記している。 詳細はを参照。 タイム欄の Rはレコード勝ちを示す。 競走成績表はより作成。 種牡馬時代 [ ] 産駒デビューまで(2007年 - 2009年) [ ] 2007年5月11日、社台スタリオンステーションにて 2006年(平成18年)付で競走馬登録が抹消され、(平成19年)から北海道勇払郡安平町ので種牡馬となった。 それからディープインパクトは、父サンデーサイレンスや、が過ごした「功労馬厩舎」と呼ばれている厩舎で過ごすことになった。 同スタリオンでの担当厩務員はノーザンテーストを担当していた森田敬治である。 2007年(平成19年)には社台スタリオンステーションで引退後初めての一般公開が行われ、会場には約1200人のファンが集まった。 以後は同スタリオンで繋養される一部の内国産種牡馬と同様、放牧地にいる間の一般見学が可能になっているが、本馬にのみ専門の警備員が付き添う形になっている。 初年度(2007年)の種付料は当時の日本で繋養される種牡馬としては最高額となる1200万円であった。 初年度は日本国内の新種牡馬の中では最多となる206頭に種付けを行い 、(平成20年)には初産駒がで誕生した(牝馬。 母ロングディライト)。 2008年(平成20年)とに行われたセレクトセール2008当歳馬セールにて産駒が初めてセリに出され、2日間で総勢36頭が登場して31頭が落札された。 最高落札価格馬は初日に登場したの2008で、2億2000万円という高値でに落札された。 最終的にこの2日間でディープインパクト産駒の総売却額は19億1000万円、1頭平均売却額約6161万円となり、2006年(平成18年)にキングカメハメハが記録した新種牡馬産駒の総売却額17億4500万円、1頭平均売却額約5629万円の記録を更新し、売却頭数31頭は2006年(平成18年)のキングカメハメハと同数となった。 2010年 [ ] 2010年(平成22年)に初年度産駒がデビューした。 にで行われたにてサイレントソニックが勝利し、産駒の中央競馬初勝利を記録した。 その後も産駒の勝利数は順調に増え続け、にで行われた2歳未勝利戦でボレアスが勝利し、産駒26頭目の勝ち馬となり、2005年(平成17年)にが記録した25頭を抜きJRA2歳新種牡馬の勝馬頭数の新記録を達成。 さらにには京都競馬場で行われた2歳未勝利戦でハッピーグラスが勝利して、産駒のJRA通算勝利数が31勝となった。 これにより父サンデーサイレンスが持っていた種牡馬供用初年度のJRA通算勝利数30勝の記録を16年ぶりに更新した。 さらに12月25日には阪神競馬場で行われたでが1着になり、産駒初の重賞制覇となった。 最終的に初年度産駒がJRAの2歳戦で41勝し、総獲得賞金5億3704万3000円をあげた結果、ディープインパクトは2010年度のJRA2歳に輝いた。 なお、この産駒出走初年度の総獲得賞金記録も、サンデーサイレンスが持っていた4億9062万5000円の記録を16年ぶりに更新することとなった。 2011年 [ ] (平成23年)にはがを制し、産駒のGI競走およびクラシック初制覇を果たした。 また、がGI格付け以降では初めてとなる3歳馬による優勝を果たした。 さらにではが史上初のデビュー2戦目でのGI制覇を達成している。 には産駒がJRA年間100勝を達成したが、産駒がデビューして2年目の同日における達成は最速記録だった。 この年は最終的にJRAのサイアーランキングではキングカメハメハに次ぐ2位(中央競馬と地方競馬の合算(以下、「全国」と記述)では4位)、2歳部門ではJRAと全国でともに2年連続でリーディングサイアーとなった。 2012年 [ ] 2012年(平成24年)には、が桜花賞、、を制し牝馬三冠を達成し 、さらに3歳牝馬として初めてジャパンカップも制した。 また、ではが優勝した。 フランスではグロット賞 G3 を Beauty Parlour が勝利し、産駒初の日本国外重賞初制覇を達成。 同馬は続く(フランス1000ギニー) G1 にも勝利し、日本国外のG1競走初制覇も果たした。 最終的には産駒がGI・5勝を含む重賞18勝を挙げるなど活躍し、初のJRAと全国のリーディングサイアーに輝いた。 産駒はJRAで216勝を挙げたが、これはキングカメハメハの184勝(2011年)を塗り替える、内国産種牡馬のJRA年間勝利数の新記録である。 また、JRAと全国の2歳リーディングサイアーの座も獲得した。 これらの産駒の活躍で翌2013年の種付料は、種付時までに全納のみで1,500万円(不受胎時全額返還)にまで値上げされたが、すぐにBOOK FULLとなるなど、サンデーサイレンスの後継種牡馬の筆頭と目されていた。 2013年 [ ] 2013年(平成25年)の桜花賞をが制して産駒の同競走3連覇を達成した。 ジャパンカップではジェンティルドンナが同競走史上初の連覇を達成した。 他にも、がに 、が東京優駿に 、がに 勝利。 キズナは凱旋門賞制覇を目指しフランスに遠征も行い、前哨戦となるニエル賞(G2)に優勝した (本番の凱旋門賞は4着 )。 これらの産駒の活躍により、2年連続でJRAリーディングサイアーと全国リーディングサイアーを、4年連続でJRA・全国2歳リーディングサイアーを獲得した。 2014年 [ ] 2014年(平成26年)は、をジェンティルドンナが制し 、産駒の日本調教馬として初の日本国外G1制覇を達成した。 のG1を日本調教馬の牝馬が制したのは史上初である。 桜花賞ではが勝利し 、産駒の同競走4連覇を達成。 また、阪神ジュベナイルフィリーズはが 、はが 勝利し、2009年のキングカメハメハ産駒(、)以来の2歳GI両競走制覇となった。 さらにではが制して産駒のJ・GI初制覇を達成した。 その他にも、() 、ヴィルシーナ(ヴィクトリアマイル) 、(秋華賞) 、(天皇賞(秋)) 、() 、() 、ジェンティルドンナ(有馬記念) がGI競走に優勝した。 重賞競走では、京都牝馬Sをが勝ち、産駒のJRA重賞競走通算50勝を達成。 さらにをミッキーアイルが制して産駒重賞勝ち数が72勝となり、を抜いて内国産種牡馬のJRA重賞勝利数歴代1位となった。 この年は、JRAでの年間記録のうち、勝利数(232勝) 、重賞勝利数(37勝) 、GI勝利数(11勝) 、獲得賞金(67億6270万円) で自己最高を記録し 、3年連続でJRAおよび全国リーディングサイアーを、5年連続で2歳リーディングサイアーを獲得した。 なお、重賞勝利数はサンデーサイレンス産駒の38勝(2003年)に次ぐ歴代2位、GI勝利数は歴代1位である。 2015年 [ ] 2015年(平成27年)は、が優駿牝馬に優勝。 同馬は10月19日の秋華賞にも勝ち、ディープインパクトは産駒によるJRA重賞通算100勝を史上最速で達成した(史上3頭目 、5年3カ月29日)。 他にも(エリザベス女王杯) 、ショウナンパンドラ(ジャパンカップ) がGI競走に優勝し、さらにリアルインパクトは 、は で海外G1勝利を果たした。 をが制したことにより、を導入した以降で8頭目となるJRA全10場重賞制覇を達成した。 10月12日にラベンダーヴァレイが勝利し、産駒によるJRA通算1000勝を史上最速で達成した(史上17頭目、5年3カ月23日)。 この年は獲得賞金 JRAにて69億701万5000円 で自己最高記録を更新し 、4年連続でJRA・全国リーディングサイアーを獲得した。 一方で2歳成績ではダイワメジャー 6億5980万9000円 に次ぐ2位 6億228万円 に終わった。 2016年 [ ] 2016年(平成28年)は、ディーマジェスティ(皐月賞) 、シンハライト(優駿牝馬) 、マカヒキ(東京優駿) 、マリアライト() 、(秋華賞) 、(、有馬記念) 、ミッキーアイル(マイルチャンピオンシップ) 、(朝日杯フューチュリティステークス) が国内のGI競走に優勝した。 を制したことにより、同産駒は史上初の3歳GI完全制覇を達成した。 また、中日新聞杯をサトノノブレスが制して新記録となる6週連続JRA重賞勝利を達成し 、後に7週連続まで記録をのばした。 海外ではが 、エイシンヒカリがイスパーン賞 でG1を制覇、マカヒキはG2のニエル賞に勝利した。 この年は獲得賞金 JRAにて73億7053万1000円 で自己最高記録を更新し 、5年連続でJRA・全国リーディングサイアーを獲得した。 また、JRA・全国2歳リーディングサイアーを2年ぶりに獲得した。 2017年 [ ] 2017年(平成29年)は、皐月賞でが 、安田記念でが 、朝日杯フューチュリティステークスでが GI制覇を果たした。 海外ではドバイターフをヴィブロスが制し、産駒の同競走連覇を達成した。 また、日本で生産され離乳後にに渡った Saxon Warrior が G2 を勝利し、産駒初のアイルランド重賞制覇を果たした。 さらに同馬はイギリスの G1 を勝利し、産駒初のイギリス重賞制覇をG1制覇で達成すると同時に、日本産馬初のイギリスG1制覇を成し遂げた。 2016年にに移籍した Tosen Stardom が、 と の2つのG1を勝利した。 にフランツが勝利し、産駒によるJRA通算1500勝を史上最速で達成した 史上6頭目、7年5カ月0日。 この年はJRA年間勝利数 251勝 で自己最高記録を更新し 、6年連続でJRA・全国リーディングサイアーを、2年連続でJRA・全国2歳リーディングサイアーを獲得した。 なお2歳戦では勝馬数50、勝利数57を記録し、サンデーサイレンスが2004年に記録した勝馬数47、勝利数54のJRA記録を13年ぶりに更新した。 この年には、がに勝利して父の父として 、が菊花賞に勝利して母の父として 初めて重賞勝ち馬を送り出し、孫の代からも活躍馬が現れ始めている。 2018年 [ ] 2018年(平成30年)は、(NHKマイルカップ) 、(ヴィクトリアマイル) 、(東京優駿) 、(菊花賞) 、(阪神ジュベナイルフィリーズ) がJRAのGI競走に優勝した。 また、がに優勝し、産駒のダートGI競走初勝利となった。 この年は海外調教馬も活躍し、サクソンウォリアーがを優勝し、日本産馬初のイギリスクラシック制覇を達成した。 また、フランス調教馬の(Study of Man)が(フランスダービー)を優勝し、同年の日本ダービーの勝ち馬ワグネリアンと合わせて2ヶ国のダービー制覇を達成した。 この年はJRA年間勝利数 265勝 で自己最高記録を更新し 、7年連続でJRA・全国リーディングサイアーを、3年連続でJRA・全国2歳リーディングサイアーを獲得した。 7月9日と7月10日に行われたセレクトセール2018では、今年1歳で上場された産駒24頭中23頭が売却され、税込み1億円超は12頭(2017年は23頭上場、21頭売却、税込で1億円超は9頭)だった。 2019年 [ ] 2019年(平成31年、令和元年)は、アルアイン() 、(桜花賞) 、フィエールマン(天皇賞(春)) 、(優駿牝馬) 、(東京優駿) 、(菊花賞) 、() が国内のGI競走に勝利し、はで優勝した。 天皇賞(春)を制したことにより、種牡馬史上4頭目の完全制覇を達成した。 また、海外調教馬の Fierce Impact が、トゥーラックハンデキャップ と の2つのG1を勝利した。 10月8日にが勝利し、産駒によるJRA通算2000勝を史上最速で達成した 史上2頭目、9年3カ月17日。 10月26日にが勝利したことにより、2015年2月7日から247週連続でJRAレースを勝利し、サンデーサイレンスの持つJRA記録 246週、2002年3月9日~2006年11月26日 を更新した。 この年は獲得賞金(76億8176万8000円)で自己最高を記録し 、8年連続でJRAおよび全国リーディングサイアーを、6年連続で2歳リーディングサイアーを獲得した。 骨折により安楽死 [ ] 2019年は例年通り2月のシーズン開始から交配を行っていたが、3月末になって首に痛みが出たため大事を取って種付けを中止した。 残りシーズンの種付けは行わず、翌春に誕生予定の産駒は20頭前後になる見通しとなった。 しかし、7月28日に患部の頸椎を固定する手術を実施し術後の経過は安定していたが、翌29日午前に突如起立不能の状態となった。 翌30日早朝のレントゲン検査で手術箇所とは別に頸椎骨折が判明。 回復が見込めないと診断されたことから、同日、安楽死の措置が執られた。 17歳没。 東京競馬場に設置された献花台 訃報を受け、JRAは8月3日、4日の新潟、小倉、札幌の第11レースを「」とし、「」の副題を付して開催。 全国の競馬場および東京競馬場内にあるでは記帳台と献花台が、全国のおよびにおいて記帳台が設置された。 実施された8月3日から9月1日までに、1834件の献花、3万9243件の記帳が集まり、後日オーナーの金子真人に届けられた。 さらに、2019年11月24日の開催は「」と銘打ち実施され、この日に行われたジャパンカップには「ディープインパクトメモリアル」の副題が付けられた 詳細はを参照。 さらに、2020年より自身が重賞初制覇を果たした報知杯 GII が、本馬の功績を讃えて「報知杯弥生賞ディープインパクト記念」に名称変更される事が決まった。 JRAにおける馬名を冠した重賞競走の創設は1974年改称の(廃止)および(廃止)以来46年ぶり、サラブレッド系競走としては1967年創設の(現存)以来53年ぶりで、現存する競走としては、と合わせて3つ目となる(副題となる トキノミノル記念)を含めれば4つ目、地方競馬には(2014年創設)など他に複数例がある)。 フランスでもディープインパクト死亡のニュースは報じられた。 パリチュルフ紙は訃報を受けた翌日、凱旋門賞出走時の写真とともに記事を一面で掲載し、「真のアイドル」と報じた。 ジュールドギャロ紙は「Sayonara,Deep Impact」の見出しでトップ扱いで報道し、「日本において競走馬という枠を超えた特別な存在だった」と説明した。 関係者からのコメント [ ] 競馬関係者• 金子真人「無敗の3冠制覇をあっさり成し遂げてくれたことには、とても感動しましたし感謝しています。 最も感動したのは凱旋門賞で負けて帰国した直後のジャパンカップ、有馬記念を連勝してくれたことです。 その直後、あまり前例のない4歳での引退種牡馬入り後も大成功してくれました。 との2頭のダービー馬も私にプレゼントしてくれました。 突然の訃報に涙が止まりません。 心から冥福を祈ります」• 武豊「体調が良くないと聞いていたので心配していたのですが残念です。 私の人生において本当に特別な馬でした。 彼にはただただ感謝しかありません」「僕にとっても特別でヒーローみたいな馬でした。 ありがとうと言いたい」• 池江泰郎「今朝、報告を受けてびっくりしました。 とてもショックです。 朝から報道機関から次々と電話がかかってきて、改めて偉大な馬だと感じました。 社台スタリオンステーションで大事にされ、何とか元気になってくれたら、と思っていました。 まだ17歳ですからね」「お父さんになってからも活躍馬を何頭も送り出し、私自身、一年一年が過ぎていくのが早かったです。 やっぱり夢はディープの子供が凱旋門賞を勝ってくれることです」• 市川明彦「種牡馬として日本の競馬界をリードしてくれましたし、日本の競馬会を変えた馬です。 それにしても、 亡くなるのが ちょっと早すぎますね。 長生きしてほしかったです。 残念です」• 西内荘「僕の装蹄人生を変えてくれた馬。 初めて試した 接着装蹄のことを含め、ディープには感謝しかありません。 ディープの後、あれだけの馬に出会えていません。 超える馬に合っていません。 僕の中で非常に大きな存在です」• 吉田勝己「ノーザンファームの過去の生産馬の中でも間違いなく最高の競走馬でした。 種牡馬としても大成功を収めていただけに本当に残念です。 心よりご冥福をお祈りします」 著名人 ディープインパクト急死のニュースは普段は競馬のニュースが取り上げられる事の無い各民放テレビ局のニュース番組でもトップで取り上げられた他、関係者のみならず各方面、著名人からも惜別のコメントが相次いだ。 関西テレビ「」の司会者を務めるお笑いコンビ・のは、「次元の違う走りで衝撃をあたえ続けた日本最高の名馬でした。 産駒にもその強さは受け継がれ今もなお競馬界を創造し続ける偉大すぎる血統です、天国で名馬たちとのんびり走ってくださいね。 本当にお疲れ様でした。 そしてありがとうございました」とディープインパクトを讃え、感謝の言葉を述べた。 ディープインパクトの全兄の産駒であるなどを所有した馬主でもある、演歌歌手の は所属事務所を通じて「競走馬としてはもちろん、種牡馬としても世界に誇る偉大な名馬でした」「生きとし生けるもの…いつかお別れする時は訪れるのですが、寂しいです。 どうぞ安らかに」とコメントした。 歌舞伎役者のは自身のブログに「かなしい かなしすぎる!」のタイトルで記事を投稿し、「ディープインパクト、かなしい、かなしい」と吐露。 「忘れられない名馬、凱旋門賞負けた時私は涙流しました、、」とディープインパクトへの想いを明かした。 競走馬としての特徴 [ ] レーススタイル [ ] 後方待機からの強烈なが身上であった。 道中は中団から後方につけ、3 - 4コーナーから一気にまくりあげて他馬をごぼう抜きするというレーススタイルでGI競走7勝を挙げた。 主戦騎手の武豊は、新馬戦の追い切りの際に少しスピードがありすぎると感じたため、ゆったりとしたレースをさせるようにしたと述べている。 また、の中でじっとしているのが嫌いで落ち着きがなかったため、スタートが上手くできず出遅れることが多かったことも、追い込みという脚質になった一因だとされている。 ディープインパクトの強みは優れた瞬発力とスピード、そして末脚の持続力である。 実際、上がり3ハロンのタイムは日本国内の競走では全競走で出走馬中最速であり、東京優駿(当時)、菊花賞、天皇賞(春)、ジャパンカップ、有馬記念(4歳時)などでは史上最速であった。 また、天皇賞(春)ではいつも通りの後方待機策から残り600メートル付近で早くも先頭に立ったにもかかわらずそのまま押し切っており、そのトップスピードの持続力は卓越していた。 武豊は東京優駿後のインタビューで「この馬は瞬発力が続くんです。 ド〜ンとゴールまでそのまま行く」と答えている。 調教師の池江泰郎も、瞬発力に優れ、しかも長くいい脚を使うのはディープインパクトの強さを感じるところだと述べている。 反面、ほかの馬と馬体を併せるレースとなった弥生賞ではクビ差とディープインパクトにしては僅差での勝利、同じようにほかの馬と馬体を併せる形となった凱旋門賞では3位入線と敗れている。 調教助手の池江敏行はこのことに関して、「馬体を併せると、本気で走らない気がする」とディープインパクトの引退後に語っている。 身体的特徴 [ ] ディープインパクトはレース時の体重が436 - 452で、サラブレッドとしては小柄な体型である。 デビュー戦の452キログラムがもっとも重く、最低体重を記録したのは引退レースの1戦前であるジャパンカップだった。 出走したGI競走の中でも、皐月賞・菊花賞・有馬記念(2005年)・ジャパンカップ・有馬記念(2006年)では出走馬の中で最低の馬体重だった。 馬体が小さいため、当初は他馬に揉まれ弱いという声もあったが、他馬に揉まれながらも皐月賞に勝利したあとは「大型馬よりも故障のリスクが小さい」と馬体の小ささが肯定的に見られるようになった。 種牡馬入りのときの健康チェックでは体高(キ甲=首と背の境から足元まで)が164だったが、社台スタリオンステーションの徳武英介は、父サンデーサイレンスと同じサイズで体格的に種付けは心配ないと述べている。 島田明宏によるとディープインパクトは「意外にも食いしん坊」と評している。 島田は2005年の夏における札幌での調整に密着した際、馬房の左に飼い葉桶、右に水桶を吊るし、その下に市川が青草の束を置くと、ディープインパクトは飼い葉桶から顔を上げ、水桶から水を飲み、次に青草を少し食べてまた飼い葉桶の飼料、という「」をし、食欲は旺盛でも食べても太らないのはこの食べ方によるところが大きいのではないかと述べている。 馬体に関しては、バランスの良さを指摘する声もある。 の永井晴二はディープインパクトの馬体について、「ボリューム感に欠ける」ものの、「よく見ると実にバランスの取れた馬体」をしていて「すべてがコンパクトにまとまっている」と評している。 前代表のは、「お尻のつく位置や骨の太さなど、すべてのバランスがいい」と述べている。 また、体の柔らかさも指摘されている。 ノーザンファーム早来時代に育成を担当したスタッフは、「やわらかくて、ゴム鞠のように弾むようなバネがあった」と証言している。 また、同ファーム場長の秋田博章もディープインパクトがを走る様子を見て、今まで見たことがないような柔軟性があり、まるで「ネコ科の動物」が走っているようだったと語っている。 のは、犬や猫などのように後ろ脚で耳を掻くことができるほど体が柔らかいと発言している。 サラブレッドクラブ・ラフィアンの岡田は「筋肉の質がよくて柔軟性に富んでいる」と述べ、そのため伸び縮みが自在になると考察している。 武豊はその柔軟性の高さを「」にたとえている。 さらに、GI馬に共通した特徴である薄い蹄を持っている。 皐月賞までは順調に勝ち進んだものの、東京優駿に向かうにあたってこの点が問題になった。 蹄が薄い馬の場合、をで固定すると馬がストレスを感じるためである。 また、皐月賞が終わると蹄もボロボロになり、釘を打てる場所がなくなっていた。 そこで装蹄師の西内は、新しい方法で蹄鉄を装着して東京優駿に臨むことにした。 それは、装締によって蹄に負担がかからないように従来の釘による装締を止め、クッションの役割を果たすシューライナーを蹄に貼り、その上にエクイロックスという特殊な接着剤で蹄鉄を蹄に装着する方法であった。 ディープインパクトはこの方法により装着された蹄鉄で東京優駿に勝利した。 走る時の特徴 [ ] 装蹄師の西内はディープインパクトの蹄鉄の減りがほかの馬に比べて遅いことを証言している。 実際、かつて武が主戦騎手として騎乗したとがそれぞれ2週間使用した蹄鉄とディープインパクトが3週間使用した蹄鉄を比較すると、ディープインパクトの蹄鉄の方が減りが少なかった。 西内はその理由として、ディープインパクトの地面をがっちりと捕まえる走り方を挙げている。 西内によれば、本来競走能力の高い馬は蹄鉄の減りが早いのだが、ディープインパクトの場合はそのような走法のために摩擦が少なく蹄鉄が減りにくいという。 NHKスペシャル「ディープインパクト〜無敗の3冠馬はこうして生まれた〜」によれば、ディープインパクトはその柔軟性から後ろ脚を平均的なサラブレッドより前、重心の真下に着く事が出来る。 よって、無駄無く力強い推進力が生み出され、蹄鉄の減り・脚元への負担が少ないと結論付け、ディープインパクトを「軽量ボディに大排気量のエンジンを搭載したスポーツカー」と表現した。 岡田繫幸はディープインパクトの蹄鉄が偏りなく摩耗することについて、「着地した脚がそのまま上体を乗せて、体が前に伸びきるまで前に運ぶからです」と述べている。 心肺機能が他の馬より優れていることも強さの一つとして挙げられている。 3歳以上の馬のVHRmaxの平均は14. 6であるのに対し、ディープインパクトはデビューの時点で16. 3を示した。 HR100も一般的な3歳馬は10分以上かかるが、皐月賞のときにディープインパクトが記録したのは2分42秒であった。 JRAが菊花賞でのディープインパクトの走りを研究したところによると、武豊の「走っていると言うより飛んでいる感じ」という言葉に反して、三冠を達成した菊花賞でのラスト100メートルの走りを検証したところ、ディープインパクトは4本の脚がすべて地面についていない時(エアボーン)の時間がほかの他の馬の平均である0. 134秒よりも短く、0. 124秒だった。 しかし、その間の移動距離は長く、他の馬の平均が2. 43メートルであるのに対し、ディープインパクトは2. 63メートルだった。 同研究所は、飛ぶことによって馬体の上下動に余計な力を使ってしまい、そのうえ前へ進む力も継ぎ足せなくなるため、エアボーンの時間が短いことは速く走るためのメリットだと説明している。 また、2本の脚が同時に地面に着いている時間が少ないことも明らかになった。 この脚と脚が同時に着いている時間が短いという特徴はアメリカの三冠馬にも見られることから、速く走る馬の特徴なのではないかと同研究所の高橋敏之は推測した。 さらに同研究所は、走るときに後肢を大きく前方へ振り出していること(それによって後肢を後方に引き戻す速度が上がり、着地するときの制御力も小さくなる)などをディープインパクトの効率的な走りの特徴として挙げている。 同研究所は、ディープインパクトの走りには「強いウマ、速いウマの走りのテクニックが凝縮されて」おり、「空を飛んでいる」と武豊が言ったのは、ディープインパクトが馬体の上下動を抑えて重心を低くしたスムーズな走行をしているからだと研究結果をまとめている。 岡部幸雄はかつてで勝利した1992年ので「雲の上を走っている」と感じたといい、「"飛ぶ"という言葉は、馬に無駄な動きが一切ないということだと思う。 滞空時間というより、上下だけでなく左右にもブレがないからスーッとそのまま飛んでいる感じになるのだろう。 テイオーも上下のブレが非常に少ない馬で、バネの利いたフットワークが素晴らしかった。 背中に乗っていても全く揺れがなく、どこまでも一直線に走っているイメージだった。 心地よいという乗り味という意味では、2頭は似ている部分が多かったと思う」と述べている。 気性・性格・知能の特徴 [ ] 武豊は「走ろうとする気持ちが強すぎるので、乗る立場からすれば難しい馬」 「この馬が本気で行きだしたら止めるのは容易じゃない」 と語っている。 3歳時はほかの馬が前を走っていると調教でも追い抜こうとして抑えるのに苦労するほどで、さらに調教で馬場に出るときに尻っ跳ねをする癖があった。 でもうるさい様子を見せており、とくに東京優駿では焦れ込んで馬場入りのときと同じように尻っ跳ねをする仕草もした。 3歳夏の札幌競馬場でのトレーニングでは、これらの癖を直すための調教もされた。 このトレーニングが功を奏したのか、その後はある程度改善され、4歳時の有馬記念前の調教では他馬に反応することも尻っ跳ねをすることもなくなった。 普段は人懐っこくておとなしく、厩舎では「お坊ちゃまくん」のニックネームで呼ばれていた。 「素直な性格」 で「天然」 だと厩務員の市川は述べている。 調教師の池江はディープインパクトを「とてもおとなしい」馬だと言い、さらに「人間が好き」で「優しい馬」だと表現している。 競走馬時代の担当のも、ディープインパクトは「性格が気さく」であり、これほど性格が良い馬はそういないと語っている。 種牡馬となってからの担当厩務員である森田敬治は、自分が人間よりも上の立場だということを誇示したがるほかの種牡馬と違って、ディープインパクトは人間と対等の立場で接してくると証言している。 非常に利口な馬でもあり、調教助手の池江敏行によると、普通の馬が10回で覚えることをディープインパクトは2、3回で覚えてしまうという。 武豊も頭の良さは認めており、菊花賞でディープインパクトが一周目のホームストレッチでかかってしまったのは、頭が良いので3コーナーから4コーナーにかけてスパートをかけることを覚えているために、一周目のゴール板を正規のゴールと勘違いしてしまった(=そこまでに先頭に立たなければならないと勘違いした)からだと証言している。 評価 [ ] 公式レイティングによる評価 [ ] 2005年のでは長距離(ロング:Long - 2101メートル - 2700メートル)でのパフォーマンスが124ポンドと評価された。 ほかの距離区分も含め総合9位、3歳馬の中では4位にランクされた。 超長距離においては118ポンドに評価され、この距離区分では世界1位となった。 2006年の同ランキングでは長距離で127ポンドに評価され 、・・に続く総合4位タイ、芝部門ではレイルリンク・と並び世界1位タイにランクされた。 ちなみに当時はにおけるの134ポンドに次ぐ日本調教馬歴代2位のであった。 超長距離部門では123ポンドに評価され前年と同様、世界1位だった。 また、2006年7月10日にIFHA(国際競馬統括機関連盟)から発表された「トップ50ワールドリーディングホース」の2006年から7月10日までの集計分では125ポンドに評価された。 このレイティングにより、集計期間内に(G1)に勝利していたハリケーンラン、また、同じく集計期間内に(イギリスG1)を制していたシロッコと並び、ランキングが設立された以降、日本馬として初めて世界1位にランクされた。 競馬関係者による評価 [ ] ディープインパクトを管理した調教師の池江泰郎は、3歳春の時点で同馬を「理想的なサラブレッド」と言い、長所として騎手の指示に対する反応の良さを挙げている。 14戦全てに騎乗した武豊は、弥生賞後のインタビューにおいて同馬の長所は何かという質問に対して負けないところだと答えている。 その後武豊は、負けないという意味は「すべての面でほかの馬を圧倒している」ということだと発言している。 ダービー後のインタビューでは「ぼくはずっとこういう馬を探していた、という感じ。 」と表現し 、後に改めてその発言の意味を具体的に聞かれ「すごくシンプルに、走るのが速い馬。 スピードがあるとか、持久力があるとか、全てを通り越して、圧倒的に足の速い馬が現れるのを待っていた。 」「(自身が騎乗した)ももも速かったけど、それとはまた感じの違う速さ。 どっちが上とかじゃなく。 」と答えている。 菊花賞で無敗の三冠馬となったディープインパクトだが、同じ無敗の三冠馬のシンボリルドルフとの比較という点においては、同馬の主戦騎手だったが「ルドルフのほうが強い。 ルドルフは競馬のすべてを知り尽くしていた」、「終始馬体を併せる作戦を取ればルドルフなら勝てる」と答えており、ディープインパクトにはシンボリルドルフに匹敵する能力があるとしつつ、欠点の少なさにおいてはシンボリルドルフの方が上 であると評している。 しかし同時に、自ら「ディープインパクトの追っかけ」 と言うほどのファンでもあり、凱旋門賞のときは声を荒らげて応援していた。 一方、ノーザンファーム場長の秋田博章は、「ルドルフはソツのないレース巧者」で「優等生という印象」と言ったうえで、「ディープの強さは並ぶ間もない圧倒的なもの」と発言し、「一枚上」だと評価した。 の場合は菊花賞のあとに「ルドルフを超えたというよりもすごい馬が現れたと感じている。 潜在能力がまさにケタ違い」と評している。 は最も印象に残っているディープインパクトのレースに新馬戦を挙げており、その理由は「レース終わってユタカちゃんがG1制した時でも見せない表情で興奮してた」というものであり、「伝説を残すってその時点で確信した」と述べている。 また、「キンカメでダービーを勝たせてもらって、その翌年にディープのようなスーパーホースが出てくるとは思わなかった」といい、「セレクトセール出身で、実績で産駒でその価値を高めて、日本競馬のレベルを飛躍的に押し上げた」と述べている。 コンゴウリキシオーやフサイチアウステル等で対戦経験のあるは、著書「騎手の一分」の第3章「強い馬とは何か」の中で「別格だったディープインパクト」という項目を設け、「積んでいるエンジンが全く違った。 」、「騎手の腕なんて関係なく、誰が乗っても勝てる馬だった。 」 「ディープと同じレースに出走する時はみんなディープの2着を狙っていた。 」と述懐している。 は2008年にが前哨戦を使わずに凱旋門賞に挑戦することが報道された際に、現地の記者から「なぜ日本の馬は休み明けで使いたがるのか」と質問された際にディープインパクトの名前を挙げて「日本のトップホースは充分に凱旋門賞を勝てるだけのレベルにある。 ただ、このレースは休み明けで勝てるほど甘いものではない」と前置きしたうえで、「僕はいまでもディープインパクトは一回叩いていれば勝てたと思っているんだ」と質問に答えている。 競馬評論家のは、ディープインパクトの新馬戦の翌日に行われたイベントで「今まで(=数十年間)見てきた中で、一番『これは強い』と思ったレースは? 」と振られ「昨日のディープインパクトの新馬戦」と答えた。 その後井崎は、ディープインパクトのことを「競馬史上の最強馬」ではないかと発言した。 その理由として、名馬のレースで「なんだこれ!? 」と感じるのは1頭に1回だが、ディープインパクトの場合は新馬戦と2戦目の若駒ステークスの2回連続でそう感じたことを挙げている。 また、競馬評論家のは日本国外にもディープインパクトを高く評価している競馬記者が複数存在することを証言している。 合田が指摘しているように、イギリスの紙は2006年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングのレイティングが日本の競馬のレベルを低く見すぎていて保守的であると不満を唱え、独自のレイティングでディープインパクトを133ポンドで世界一にしている。 合田によると、にも「35年間競馬を見てきた中でディープインパクトは一番印象的だった馬」と述べ、ディープインパクトに高評価を与えた記者がいるという。 投票による評価 [ ] (平成20年)、平成20年度顕彰馬選出投票において競馬担当記者による投票で186票中164票(得票率86. 6パーセント)を獲得し、28頭目の顕彰馬(競馬殿堂入り)に選出された。 それを記念しての1階メモリアルホールにおいて「祝 ディープインパクト号殿堂入り記念展」がより開催され、の複製や東京優駿とジャパンカップ優勝時に装着した蹄鉄などが展示された。 (平成22年)に京都競馬場で第12競走として開催される「京都ゴールデンプレミアム」の人気投票において当馬が最多得票を獲得し、「ディープインパクトメモリアル」の副名称を付与して開催された。 競馬雑誌『』(2010年8月号)が同誌の創刊800号を記念して読者・ライター・評論家・編集者の投票により決定した「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち The Greatest Horses 100」のランキングでは、読者部門とライター・評論家・編集者部門でともに第1位に選ばれ、この2つを合計した総合部門では14074ポイントを獲得し第1位となった。 なお読者部門では、10代から60代以上のすべての世代で第1位に選ばれている。 競走馬時代には、出走したJRA主催の全競走において単勝式馬券で1倍台の1番人気に支持された。 その中でもGI競走では、東京優駿・天皇賞(春)・宝塚記念・ジャパンカップで史上最高の単勝支持率、皐月賞・菊花賞・有馬記念(2006年)で史上2位となる単勝支持率を記録した。 各方面への影響 [ ] 社会現象となる [ ] 現役競走馬時代、ディープインパクトの存在はと言われ 、高い注目を集めた。 でされた2006年の凱旋門賞の平均は関東で16. 4パーセント、関西で19. 7パーセントを記録し、また瞬間最高視聴率は関東で22. 6パーセント、関西で28. 5パーセントを記録した。 2005年10月23日、三冠達成が懸かったでは、普段は別番組として放送され、レース映像しか共有しない関西テレビ『』とフジテレビ『』が初めて共同制作の形式を取り、ディープインパクトが特別な存在であることを印象づけた。 そのような高い注目と相まって、競馬専門誌やだけでなく一般の・雑誌・テレビ番組などのもその存在を取り上げた。 JRAに対する取材の申し込みは例年の10倍に及んだ。 三冠達成後の2005年にはで「ディープインパクト〜無敗の3冠馬はこうして生まれた〜」が放送された。 なお、同番組は2005年のを受賞した。 でも取り上げられ、ハイセイコーのときと同様にを飾ったことや(『』2006年15号)、凱旋門賞の前に『』でディープインパクトの物語が短期集中連載された ことがある。 競走馬引退後の2007年4月には、「」のにと共演している。 現役競走馬時代の2005年と2006年には、その年を代表する存在として扱われることもあった。 2005年にはの候補語60語にノミネートされた。 また、2005年の『』のでは「西関脇」に番付された。 このような現役競走馬時代の知名度、人気から競走馬引退後もJRAによるプロモーションに活用されている。 (平成24年)にJRAが近代競馬150周年を記念して制作したテレビCM「次の夢へ」(60秒版)では、ディープインパクトの出走シーンがCM内で使用されていた。 また、(平成25年)のJRAのテレビCMシリーズ「」では、天皇賞(春)のプロモーションの際に、同競走の歴代優勝馬の一頭としてディープインパクトが登場した。 翌(平成26年)の「The GI story」でも、東京優駿のプロモーションにおいて同馬が登場した。 2014年現在、記念投票券のイメージとして同馬の単勝勝馬投票券が表記されている。 経済的影響 [ ] サッポロ生ビール第52回缶。 第51回優勝馬ディープインパクトのイラスト。 教授のは、ディープインパクトが出走したGI競走と出走していない前年の同じGI競走の入場者数や売り上げなどを比較し、その増加分から同馬によってもたらされた経済波及効果を試算し、その結果経済波及効果は262億円と推定された。 これは、この年を制したの優勝の経済効果を共立総合研究所(岐阜県)が約200億円、を中心としてを制し、同年の中日とのを制して日本一に輝いたの経済効果についても北海道未来総研が約220億円と試算している。 宮本は「1頭の馬が70人を超える2つのプロ野球球団のV効果を、ともに上回っているのは驚異的なこと」と述べ、今回の試算では新聞、雑誌、テレビなどの広告宣伝効果は計測しておらず「それらを推定すると、ディープの経済効果はさらに膨大な金額に膨れ上がるでしょう」という。 関連商品はよく売れ、同馬の関連商品によって2005年の競馬グッズの売り上げが前年より10パーセント増加したとの職員は語っている。 なお、同センターが販売する競馬グッズの売り上げの3分の1が同馬の関連商品だった。 関連「商品」ではないが、単勝馬券を払い戻さずに取っておくファンも多数存在する。 同馬が日本国内で出走した全13レースのうちで単勝馬券の未払い率が最高となったのは引退レースである2006年の有馬記念で、同競走の単勝馬券の未払い率は9. 1パーセント(通常は0. 3パーセント)を記録した。 また、13レースの単勝馬券の未払い額は合計で2億8731万6370円となった。 単勝馬券がで取引され、1万円以上の値がつくこともあった。 一般企業がディープインパクトとのタイアップ商品を売り出すこともあった。 ではディープインパクトのまで発売された。 また菊花賞と宝塚記念のときにはのである「」でディープインパクトが図案となっているカードが発行された。 引退後の2007年には、ディープインパクトの応援歌「翔んでディープインパクト」(歌:)が発売された。 またこの年には前年の有馬記念優勝を記念した缶ビールを発売した。 2015年にはスペインの名窯社が同馬の精巧な陶人形を日本限定で3000体発売した。 交通面への影響 [ ] 菊花賞当日のレース終了後、京都競馬場の最寄り駅であるではディープインパクトの三冠達成を見てから帰宅した競馬ファンでが混雑し、の臨時停車やを大増発した。 それでも捌き切れずにホーム上の安全性確保と混雑緩和の観点から急遽を4本のみ臨時停車させた。 さらに競馬場付近を走る京阪宇治バス(現・)やのなどのや周辺も、当日は混みに混み合って、渋滞が解けたのは京阪宇治バス宇治淀線の最終バス発車間際の午後10時ごろであったという。 ファンの少年の自殺 [ ] 2006年10月11日にが発生。 その少年が残した遺書に「生まれかわったらディープインパクトの子供で最強になりたい」と記されていたことが報道された。 この報道を受け、蹄鉄製造会社の社長がディープインパクトが使用していたものと同型の蹄鉄を遺族に贈呈し、主戦騎手である武豊が色紙を中学生とその遺族に贈ったことが話題になった。 対戦した競走馬の故障 [ ] ディープインパクトが勝ったGI競走の2着馬は7頭いるが、うち6頭(シックスセンス、インティライミ、アドマイヤジャパン、リンカーン、ナリタセンチュリー、ドリームパスポート)がそこから1年以内に故障を発症している。 これら2着馬の故障続出の事実は現役当時「ディープインパクトの呪い」として週刊誌で取り上げられた。 日本国内で唯一ディープインパクトに勝利したハーツクライも、先述の通り、その翌年にを発症し引退に追い込まれている。 また、凱旋門賞でディープインパクトを破ったレイルリンクも翌年骨折、さらには腱を痛めて引退している。 唯一、健常な競走馬生活を送ったのはポップロックで、のちにアイルランドにレースの場を移して2010年(9歳)まで現役を続けたが、最後にはレース中に屈腱炎を発症して引退となり、「ディープインパクトの(GI競走)2着馬はGIを勝つことができない」というもう一つのジンクスについても打ち破ることは叶わなかった。 87 5億4074万3000円 74 187 34 41 35 1. 17 5億3704万3000円 2011年 210 960 111 150 4 3. 09 24億8904万7500円 206 879 100 135 2 1. 95 24億5909万4000円 2012年 317 1664 168 269 1 4. 23 50億4532万3000円 296 1389 145 216 1 2. 88 50億3164万3000円 2013年 364 1876 171 243 1 3. 89 54億0838万2500円 342 1586 152 203 1 2. 67 54億6122万5000円 2014年 432 2297 190 280 1 3. 86 65億9287万3000円 406 1928 162 232 1 2. 74 67億6270万円 2015年 467 2665 202 314 1 3. 63 69億0405万9000円 440 2053 161 224 1 2. 55 69億701万5000円 2016年 471 2671 186 304 1 3. 72 73億2503万4000円 423 1914 158 230 1 2. 80 73億7053万1000円 2017年 510 2715 235 346 1 2. 70 58億9099万8000円 462 2025 194 251 1 2. 02 58億3915万9000円 2018年 520 2668 237 348 1 3. 11 67億9865万3000円 475 2063 193 265 1 2. 29 67億7704万2000円 2019年 510 2518 241 345 1 3. 63 77億0166万2000円 461 1906 199 257 1 2. 70 76億8176万8000円• 種牡馬成績は2019年 平成31年、令和元年 終了時点• 2008年産• マイルチャンピオンシップ、、• 、 、2回• 2009年産• 、 、 2回、牝馬三冠 桜花賞、 、 、、• 2回、• 2010年産• 東京優駿、 、、、• 桜花賞• 、産経大阪杯• 2011年産• ジャパンカップ、 秋華賞、• 、 、、エプソムカップ• 、 エリザベス女王杯• 、 マイルチャンピオンシップ、、、シンザン記念、• 桜花賞、、、• 安田記念、、スワンステークス• 2012年産• 優駿牝馬、 秋華賞、• 、、毎日王冠• 、富士ステークス• 阪神ジュベナイルフィリーズ• 2013年産• 、 有馬記念、、、きさらぎ賞、京都大賞典• ドバイターフ 、 秋華賞• 東京優駿、 ニエル賞 、弥生賞• 、、共同通信杯• 優駿牝馬、ローズステークス、チューリップ賞• ( ヴィクトリアマイル)• 2014年産• 皐月賞、 、毎日杯• 朝日杯フューチュリティステークス• 、、、• 2015年産• ( 菊花賞、 2回)• ( 東京優駿、東京スポーツ杯2歳ステークス、神戸新聞杯)• NHKマイルカップ• 朝日杯フューチュリティステークス、弥生賞、、、• ( 、)• 2016年産• ( 東京優駿)• ( 菊花賞)• 桜花賞、 安田記念、阪神カップ、サウジアラビアロイヤルカップ• 優駿牝馬• 阪神ジュベナイルフィリーズ、チューリップ賞、ローズステークス、• 2017年産• ( 東京優駿、 皐月賞、 、東京スポーツ杯2歳ステークス)• コントレイル(2017年産) グレード制重賞優勝馬 [ ] 競走名の前の国旗は開催国、日本国外調教馬の馬名はカタカナ+英字で明記• 2008年産• 2回、• 新潟大賞典• マーメイドステークス• 2009年産• 札幌記念、アメリカジョッキークラブカップ、エプソムカップ、• マイラーズカップ、きさらぎ賞• 京都新聞杯• 京都金杯• 中日新聞杯、新潟記念• 毎日杯• ラジオNIKKEI賞• ラジオNIKKEI杯2歳ステークス• 2010年産• 、、小倉記念、中日新聞杯• 阪神牝馬ステークス2回、東京新聞杯、京都大賞典• 、ローズステークス• 、京都牝馬ステークス• 2011年産• 新潟記念• 富士ステークス• 2012年産• 大阪杯、ラジオNIKKEI賞• 京都新聞杯• ホープフルステークス、CBC賞• ローズステークス• CBC賞、• 小倉大賞典、• マーメイドステークス• 中京記念• 2013年産• 青葉賞• ホープフルステークス• 、関屋記念• ラジオNIKKEI賞、七夕賞• 2014年産• スワンステークス、マイラーズカップ、札幌記念• 弥生賞、、小倉大賞典• 青葉賞• 阪急杯• 2015年産• (阪神牝馬ステークス、京都金杯、京都牝馬ステークス)• (阪神牝馬ステークス、クイーンステークス)• (ローズステークス、フラワーカップ• (フローラステークス)• (関屋記念、東京新聞杯、)• (中日新聞杯)• (中日新聞杯)• 2016年産• 、毎日王冠、共同通信杯• 弥生賞• 、フラワーカップ• きさらぎ賞• 2017年産• シンザン記念• (毎日杯)• (フェアリーステークス)• (クイーンカップ)• 2009年産• 文月賞、仙酔峡賞、大淀川賞、五ケ瀬川賞、球磨川賞• 2011年産• 2014年産• 母の父としての産駒 [ ]• 2014年産• :( 菊花賞)- 父• 2016年産• :(、)- 父• :()- 父• :()- 父 弥生賞ディープインパクト記念 [ ] ディープインパクトの死去を受けて、同馬の競走馬時代と種牡馬時代の活躍を称えるため、JRAは例年3月に行う「報知杯弥生賞」を2020年から「報知杯」と改称することを決めた。 ディープインパクトは弥生賞で重賞初制覇し、その後無敗で三冠馬となったため「この一戦こそがディープの冠を付すにふさわしい」と決まったという。 JRAの重賞競走でサラブレッド競走馬の名前を冠したものが誕生するのは52年ぶりで、現存する重賞としては(1947年採用)、(1967年採用)とともに3レース目となる。 「弥生賞ディープインパクト記念」として初めて行われた2020年の同レースは、ディープインパクト産駒のが優勝した。 血統 [ ] 血統背景 [ ] 母・ウインドインハーヘア 父サンデーサイレンスはやを制した競走馬。 13年連続で日本のに輝き、GI馬を多数輩出するなど、日本競馬史上に残るである。 母は競走馬時代にG1のに優勝し、でも2着に入る活躍をした。 半姉に、5歳の6月という遅いデビューながらデビューから無傷の5連勝をし、2003年ので4着に入った(父、6戦5勝) 、全兄に2004年のを制した 、全弟に2005年の3着の 、半弟に2006年のホープフルステークスを制したニュービギニング(父) がいる。 また、レディブロンドの孫に、東京優駿や天皇賞(秋)に優勝したがいる。 このハイクレアの一族にはのなどを制した Nashwan 、2002年のなどに勝った Nayef がいるほか、種牡馬として日本に輸入された 、2003年のなどを制した 、2006年のを制したソリッドプラチナム といった日本で活躍した競走馬もいる(そのほか近親の活躍馬はの項目を参照)。 血統表 [ ] ディープインパクトの (血統表の出典) - 中略 - -• 父サンデーサイレンスも(昭和61年)の同じ日に生まれている。 によると、金子以外に本馬の落札希望者はおらず、金子の「ひと声」で落札されたという。 トップはの2002(のちの)の3億5000万円• 他の2勝は1993年の、2000年のでの勝利。 最多勝記録は2015年にがで4勝目を挙げて更新した。 前年比106. 2013年・2014年には生産者のが、で連覇を達成している。 なお、キズナはディープインパクト産駒でこのレースでのキズナの鞍上は武豊であり、武は史上初の同一騎手による東京優駿父仔制覇を達成した。 その理由として武豊は、苦境に立たされそうな場面で必ず自分やファンを救い、さらに売り上げの増加という点で競馬界も救ってくれたからだと述べている。 武は長距離戦の道中のように馬銜を長手綱にして折り合いをつけていた。 菊花賞優勝馬としては(昭和18年)のの75. 0パーセントを超える史上最高支持率となった。 このため、2番人気の馬であったシックスセンスの単勝オッズが2番人気馬としては極めて異例である20倍を超えたオッズが付くこととなった(20. 7倍)。 2番人気の馬が20倍を超えるオッズとなるのは世界的に見ても極めて少ない事例である。 2011年のでが単勝支持率81. 4パーセントを記録し、これを更新した。 無敗での菊花賞優勝は1939年のクリフジ、シンボリルドルフに続いて史上3頭目。 武豊はこのロングスパートを、ほかの馬が動かなかったために行ったとしている。 「超長距離部門(Extended)」は2701メートル以上の距離をさす。 宝塚記念は例年阪神競馬場で施行されるが、この年は阪神競馬場が芝コースの外回りの新設工事中だったため京都競馬場で代替開催となった。 ハイセイコーは地方競馬時代の6戦も含めると17戦連続。 「長距離部門(Long)」は2101-2700メートル。 他、が同率。 レイルリンク、ハリケーンラン、シロッコの3頭。 のちに、も達成。 2017年にキタサンブラックが1位となったため3位に後退。 2001年の同レースをが優勝。 翌2007年はが同レースを優勝したため、単独最多の5勝を達成した。 2002年・2003年の以来の2頭目。 啓衆社賞・優駿賞時代も含めると5頭目。 この馬はが購買。 ナリタカサブランカと名付けられ栗東の厩舎に入厩した。 後にこの馬はの名が付けられている。 産駒がデビューして2年目でのJRA年間100勝の達成は(平成7年)のサンデーサイレンス、(平成20年)のシンボリクリスエス、(平成21年)のキングカメハメハ以来のことだった。 桜花賞での同一種牡馬の産駒による3連覇は史上初であり 、同一クラシック競走における3連覇は(平成15年)から2005年(平成17年)にかけて産駒がを制したサンデーサイレンス以来6度目である。 この勝利によって、ディープインパクトの主戦騎手を務めた武豊がG1通算100勝(中央、地方、国外合わせて)を達成した。 産駒の同一クラシック競走4連覇はが優駿牝馬4連覇(1971年、1972年、1973年、1974年)を達成して以来となる。 この勝利によって、産駒による東京競馬場で施行される芝GIレースの完全制覇を達成。 この勝利によって、産駒によるJRAの牝馬限定GI完全制覇を達成。 内国産種牡馬の最高記録でもある。 (311勝)、(113勝)、ディープインパクト• 武は、この勝利で最年長菊花賞優勝騎手となったと同時に、「昭和」「平成」「令和」と3つの元号で勝利した。 書類上はが馬主であり、同社の登記上の代表は長男の大野竜。 2006年の有馬記念での最重量馬である13着のとは118キログラム(556kg)の差があった。 同じ三冠馬のにもそのような特徴があったといわれている(同馬のを参照)。 ディープインパクトにはスタートの拙劣さや気性面に問題があると指摘している。 自身が現役引退後に出演した「(2016年1月23日放送分)」においても当内容と同様の発言をしている。 作者は以前同誌で競馬漫画『』を連載していたで、『優駿の門 特別篇』として掲載された。 のちに単行本化され、から発売された。 図柄となった写真はの協力であった。 カードには菊花賞時は「夢舞台、淀へ」、宝塚記念時は「淀から凱旋門賞へ」と記載されていた。 2016年にJRAからオーストラリアへ移籍。 G1初勝利はオーストラリア移籍後のため、日本国外調教馬として扱う。 2018年に香港へ移籍し、それに伴いStimulationと改名した。 2020年度の開催日程全体の正式発表は2019年10月21日だったが 、それに先立って弥生賞の改称の件は10月上旬から報じられていた。 このほか、現存の競走のうち、副称としては(記念)がある。 既に現存しない競走としては、(1947年 - 2003年)や(1951年 - 1980年)がある。 サラブレッド以外の競走馬では、競走馬の名馬の名をとった、、があったが、いずれも廃止されている。 JRA以外の日本国内の競走では、などがある。 出典 [ ]• JBIS-Search. 2020年1月3日閲覧。 netkeiba. com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2020年1月12日閲覧。 2005年12月31日付 2016年10月10日閲覧。 JBIS-Search. 2020年1月1日閲覧。 日本中央競馬会. 2015年11月16日閲覧。 netkeiba. com. 株式会社ネットドリーマーズ 2008年5月8日. 2018年12月24日閲覧。 、37頁。 、74頁。 、84頁。 、501頁。 週刊Gallop編集部2006年a、49頁。 、39-40頁。 、70頁。 、70-71頁。 netkeiba. com. 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COM 2012年5月14日. 2016年3月14日閲覧。 「」 競馬ブックweb、2012年11月25日。 「日高通信 365」 週刊競馬ブック、2012年12月16日号。 Sponichi Annex. 株式会社スポーツニッポン新聞社 2013年4月8日. 2016年3月14日閲覧。 Sponichi Annex. 株式会社スポーツニッポン新聞社 2013年4月3日. 2016年3月14日閲覧。 netkeiba. com. 株式会社ネットドリーマーズ 2013年11月24日. 2016年3月14日閲覧。 com• com• netkeiba. com. 株式会社ネットドリーマーズ 2013年11月17日. 2016年7月7日閲覧。 netkeiba. com. 株式会社ネットドリーマーズ 2013年9月16日. 2016年9月12日閲覧。 netkeiba. com. 株式会社ネットドリーマーズ 2013年10月6日. 2016年9月12日閲覧。 netkeiba. com. 株式会社ネットドリーマーズ 2014年3月30日. 2016年1月23日閲覧。

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ディープインパクトの後継種牡馬の候補まとめ

ディープ インパクト 馬

ディープインパクトは、ライバルのいない馬だった。 競走馬としての現役時代、国内では13戦12勝と「無敵」を誇ったし、勝ったGI7戦は2着馬がすべて違う馬だった、という点もライバル不在を示している。 種牡馬となってからも、2012年にリーディングサイヤーに輝くと、以後、昨年まで7年連続でその座を守り続けている。 今年もリーディングを独走中で、その記録が8年連続まで伸びることはほぼ間違いない。 ディープインパクトがリーディングサイヤーの座に就く前は、キングカメハメハが2010年、2011年と2年連続でその座にあった。 そして、ディープインパクトにトップの座を奪われて以降も、リーディング2位の座は、キングカメハメハがずっと守り続けてきた。 しかも、その産駒からは、ディープインパクトほどコンスタントではないものの、ロードカナロアやドゥラメンテ、レイデオロといった大物が出ている。 この夏、キングカメハメハが種牡馬を引退したのに続いて、ディープインパクトまでこの世を去ってしまったからだ。 これにより、日本の種牡馬界は2本の柱を同時に失ったことになる。 この点に関して言えば、一歩リードしているのは、キングカメハメハだ。 同馬産駒のロードカナロアが初年度から大物を送り出しているからだ。 国内外のGI6勝と言っても、短距離、マイル戦での結果ゆえ、種牡馬として大成するのか、当初は一抹の不安が囁かれていた。 しかし、「現役最強」の声もあるアーモンドアイ(牝4歳)を初年度産駒から出して、2年目の産駒からも大物感あふれる今年の皐月賞馬サートゥルナーリア(牡3歳)を出している。

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