吉田晴乃さん。 「これからの時代、キャリアパスを悠長に考えている余裕はない」経団連初の女性役員・吉田晴乃さんのメッセージ

「吉田晴乃」のニュース一覧: 日本経済新聞

吉田晴乃さん

先週、朝刊を開いて自分の目を疑った。 経団連初の女性役員として注目され、6月末に大阪で開かれた20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)で女性に関する政策提言を行う「W20」の共同代表を務めた吉田晴乃さん(55)の訃報が載っていたのだ。 亡くなったのはG20閉幕翌日の6月30日、心不全だった。 私が取材をしたのは今年3月の1度だけだ。 だが、その前から雑誌や新聞に英通信大手の日本法人「BTジャパン」の女性CEOとして華やかに登場する彼女を見て、一度話を聞いてみたいと思っていた。 2017年には米フォーチュン誌の『世界の偉大なリーダー50』にも日本人で唯一、選ばれている。 大阪でW20の関連イベントに出演すると知り、すぐに取材を申し込んだのだった。 イベントで、吉田さんは米国の人気歌手、レディー・ガガさんの「born this way(この道に生まれた)」を大音量で流して踊りながら登場。 経団連初の女性役員として初めて会議に出席する前にもこの曲を聴いて自らを鼓舞したことや、内定していた大企業に病気で就職できず、外資系企業で働くしかなかったことなどをユーモラスに語った。 数字で分かる明確な営業成績をあげ、ヘッドハンティングでキャリアアップしてきたという吉田さん。 「数字はユニバーサルランゲージ(世界共通語)」「チームをまとめるのに必要なのは『売り上げ』という明確なゴール」…。 国境や性別を超えて人々がつながるためには経済的な視点が不可欠であることを繰り返した。 また、参加者の女性たちに「25歳以上の働く女性が作る新しい市場は、100兆円を超えるものすごい市場であるといわれている」「女性はよくお金を使うでしょ。 お金を回すのはすごく大事なんです」「何も変える必要はない。 そのままの自分の価値に気づいて」と呼びかけた。

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吉田晴乃さん死去の前日、人生最後になった渾身の演説全文 (1/3):日経doors

吉田晴乃さん

死去の前日、G20大阪サミットにて、W20共同代表として安倍首相に提言書を渡す吉田晴乃さん(写真右/撮影は日経ARIA編集部) ここのところ、G20もご存じのように課題山積でございます。 安全保障の問題から、トレード・ウォーの問題、そして環境問題までと、 なかなかジェンダーの問題までみなさんのお時間と労力がいかないのではないかと心配しておりましたけれども、本日マキシマ王妃(オランダ王妃・国連特使)とイバンカ米大統領補佐官のリーダーシップのもと、ガッとアテンションを引きつけることができたのではないかと思いまして、ホッといたしております。 私も、今回は議長国としてリードさせて頂きました。 ここまでのアクティビティ、世界の注目を浴びるようなイニシアティビティを育てることができましたのも、ここにいらっしゃる国際機関の皆さまのサポートがなければできなかったことです。 特にOECDの皆さま、UN Womenの皆さまももちろん、金融のアクセスという意味ではワールドバンクの皆さま、IMFの皆さま、それからポリシーメイキングということでもみなさまと非常にクロスにお仕事をさせて頂いております。 私たちは23億人の女性を代表している ウィメン20(W20)とは、20カ国といっても私たち23億人の女性を代表しているんですね。 本当に大きな、世界最大のオフィシャルエンゲージメント、女性たちの組織と言っても遜色ないと思っております。 その議長国をこの日本が務めるというので、今年は目黒依子先生(W20共同代表、上智大学名誉教授)とも本当に緊張した日々を皆さんと過ごして、無事、3月に安倍総理に提言書を納めるまでになりました。 この中で安倍総理に感謝申し上げましたのは、やはり私たちはこの5年間、6年間のウーマノミクスの下積みというものが無ければ、こんなに大きなお仕事を引き受けることはできなかっただろうというふうに思っています。 ウーマノミクスをやってみて実感して思ったこと。 それは女性のエンパワーメント、本会議でも経済成長ということが盛んに語られましたけれども、まさにそれを実体験したのが日本だと思っています。 この経験をもとに、3つのポイントを、皆さまと共有できるかなと思っております。

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吉田晴乃

吉田晴乃さん

でも、ここまで来たから言えるのかもしれないけれど、子育てっていろいろな形があっていいと思うんです。 もちろん、子どもといつも一緒に過ごすことができればベストですが、それがかなわない環境ならば、お母さんが真剣に社会で生き抜く姿を見せることも一つの教育だと思っています。 それが正しいかどうかはわかりませんよ。 最終的に決めるのは子ども自身ですから。 ただ、どんな環境にあっても、お母さんはその瞬間その瞬間で自分がいちばん正しいと思う判断を下していけばいいのではないでしょうか。 さまざまな場面で迷いながらお母さんが選んだことって、きっとベストチョイスなんだろうと今は思います。 だから、いま伝えたいんです。 「私もさんざん悩みながらきたけれど、どうやら結果オーライのようですよ」って。 もちろん、私自身も当時はそんなことわかりませんでしたよ。 とにかく稼がなきゃいけませんでしたし。 でも、それより何より、私にとっては通信業界での仕事がとってもおもしろかったんです。 当初、海外で子どもを育てながら働くことに、親はとても反対しました。 学生時代の友人からも「なんでそんなことするの?」って言われました。 それでも止められなかったんです。 とにかくおもしろかった。 通信の仕事がやりたくてやりたくて仕方がなかった。 この思いがすべての源でした。 通信が自由化されて30年。 その間とにかく進化の連続でした。 電話会社と呼ばれていた時代から、今やICTだのクラウドだのと言われるようになり、グローバル化が進んだ。 まったく新しい産業の最先端をつねに走っている感覚でした。 すべてゼロから絵を描いていくという毎日で、本当にエキサイティングでした。 ロンドン、香港とのテレビ会議の様子。 「日本企業のICTへの投資額は米英の半分。 こういうテクノロジーをどんどん利用してフレキシブルワーキングを進めていくべき」(吉田氏) モトローラに入社したのは、ちょうどイリジウム・プロジェクトが進んでいた頃です。 宇宙に77個の衛星を飛ばして、砂漠からでも太平洋の真ん中からでも通信ができるという、とてもロマンチックなプロジェクトでした。 もともと火が付きやすいタイプなので、「これこそが次世代通信のあるべき姿よ!みんなに早く伝えなきゃ!」と夢中になりました。 私の営業スタイルはいつもこんな感じです。 「これだ!」と思うことがあると、人に話さずにはいられなくなる。 止まらなくなるんです。 だから営業成績はいつも断トツでした。 営業の世界は数字がすべて。 だから女性だからと意識させられるようなことはありませんでした。 とにかく夢中だったので、「グラスシーリング(ガラスの天井)」という言葉さえ知らなかったんです。

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