慈 しい 読み方。 「慈慧大師:じえだいし」(慈が入る熟語)読み

可笑しいの読み方と意味、「おかしい」と「かしょうしい」正しいのは?

慈 しい 読み方

慈 使用可否判定 名前に使える漢字です(常用漢字) 字画数 訓読み いつく しむ ・いつく しみ 音読み 名のり・人名訓 意味 いつくしむ。 情けをかける。 恵み深い。 ,母のこと。 成り立ち 形声文字(茲+心)。 音符の「茲(シ)」は「増える」の意味。 心臓の象形で心を意味する「心」と組合せ、子を増やし育てる心「いつくしみ・愛」の意味を表す。 願い 親から子に注がれるような、見返りを求めない愛情を表す漢字。 情け深く温かい心を持った人に成長してほしいという思いを込めて。 漢字のイメージ 熟語 慈愛 慈雨 慈心 慈仁 慈善 漢字の説明例 「慈善事業(じぜんじぎょう)」・「慈悲深い(じひぶかい)」の「じ」 「慈」が入る女の子の名前例.

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「譱」の画数・部首・書き順・読み方・意味まとめ

慈 しい 読み方

ヒンズー教、イスラム教、キリスト教をはじめ、すべての宗教にたった一つの共通テーマがあります。 例えばヒンズー教であれば梵(ブラフマー)から出て梵に帰ることを教えますが、梵に帰るための人間の仕事は愛を実践することと説きます。 また、キリスト教とくれば言わずとも分かるように愛の心がその教えの中心となっています。 仏教でも、この愛という行為ないし言葉は否定しませんし、大切なものと教えるのです。 たいていの宗教では病気治しを掲げることが多いようですが、病気治しをよく観察しておりますと、病気を治してほしい人も治そうとする側もやさしい気持がある人ほど治っていく率は高いようです。 子供が病気になった場合、母親は自分の身命を投げうっても何とか病気を治してあげたいと一心に祈ります。 このときの母親はもう教祖以上の慈悲そのものの存在です。 このように、私たちの心がきれいになり、自分以外の生命あるものすべてに対してやさしい心が作れるようになれば、自分の痛みだけではなく、他人の心の痛みまでをも自分の痛みとおなじように感じられるようになり、その心が自分の病気も他人の病気も治すことが出来るようになっていくのだ、と教えるのが仏教です。 人間はだれもがいつまでも生きていたいという願望を持っています。 しかし人間が生きていくためには自分一人の勝手では生きていけないこともまた事実です。 人間だけではなく、それこそ生きとし生けるすべてのものが、どれひとつを取ってみてもそれぞれが命としてのお互いを支えあっているのです。 からだのなかの微生物でさえ、それがいなければたちまちのうちに人間は滅びてしまうのです。 自分が元気で楽しく幸福に生きていきたければ、回りのすべての生命もまた幸福でなければ成りたたないのです。 すべての生命が幸せで活き活きしていなければ、自分もまた活き活きとした生活はできないのです。 こうした心の有り様は、べつに宗教的に考えなくともごく当たり前の真理でなければなりません。 自分は隣人が嫌いだけれども宗教上の教えだから嫌いな隣人を愛します、と言うのでは何にもなりません。 これは人間がみな幸せに生きるための真理であり、哲学であるのです。 宗教や信仰以前の問題として考えておかなければなりません。 こうした人が幸せに生きていくための愛の心の有り様を、お釈迦さまは 「慈・悲・喜・捨」の四つの心から育てることが必要であると説いたのです。 人間みんなが利己的な幸福を願う世の中で、なかには奇特な人がいて、自分を犠牲にしても人を救ってあげたいという心を持っている人がいます。 たいていの人は自分がどんなにひどく、つらい目に 遭 あってまでも 他人 ひとを救いたいとは思いませんが、自分を犠牲にしても他人を救ってあげたいというのは大変すぐれた心の持ち主と言っていいでしょう。 菩薩行の心は自分がどんなに犠牲になってもすべての 衆生 しゅじょうを救いたいというものです。 しかし仏教的見地からするとこれは偉いことでもなんでもなく、むしろ 過褒 かほうとも言うべきことで、なぜならばこの菩薩行の心も言ってみれば自分のための修行をしているにすぎないのです。 自分が決心をして自分の心の修行のためにやっていることなのですから、仏教のよから見ればそれもおなじような自分のためと言うほかにありません。 菩薩行も方法は人のためといいながら、目的は自分の修行のための方便なのです。 人間の有り様というのはこれほど多様であり、あくまでも自分中心的に生きるしかない動物です。 自分を愛するがゆえの人を愛する行為であり、自分の健康を願うがためゆえの人の健康をも祈るというのが人間本来の正直な心なのです。 したがって、まず自分が幸せになるように祈り、自分の幸せのためには人の幸せを祈ることが必要不可欠なものと知っていくのです。 慈悲の瞑想の第一段階としては、そのために最初に自分の幸せを祈り、自分にやさしい心を作ることが大切なこととなります。 そのときに仏教で「愛」という言葉を用いないのは、「愛」という言葉の持つ不確実性、多様性、複雑性からくる曖昧さがあるからでしよう。 例えば男女の愛と親子の愛では当然ちがいますし、男女の愛のなかにもただ愛という一語では表現できない微妙な差がありそうです。 ですからこの「愛」という言葉の意味を仏教では整理して慈悲喜捨の四つの感情としているのです。 慈悲と喜捨ではなく、慈・悲・喜・捨の四つの感情なのです。 まず第一の 慈の心についてお話しましょう。 慈とは日本では 慈 いつくしみの感情を表しますが、慈しみというよりはむしろ友情にちかい感情と思ったほうがいいでしょう。 みんな仲良くしましようという感情です。 ひとりで食べるごはんより、二人、三人でいっしょに食事をしたほうが楽しいし 美味 おいしいでしょう。 その感情なのです。 大勢の人と仲良くしたい、みんなで楽しく暮らしたいと思う感情、それが慈の意味です。 二番目の 悲は哀(憐)れみの感情です。 日本流に言えば憐憫の感情とでも言いましょうか。 悲しんでいる人を助けてあげたい、苦しみの渦中にある人を救ってあげたいと思う感情です。 だれかが困っていればすぐ助けに行ってあげる、そのときの助けに行く自分は気持がいいはずです。 阪神大震災のときも日本中の人々が何とかしてあげたいと立ちあがりました。 これまで忘れずてにしてきた感情を取りもどしたのです。 あの、被災者を助けてあげたいという感情をいつまでも忘れないでほしいものです。 それは人間であればいつも必要な感情なのです。 この必要な感情を心のなかに育てていく方法を瞑想によって完成させてほしいものです。 三番目の 喜はともに喜ぶ感情です。 人が幸福になって喜んでいるとき、自分もそれを見てともに喜べる感情です。 しかしながらふだん私たちは、自分の回りのだれかが仕事が上手くいったり、人が大金を手に入れたり、ライバルが美人の恋人を持ったりするとすなおには喜べず、嫉妬という感情に苦しめられます。 この嫉妬という感情は恐ろしいものですから、なるべく持たないほうがいいので、それだからこそ人が成功したならば、「ああ、よかった、よかった」と万歳でもできるような喜ぶ感情を抱けるよう、瞑想法によって心を鍛えてほしいものです。 最後の四番目の 捨は捨てると書いて 捨 しゃと読むので意味が結びつかないようですが、平等で冷静な感情を表します。 人間はどんな物ごとに対してもいろいろな感情を抱くものですが、捨はその感情に流されないよう戒め、生命のすべてを見極める心のことです。 人間は、しょっちゅう怒っていたり、悪いことばかりしていたりする人が多いのですが、そういう人たちに翻弄され自分もいっしょになってともに怒ったり、苦しんでいたんではたまりません。 世の中には様々な人がいることは事実ですが、それらを放っておくことも大切なのです。 例えば、この世界にはさまざまな不平等がありますがそれをいちいち怒っていても仕方がありません。 悪人がはびこっていても、その悪人をやっつけるというのではなくただ冷静な心になって平等に見守っている、それが捨の心なのです。 仏教の瞑想の実践はこれら四つの感情をべつべつに育てることが目的です。 その感情は私たちが生まれついて持っていたものではありませんから、ピアノを練習するように瞑想によってこの四つの感情を習得していく以外方法はないのです。 そのために「慈悲喜捨の瞑想法」があるのです。 慈悲喜捨の四つの感情をはやく作るためには、どれかひとついま自分の持っている感情を優先して育てていけば、残りの感情も作りやすくなっていくものです。 友情をもっとも大事と考えている人は、慈の感情から最初に育てていきます。 苦しんでいる人を見てどうしても放っておけないとするならば、悲の感情を育てましょう。 とにかくみんな仲良くと考える人は、喜の感情育成からはじめてください。 人生経験も豊富で知恵もあり、冷静でいられる人は捨の感情を保つことから始めましょう。 瞑想法の具体的なやり方、気持の持ち方、実際の言葉をどう言うかなどは、ヴィパッサナー瞑想の実践に参加した方ならご存じと思いますので、まだ実践したことのない方はヴィパッサナー瞑想法に参加されて学んでいただくことにして、瞑想を実践する基本的な考え方を説明いたしましょう。 瞑想に当たって、自分の生命と他のすべての生命はひとつのものだ、すべての生命は海のようなもので、自分の生命などその海の一滴の 雫 しずくにすぎない、すべての生命は同じものだという認識をいつも心に抱いていることが大切です。 慈悲喜捨の瞑想法はどのようなときに行うか、どこで行うかという問題もありますが、いつどこででも念じていいのです。 朝、早く目が覚めたら静かに座って念じるとか、夜、寝る前に布団に座って一日を感謝しながら祈れば、心ははやく成長するはずですし、悪い夢などに悩まされずに熟睡できます。 この慈悲喜捨の瞑想法を実践して高いレベルまで修得しますと、人間として最高の心の完成を見ます。 この世に起こる奇蹟といわれるような出来事も、実はこの慈悲喜捨の心から起こるものなのです。 心に潜在されている神秘な力がこの慈悲喜捨の瞑想法によって引きだされてくるのです。 自と他を区別する心ではなく、自と他は二つではないと実感する心、動物も植物も大地も私も、すべてはひとつになって生きていると思う心。 自分だけはべつだと思っている間違った心を瞑想によって消していくのです。 この世界の生命の法則は、「自と他は同じもの」なのです。 この法則に気づき、その法則に従ったとき人間の心ははじめて自由自在となるのです。 慈悲喜捨の瞑想法で、はやくすばらしい心を育成してください。

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「寿/壽」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

慈 しい 読み方

お互いが相手を 慈 いつくしむ、ひとと飛龍の理想的な関係を持つことができた。 流星香『プラパ・ゼータ 2 天空の魔法陣』 より引用• 実の息子と娘が結婚して生まれた子供を孫として慈しんでいたかもしれない。 森村誠一『棟居刑事の復讐』 より引用• まったく心外だ。 まるで弟分を心配するかのような 慈 いつくしみの目で見ていてあげたというのに。 … 井上堅二『バカとテストと召喚獣 02』 より引用• 死んだのが自分の子供ででもあったように、慈しむような声でつぶやいた。 私は妙に呆気にとられたような顔でそれを眺めていました。 … 石原慎太郎『遭難者』 より引用• これまで捨て駒として扱われ、虐げられてきた学兵たちへの思いやりが善行の言葉にはあふれていた。 人間として扱われなかった学兵たちへの慈しみがひしひしと伝わってきた。 … 榊涼介『ガンパレード・マーチ 09 九州撤退戦・下』 より引用• 室内の空気は穏やかに揺れて、凪の海のような伸びやかなものになった。 誰もが心の底からほっとした顔で、 慈 いつくしむように法子を見つめていた。 … 乃南アサ『暗鬼』 より引用• 母一人娘一人の暮しであった。 生活には事かかない程のものを持っているので、母は一人で娘を慈しみ育てた。 娘も母親のありあまる愛情に堪能していた。 … 渡辺温『或る母の話』 より引用• そこで私は手術の苦痛を怺えつつ、長い月日を送らねばならなかった。 私はその頃の私の生活を、めで慈しみつつ思い返さずにはいられない。 心はかなしみと忍耐に濡れて、親しい静けさを守っていた。 … 倉田百三『愛と認識との出発』 より引用• 胸に、大きな穴が空いて、そこを風がひゅうひゅうと通り抜けているような、そんな感じ。 もう二度と、あの 慈 いつくしみに満ちた聖母の姿を見ることができないのである。 その事実の重み。 … 乾くるみ『Jの神話』 より引用• そんな惨い記憶を心の底に秘めてきたから、あの娘には、どこかほかの娘とはちがう静けさがあるのだろうか。 王獣 おうじゅうを 慈 いつくしんでいた姿が目に 浮 うかんできて、イアルは思わず、目を閉じた。 できることなら、あの娘をこれ以上、巻きこみたくなかった。 今あなたを私の子だなどといっては、あなたの御両親に相すみません。 あなたの御両親はあなたを真の子供だと思って、慈しみお育てになったのです。 私の見た所では、あなたは御両親にも、又弟妹の方達にもあまり似てはおられません。 … 甲賀三郎『血液型殺人事件』 より引用• 「仁」は最も善き行いのこと。 慈愛を基として、自分を完成し、他人を慈しんでほしいという願いから。 本校の「当仁」は「とうじん」と読むが、当仁小学校は「とうにん」と読み、一方で南当仁小学校は「みなみとうじん」と呼ぶので、漢字の読み方を混同しやすい。 私はどこか遠いところに行ってしまう。 しかしそう思っても、東京の街を慈しむ気持ちにはどうしてもなれなかった。 高速道路沿いの建物はどれも醜く、自動車の排気ガスに薄黒く汚れ、いたるところに派手はでしい広告看板が掲げられていた。 … 村上春樹『1Q84 BOOK2』 より引用• わたしは浮世の労苦に皺と冷笑を刻んだ老人たちの顔を見た。 限りなく慈しまれて老齢においてさえも新らしく生れ出るかと思われる美を。 そして愉楽にふさわしい青春を見た。 … ウルフ/鈴木幸夫訳『波』 より引用• その瞳は少年のように涼しげであり、しかし、慈しみに満ち 溢 あふれていた。 新堂冬樹『忘れ雪』 より引用• 語った口調がその人物を 慈 いつくしんでいるように感じられたのだ。 雨木シュウスケ『鋼殻のレギオス06 レッド・ノクターン』 より引用• それにはいつまでも聞いていたくなる慈しみと涼しさが宿っていた。 やがてその静寂は破られる。 … 竜騎士07『ひぐらしのなく頃に 09 贄殺し編』 より引用• 夏は今が盛りだったが、蝉たちはそれが長くは続かないことを承知しているようだった。 彼らは残された短い命を慈しむように、声をあたりに轟かせていた。 やがて眼鏡をかけた田村看護婦がやってきて、リハビリが終わったので面会することができると天吾に告げた。 … 村上春樹『1Q84 BOOK2』 より引用• 義でも弟である中納言の姿を見た式部卿宮は自ら資親の代わりで振る舞いをつづくことにする。 その宮に義教は「そなたにも弟をかばう慈しみがあったな」とあざ笑う。 宴の後、日野と赤松は将軍家向けの寝た刃を合わす。 理由を忘れてしまったのは、忘れたいからだろうか。 少なくとも自分を慈しんでくれる人の絶対的なイメージを、人は求めるのだろう。 それが虚構であっても。 … 篠田節子『レクイエム』 より引用•

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