源氏 物語 写本。 『源氏物語』・源氏香・写本の仮名遣い

源氏物語の最古の写本見つかる 藤原定家が書き写し|サイカルジャーナル|NHKオンライン

源氏 物語 写本

概要 [ ] 日本の古典文学を代表する作品である源氏物語には数多くの写本が残されている。 日本でも木版による印刷技術はから存在したものの、それによって印刷されたのはやに限られており源氏物語のような文学作品は長く「印刷」される事は無かった。 そのために、源氏物語は平安時代中期に著されてから初期までは写本でのみ読むことが出来た。 それ以降はを始めとする印刷本が流布する事になって行く。 どれくらいの数の源氏物語の写本が存在する・したのかは明らかではない。 及びは約60本の写本を校合の対象にしており、これらと重なるものも多いがは約40本、は約30本の写本を校合の対象にしており、主要な校本で校合の対象として取り上げられている写本はのべ100本程度である。 に国文学研究室において開催された展観会における目録 では青表紙系統62種、河内本系統34種、別本系統24種の計122写本が取り上げられており、1960年の「諸本解題」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』(東京堂出版)では計125写本が取り上げられているが、これらの文献に挙げられているのはあくまで全体から見るとほんの一部の写本であり、これらに含まれない写本も多数存在する。 また、で詳述する通り、全巻揃った写本は少ない。 21世紀に入っても写本は時折発見され、ニュースになる事がある。 源氏物語の写本の名称 [ ] 源氏物語の写本は、多くの場合、• 実際には、同じ一つの写本が書写者に由来する名称と所有者に由来する名称を共に持つことも多く、逆に一つの写本が複数の書写者とされる人物を持っているため書写者とされる人物の名称に由来する写本の名称を複数持っていたり、所有者が次々と移るのに応じて所有者に由来するいくつもの名称を持つことがしばしばあり、逆に、一人の人物がいくつもの写本を書き残した場合や一人の人物または組織が複数の写本を所有したような場合には同じ一つの名称が全く異なる別の写本を示すことがある。 例えば、コレクション「」で知られる理事であったは、一時期豊富な財力を背景にさまざまな書物の古写本を収集したため、「」の名で呼ばれる古写本は(源氏物語のものに限らず)数多く存在するが、通常単に「大島本」という時は筆とされる、系で最良とされる写本を指す。 同時に、の本文を持ち、現在に所蔵される写本も単に「大島本」と呼ばれる事もあるが、前述のものと区別するために「」などと呼ばれることの方が多い。 さらにそれ以外にも大島雅太郎は1帖のみ伝えられている写本をいくつか所有しており、それらは「大島雅太郎蔵伝耕雲花山院長親筆花宴巻」、「大島雅太郎蔵伝二条為氏筆松風巻」、「大島雅太郎蔵伝二条為氏筆鈴虫巻」、「大島雅太郎蔵伝冷泉為相筆鈴虫巻」、「大島雅太郎蔵伝藤原為家筆藤裏葉巻」、「大島雅太郎蔵伝二条為氏筆柏木巻」、「大島雅太郎蔵伝二条為氏筆紅葉賀巻」、「大島雅太郎蔵伝西行筆竹河巻」のように伝承筆者や現存している巻の名称を付して区別している。 このように数多くの写本を所有していたため、同人の所有していた写本のには伝承筆者の名前を使用したものの他大島雅太郎の名前から「大」・「島」・「雅」が使用されており、コレクション「青谿書屋」の名称から「青」・「谿」が使用されている。 また、末期ののでとしても知られる津守国冬((文永7年)-(元応2年))による書写とされる源氏物語の写本は、断片的にのみ残るものや取り合わせ本の中に含まれるものを含めるといくつか知られているが、通常津守国冬の書写した本という意味で単に「国冬本(源氏物語)」とのみいうときには、校異源氏物語及び源氏物語大成校異編に採用された、現在天理大学天理図書館に所蔵されている津守国冬の書写による巻を含む取り合わせ本をいう。 本文系統 [ ] 「」、「」、および「」も参照 源氏物語の写本はしばしば本文系統によって「青表紙本の本文を持つ写本」・「河内本の本文を持つ写本」・「別本の本文を持つ写本」に分類される。 校異源氏物語及び源氏物語大成校異編においては源氏物語の写本を上記の三つの区分に分けて列挙しており、源氏物語別本集成では「別本の本文を持つ写本」のみを対象とし、河内本源氏物語校異集成では「河内本の本文を持つ写本」のみを対象にしている。 このような3区分は、古注釈の時代から存在した「青表紙本」・「河内本」という二つの系統を元に池田亀鑑がこの二つに含まれない諸写本を「別本」として加えて成立させたものである。 この3区分法自体はこれ以後主流の考え方になっていったが写本をこのような区分に従って分けることについてはさまざまな問題が指摘されている。 阿部秋生により、「外形的な特徴に重きを置いて古伝承にある「青表紙本」や「河内本」が存在しているという前提でそれに該当する伝本を探し求めるという池田の方法は異例であり、奇異な方法である」 「伝本の分類は本文そのものの比較を中心に据えるのが本来の姿であろう」 「さらにもし青表紙本が古伝本系の別本の一つであるはずの藤原定家の目の前にあったある写本の中の一つを忠実に写し取ったものであるならば、青表紙本とは実は古伝本系別本の一つであるということになる。 」 との批判が加えられた。 阿部の主張のもとになっている「定家が書写した青表紙本の本文が本当に元の写本の本文に手を加えず忠実に写し取った」という点については、石田穣二による「意図しない単純な誤写はわずかに確認できるものの、意図的な改変は存在しない」とする見方も存在するものの 藤原定家により自筆本から書写された『』の写本を定家の息子であるによる紀貫之自筆本から書写された写本と比較すると、いなどを中心に本文を意識的に整えたと見られる部分が存在することなどから定家によるある程度の意識的な本文整定は何らかの形で存在するとの見方が有力になっている。 源氏物語は54帖からなる長大な作品であるために最初からひと組の写本を複数人で書写したり、何らかの理由で欠けた写本についてもともと別々の写本であったものを組み合わせて一つの写本にしたり、欠けた部分のある写本の欠けた部分を新たに書写して補うといった部分を持つ「取り合わせ本」が数多く存在し、このような「取り合わせ本」では本文系統についても巻ごとに異なった本文系統に属するといったことが少なくなく、またこのようにしてできあがった「取り合わせ本」をもとに書写を行った場合にはその写本はたとえ一筆の写本であっても最初から複数の本文系統が混在していることになる。 また程度の差はあるものの、多くの写本では本文は一度書かれてそれがそのまま伝えられるのではなく、何らかの「校合」が行われ、本文の訂正が行われている。 このような本文の訂正は、最初に書写されたとき(またはその直後)に、書写の元になった写本と照合した上で誤写を訂正したような場合を除いて複雑な本文上の問題を生じさせることになる。 大島本や尾州家河内本など代表的な写本の多くに当初書かれたものとは異なる系統の本文を持つ写本と照合しての校合が認められる。 また「青表紙本」や「河内本」といっても、実際の写本・本文では、「純度の高い青表紙本」から「河内本に近いものを含む青表紙本」・「河内本に近いというわけではないが独自の異文を含む青表紙本」といったものや「青表紙本に近い別本」・「河内本に近い別本」といったものまで存在し、その性質は一様ではない。 またそのような判断が人によって、また研究の進展によって変化することも少なくない。 例えば大島本の巻は当初池田亀鑑によって「別本の本文を持つ巻である」として『校異源氏物語』(1942年(昭和17年))では底本に採用されず、『源氏物語大成 校異篇』(1953年(昭和28年))にもそのまま引き継がれたが、『源氏物語大成 研究資料篇』(1956年(昭和31年))ではかつての自身の見解を「さらに慎重な検討がなされなければならない」として再検討の必要性を認めるような論述も行うようになった。 その後もさまざまな研究者によってこの大島本初音帖の本文の性質については検討が続けられたが、• 玉上琢弥『源氏物語評釈 第5巻』角川書店、1978年(昭和53年)• 阿部秋生・秋山虔・今井源衛校注・訳『源氏物語 3 14』小学館、1972年(昭和47年)11月• ・清水好子校注『源氏物語』(全8巻)(新潮社、1976年(昭和51年) - 1980年(昭和55年))• 阿部秋生他『源氏物語』完訳日本の古典(全10巻)(小学館、1983年(昭和58年) - 1988年(昭和63年))• 阿部秋生他『源氏物語』新編日本古典文学全集(全6巻)(小学館、1994年(平成6年) - 1998年(平成10年)) といった大島本を底本に採用した多くの校本で源氏物語大成の方針を受け継いでこの初音帖については大島本の採用がされなかった一方で、池田亀鑑の当初の見解である「大島本初音帖の本文は別本である。 」とする見方を誤りであるとする見方も少なからず存在する。 また近年では個々の写本の位置づけについての妥当性にとどまらず、阿部秋生等によって「青表紙本がが目の前にあった一つの写本(それは当然古伝本系の別本である)を忠実に写しとったのならば、その結果生まれた青表紙本も実は別本であると考えざるを得ないのではないか」といった問題提起がなされ 、源氏物語の本文を「青表紙本」・「河内本」・「別本」の三系統に分類すること自体の妥当性が問題にされるようになってきており、「源氏物語別本集成 続」では、青表紙本を別本に含めて「河内本として扱われるべき写本以外の全ての写本を全て別本として扱う」といった方針がとられるようになっている。 またこのような二分法をとる立場の中には「青表紙本」を「いわゆる青表紙本」と呼んでみたり 、さらには「青表紙本」・「河内本」という呼び方を避けて、• これまで「河内本」と言っていたものを中心とするグループを「甲類」• これまで「青表紙本」や「別本」と呼んでいたものを「乙類」 といった呼び方をすることもある。 1990年代以降には、多くのを含む文学作品のによるデータ処理が容易になり、本文の性格を表すときに、個別に本文を比較した上で文節レベルでの一致数(率)や不一致数(率)を計算し、そのような数字を元にして定量的な表現によって写本(本文)相互の「近さ」や「遠さ」を示すことが以下のようにしばしば行われるようになってきており、これまでのような「青表紙本である(またはない)」・「河内本である(またはない)」などといった定性的な表記に代わって使用されることも増えつつある。 における分析結果 写本の名称 大島本と の一致率 尾州家本と の一致率 伝統的な区分に よる本文系統 おおしまほん 100% 064% あおひょうしほん青表紙本 ようめいぶんこほん 079% 064% べつほん別本 ほさかほん 091% 067% べつほん別本 びしゅうけほん 064% 100% かわちぼん河内本 ありまほん 061% 083% べつほん別本 ぎょぶつほん 078% 063% べつほん別本 むにゅうほん 062% 084% べつほん別本 つるみだいがくほん 081% 070% くにふゆほん 085% 063% べつほん別本 えいりげんじものがたり 085% 064% あおひょうしほん青表紙本 かしらがきげんじものがたり 088% 064% あおひょうしほん青表紙本 こげつしょう 082% 062% あおひょうしほん青表紙本 にちだいさんじょうにしほん 094% 064% あおひょうしほん青表紙本 しょりょうぶさんじょうにしほん 082% 063% あおひょうしほん青表紙本 ていかほん 096% 065% あおひょうしほん青表紙本 きゅうしゅうだいがくほん 093% 064% あおひょうしほん青表紙本 ほくにぶんこほん 090% 063% でんためあきひつほん伝為明筆本 092% 063% あおひょうしほん青表紙本 ふしみてんのうほん 093% 063% きょうだいちゅういんほん 094% 064% あおひょうしほん青表紙本 たいしょうだいがくほん 079% 073% あおひょうしほん青表紙本 しょうはくほん 080% 074% あおひょうしほん青表紙本 こくぶんけんせいてつほん国文研正徹本 091% 063% あおひょうしほん青表紙本 たかまつみやけほん 063% 098% かわちぼん河内本 こうのびじゅつかんほん 082% 069% における分析結果 写本の名称 大島本と の一致率 尾州家本と の一致率 伝統的な区分に よる本文系統 おおしまほん 100% 074% あおひょうしほん青表紙本 しょりょうぶさんじょうにしほん 096% 074% あおひょうしほん青表紙本 ほさかほん 096% 074% べつほん別本 くにふゆほん 095% 074% べつほん別本 にちだいさんじょうにしほん 095% 074% あおひょうしほん青表紙本 ふしみてんのうほん 094% 072% ようめいぶんこほん 093% 073% まえだほん 091% 071% とうきょうだいがくほん 091% 072% ほくにぶんこほん 091% 070% ありまほん 087% 071% べつほん別本 むにゅうほん 086% 070% べつほん別本 びしゅうけほん 074% 100% かわちぼん河内本 たかまつみやけほん 073% 098% かわちぼん河内本 かくひつげんじ 069% 086% かわちぼん河内本 つるみだいがくほん 064% 067% における分析結果 写本の名称 大島本と の一致率 尾州家本と の一致率 伝統的な区分に よる本文系統 びしゅうけほん 094% 100% かわちぼん河内本 ためいえほん為家本 094% 098% かわちぼん河内本 しゅんぜいほん俊成本 094% 098% かわちぼん河内本 ほうらいじほん 093% 098% かわちぼん河内本 写本記号「雅」 093% 097% かわちぼん河内本 げんじものがたりたいせいていほん源氏物語大成底本 099% 096% あおひょうしほん青表紙本 いけだほん 096% 096% あおひょうしほん青表紙本 にちだいさんじょうにしほん 094% 096% あおひょうしほん青表紙本 ためうじほん為氏本 096% 095% あおひょうしほん青表紙本 しょうはくほん 096% 095% あおひょうしほん青表紙本 にししたほん西下経一旧蔵本 095% 095% あおひょうしほん青表紙本 しょりょうぶさんじょうにしほん 094% 095% あおひょうしほん青表紙本 たかまつみやほん 092% 095% かわちぼん河内本 おおしまほん 100% 094% あおひょうしほん青表紙本 よこやまほん 094% 094% あおひょうしほん青表紙本 ふしみてんのうほん 092% 093% ぎょぶつほん 089% 092% かわちぼん河内本 かしらがきげんじものがたり 089% 091% あおひょうしほん青表紙本 えいりげんじものがたり 089% 090% あおひょうしほん青表紙本 こげつしょう 089% 089% あおひょうしほん青表紙本 とうきょうだいがくほん 085% 086% ようめいぶんこほん 085% 085% べつほん別本 ほさかほん 080% 081% べつほん別本 ときつねほん 080% 080% べつほん別本 ほくにぶんこほん 075% 077% なかやまほん 073% 075% ありまほん 072% 073% べつほん別本 むにゅうほん 072% 073% べつほん別本 えまきことばがき 066% 069% くにふゆほん 050% 050% また写本が属するとされる「本文系統」と個々の本文の異同との関係についても、加藤昌嘉は、の中で最大の本文異同を示す巻の一節の本文異同を例にとって、小さな差異を除いたある発言の有無や特定の発言の発話者の異なりと言った筋立ての異なりによって現存する写本・版本及び注釈書が前提としていると見られる本文を分類すると、以下のような5つのグループに分かれることを明らかにし、その上で「このような実際の本文の異同状況を説明・理解するにあたって、これまで基準になるとされてきた「青表紙本」・「河内本」・「別本」という区分は何の役にも立たない」としている。 区分 写本 版本 注釈書 A B (青) (青) (河) (河) (別) (別) (別) 東海大学蔵紹巴本 版本 C 蓬左文庫蔵三条西家本 蓬左文庫蔵紹巴本 休聞抄 D (別) E (別) (別) 写本の状況 [ ] 源氏物語は全体で54帖からなる大部の作品であるために、全帖すべて揃っている写本は少ない。 「」「蔵」「」「」、「」、「」、「」のように54帖全てが揃っている写本• 浮舟1帖だけが欠けた「」、初音1帖のみが欠けた「」及び「」、だけが欠けた「蔵」のように1帖だけが欠けている写本、• との2帖が欠けている「池田本」• 四十四帖が現存する「」のように大部分が揃ってはいるもののわずかに欠けた巻があるもの、 さらには• 、、、の5帖のみが現存する「中京大学本」やとのみが残る前田家蔵の のように数帖だけが残っているもの、• 「」1帖のみが残る旧蔵藤原定家自筆本、「」1帖のみが残る関戸家蔵藤原定家自筆本、のみが残る「東洋大学蔵阿仏尼本」のように1帖だけ残っているもの• 1帖のさらに一部分のみが残っているもの など、「零本」と呼ばれる何らかの形で欠けている写本が大部分である。 また大部の作品であることから一人の筆で54帖全てを書写している写本はまれであり、一番早いものでも室町時代中期のものである。 また完本ないしそれに近い多くの巻が揃っている写本には一度もともと揃っていた巻の一部分が欠けた後になってもともとは別の写本であったものから持ってきて取り合わせて一組の揃った写本にしたり、別の写本から書写して補っているものも多い。 また国冬本のように「匂ふ兵部卿」の表題を持つ巻の中身は「」の後半部分であり、「」の内容を持つ部分は存在せず、逆に紅梅帖の後半部分が通常のの場所にもありながらそれとは別に玉鬘帖の後半部分にも綴じられており二重に存在するなどある部分が二重に入っているといった場合がしばしばある。 さらには平瀬本のように形式的には54帖揃ってはいるものの「「」の外題を持つ巻には『』第二巻の本文が混入しており源氏物語の竹河巻の本文は当該写本のどこにも存在しない」といった事例もある。 (元年)10月、「定家本」のうち「若紫」1帖が旧大名家の子孫宅で発見されたと発表した。 写本の作成 [ ] 紫式部の時代 [ ] の記述によれば、による自筆本自体が「よろしう書き換えし本」や「にとって勝手に持ち出された本」などといった形で複数存在したとされており、そのほか当時の能書家などを動員しての源氏物語の写本がいくつか作成されていたとされているが、この時代の写本は現在では一つも残っておらず、注釈書の中で当時の能書家のひとりである「」の本について、「が見たことがある」旨の記述がに存在するものの、になるとのにおいて「いまは伝わらず」とされている程度である。 当時の数多くの物語(の写本)は数多く作られ、生み出されると同時に読み終われば捨てられ、消えていく運命にあるものであり、長く残されることはあまり無かったと考えられる。 源氏物語が生まれてから百年ほどたつと、現在も残る「」のような源氏物語を題材にした大がかりな二次創作が行われるようになるが、源氏物語そのものの写本についてもが「わがすえ(=子孫)」に残すことを目的とした写本「」を作成するという源氏物語伝播の様態の中で画期的な事が起きる。 この写本は源麗子の目的通り同人の直系の子孫であるの筆頭「」の相伝本になったとされ、など室町時代初期までの注釈書にしばしば言及されており、またがを整えたときに重んじた7つの写本の一つに挙げられているが、この「従一位麗子本」もまた現存せず、おそらくはの前後には失われたと考えられる。 証本の時代 [ ] はの中で物語がしばしば劣悪な形に改作されている事を嘆いており、源氏物語が生み出された平安時代には、物語というものはひとりの作者が作り上げた当初の形がそのまま後世に伝えられるというのはむしろ例外であり、ほとんどの場合は増補・改作など別人の手が加わった形のものが伝えられていると考えられている。 そのような状況の中で数多くの写本が作られていった結果、「源氏見ざる歌詠み遺恨の事なり」と歌作の世界で古典・聖典化されていった平安時代末期から鎌倉時代初期には、源氏物語は多くの写本は存在するものの、「家々の写本はそれぞれ異なっておりどれが正しいのか分からない」という状況になっていた。 そのような状況の下で、による「」、河内方による「」といった何らかの形で「正しい本文を持つ」とされる証本が作られ、それ以後の多くの写本は証本をもとに注意深く書写していつ誰がどのような本をもとに書写したのかを奥書に記し、写した後もきちんと校合するということが行われるようになる。 室町時代中期以降には地方の権力者が源氏物語の写本を持つことを欲し、没落したり財政的に困窮した京都の公家から貴重な古写本を譲り受けたり、地方の権力者の注文に応じて写本が作成されるといった事例も生じるようになる。 例えばのは定家の自筆本を何冊か手に入れたり、その後まもなく飛鳥井雅康に求めて以来学術的な校本の底本として広く使用されている「」と呼ばれている写本を作成したりしている。 また「読む」ことを目的とした写本の他に「嫁入り本」と呼ばれる豪華な装丁を持った写本も作られている。 「読む」ことを目的とした54帖揃っている写本の他にもやといった身分の高い人物によるとされた写本、、、、、、、、といった古い時代の書道や歌作の分野で名高い人物によるとされた写本は1帖だけ残った状態でも、さらに一葉だけの状態でも尊重された。 そのため「古筆切」のような形で一部を切り取られてしまったと見られる痕跡を持つ写本も多い。 版本の時代 [ ] に入ると版本の時代に入り、それまでとは比べものにならないほどに「源氏物語の本」が普及することになり写本でなければ源氏物語を読むことは出来ない時代は終わるが、その後もさまざまな理由で「写本」も作成され続けている。 既存の写本を補うことを目的とした写本の作成 には江戸時代に書写された巻が数帖含まれているが、その本文はわずかに見られる単純な誤写と見られるものを除くと当時の代表的な版本であるの本文に一致している。 源氏物語に親しみ、源氏物語の世界に浸ることを目的とした写本の作成 『源氏物語』に深い関心を抱いていたとされる(宝暦8年12月27日(1759年1月15日) 文政12年5月13日(1829年6月14日))は生涯に7度にわたって『源氏物語』全巻を書写したとされている。 写本の調査研究を目的とした写本の作成 コピーや写真撮影が容易に出来るようになるまでは調査研究目的での写本の作成がしばしば行われている。 在住の史家近藤清石は、明治時代末期の(明治43年)1月31日から翌年5月6日にかけて自身が手に入れた現在と呼ばれている写本が独特の本文を持つことに気づいてその写本を書写しており、このとき写された写本は山口県立図書館の近藤清石文庫に現存している。 昭和に入ってからもが行った後に及び源氏物語大成として結実する写本調査において、、、、、、、、といった数多くの写本について筆写による写本を作成しており、などいくつかの写本については亀鑑の父宏文が全巻にわたって書写したものが現存しておりこれらの写本は現在も図書館桃園文庫に残されている。 その他 2009年にはを記念して1年かけて新たに作られた写本がのに奉納されている。 この写本の本文は印刷本であるの本をもとに漢字はなるべく仮名に置き換えたものである。 写本の主な所蔵者 [ ] 近代以前には源氏物語の写本はほとんどはをはじめとする・などの・・などのものであり、わずかに一部の写本がそれらより身分の低い裕福なやのものであったと見られる。 は当時の流布本である青表紙本系統のの本文とやに引かれた多くは河内本系統の本文とが異なっている事などから本文の問題に関心を抱き、自身の注釈書『』では第4巻1巻分をまるまる割いて本文の問題を論じているが、現代から見て本文性格のはっきりしないあまり良質の本文を持つとは考えられない古写本を2本しか見ることが出来なかったとされている。 室町時代末期から江戸時代初期にかけてはからへ、家康からへといった形で伝えられた「」のように豊臣・徳川といった新興の権力者が貴重な古写本を集める、あるいは公家などから自ら献上されたり、また「」のように功臣に対して貴重な古写本を下賜するといった事例が見られる。 以降このような伝統的な所有者から大量に放出され、多くは明治時代以降に勃興したなどの個人的な資産家のものになっていき、一部は海外に流出していった。 第二次大戦後にはやなどによって個人で高額な資産を維持していくことが困難になり公家や大名の流れを汲む資産家や財閥の関係者などとして資産を得た者が保有していた多くの写本が再度大量に流出した。 それらの写本はや公的な研究機関のものになっていった。 脚注 [ ]• 東京帝国大学文学部国文学研究室編『源氏物語に関する展観書目録』岩波書店、1932年。 2011年12月17日閲覧。 池田亀鑑「源氏物語諸本の系統」『源氏物語大成 巻7 研究資料篇』中央公論社、1956年。 阿部秋生『源氏物語の本文』岩波書店、1986年6月、p. 阿部秋生『源氏物語の本文』岩波書店、1986年6月、p. 阿部秋生『源氏物語の本文』岩波書店、1986年6月、p. 108。 石田穣二「明融本帚木の本文について」東洋大学国語国文学会『文学論藻』第11号、1958年5月。 のち『源氏物語論集』桜楓社、1971年。 池田亀鑑「資料としての第二次奥入残存本文 六、初音」『源氏物語大成 研究資料篇』中央公論社、1956年(昭和31年)、pp. 106-107。 「源氏物語の本文とは何か -大島本「初音」巻をめぐって-」『源氏物語の鑑賞と基礎知識 18 初音』国文学解釈と鑑賞 別冊、(平成13年)10月、至文堂、pp. 241-247。 阿部秋生『源氏物語の本文』岩波書店、1986年(昭和61年)6月• 伊藤鉄也『源氏物語本文の研究』おうふう、(平成14年)11月。 伊藤鉄也「源氏物語の諸本 別本について」『国文学解釈と鑑賞 別冊 源氏物語の鑑賞と基礎知識 29 花散里』(至文堂、2003年(平成15年)7月8日) pp.. 213-222特にp. 222。 伊藤鉄也「別本本文の意義 -「澪標」における別本群と河内本群-」増田繁夫編『源氏物語研究集成 第13巻 源氏物語の本文』風間書房、2000年(平成12年)5月。 のち『源氏物語の本文』おうふう、2002年(平成14年)11月、pp. 217-266 特にp. 239。 伊藤鉄也「諸本の位相解明を目指して」国文学研究資料館編『『源氏物語』の異本を読む「鈴虫」の場合』原典講読セミナー 7、2001年(平成13年)7月、pp. 110-126。 特にpp. 123-125。 加藤昌嘉「源氏物語本文揺動史」東京大学国語国文学会編『国語と国文学』第82巻第3号(通号第976号)、2005年(平成17年)3月、pp. 27-39。 のち「『東屋』巻の本文揺動史」として加藤昌嘉『揺れ動く源氏物語』、勉誠出版、2011年(平成23年)9月、pp. 3-25。 2019年10月8日. 2019年11月19日時点のよりアーカイブ。 2019年11月19日閲覧。 阿部秋生「物語の増補・改訂」『岩波セミナーブックス41 源氏物語入門』岩波書店、(4年)、pp.. 137-140。 岡嶌 偉久子「松平定信自筆『今波恋』(1) 源氏物語の書写日記」天理大学天理図書館『ビブリア 天理図書館報』天理大学出版部 、第107号、(平成9年)5月、pp.. 100-133。 岡嶌 偉久子「松平定信自筆『今波恋』(2) 源氏物語の書写日記」天理大学天理図書館『ビブリア 天理図書館報』天理大学出版部 、第108号、(平成10年)11月、pp.. 340-373。 池田亀鑑「現存重要諸本の解説 山口図書館蔵源氏物語」『源氏物語大成研究編』中央公論社、p. 262。 大津有一「諸本解題 山口図書館蔵源氏物語」『源氏物語事典 下巻』東京堂出版、p. 146。 『桃園文庫目録上巻』東海大学附属図書館、(昭和61年)3月。 杉田「源氏物語玉の小櫛」本居宣長記念館編『本居宣長事典』東京堂出版、2001年12月、pp.. 23-24。 関連項目 [ ]• 参考文献 [ ]• 池田亀鑑「現存主要諸本の解説」『源氏物語大成 巻七 研究資料篇』中央公論社、p. 259。 大津有一「諸本解題」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』東京堂、p. 142• 増田繁夫『源氏物語研究集成 第13巻源氏物語の本文』風間書房、2000年5月。 阿部秋生『源氏物語の本文』岩波書店、1986年6月• 『源氏物語本文の研究』おうふう、2002年11月。

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概要 [ ] 日本の古典文学を代表する作品である源氏物語には数多くの写本が残されている。 日本でも木版による印刷技術はから存在したものの、それによって印刷されたのはやに限られており源氏物語のような文学作品は長く「印刷」される事は無かった。 そのために、源氏物語は平安時代中期に著されてから初期までは写本でのみ読むことが出来た。 それ以降はを始めとする印刷本が流布する事になって行く。 どれくらいの数の源氏物語の写本が存在する・したのかは明らかではない。 及びは約60本の写本を校合の対象にしており、これらと重なるものも多いがは約40本、は約30本の写本を校合の対象にしており、主要な校本で校合の対象として取り上げられている写本はのべ100本程度である。 に国文学研究室において開催された展観会における目録 では青表紙系統62種、河内本系統34種、別本系統24種の計122写本が取り上げられており、1960年の「諸本解題」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』(東京堂出版)では計125写本が取り上げられているが、これらの文献に挙げられているのはあくまで全体から見るとほんの一部の写本であり、これらに含まれない写本も多数存在する。 また、で詳述する通り、全巻揃った写本は少ない。 21世紀に入っても写本は時折発見され、ニュースになる事がある。 源氏物語の写本の名称 [ ] 源氏物語の写本は、多くの場合、• 実際には、同じ一つの写本が書写者に由来する名称と所有者に由来する名称を共に持つことも多く、逆に一つの写本が複数の書写者とされる人物を持っているため書写者とされる人物の名称に由来する写本の名称を複数持っていたり、所有者が次々と移るのに応じて所有者に由来するいくつもの名称を持つことがしばしばあり、逆に、一人の人物がいくつもの写本を書き残した場合や一人の人物または組織が複数の写本を所有したような場合には同じ一つの名称が全く異なる別の写本を示すことがある。 例えば、コレクション「」で知られる理事であったは、一時期豊富な財力を背景にさまざまな書物の古写本を収集したため、「」の名で呼ばれる古写本は(源氏物語のものに限らず)数多く存在するが、通常単に「大島本」という時は筆とされる、系で最良とされる写本を指す。 同時に、の本文を持ち、現在に所蔵される写本も単に「大島本」と呼ばれる事もあるが、前述のものと区別するために「」などと呼ばれることの方が多い。 さらにそれ以外にも大島雅太郎は1帖のみ伝えられている写本をいくつか所有しており、それらは「大島雅太郎蔵伝耕雲花山院長親筆花宴巻」、「大島雅太郎蔵伝二条為氏筆松風巻」、「大島雅太郎蔵伝二条為氏筆鈴虫巻」、「大島雅太郎蔵伝冷泉為相筆鈴虫巻」、「大島雅太郎蔵伝藤原為家筆藤裏葉巻」、「大島雅太郎蔵伝二条為氏筆柏木巻」、「大島雅太郎蔵伝二条為氏筆紅葉賀巻」、「大島雅太郎蔵伝西行筆竹河巻」のように伝承筆者や現存している巻の名称を付して区別している。 このように数多くの写本を所有していたため、同人の所有していた写本のには伝承筆者の名前を使用したものの他大島雅太郎の名前から「大」・「島」・「雅」が使用されており、コレクション「青谿書屋」の名称から「青」・「谿」が使用されている。 また、末期ののでとしても知られる津守国冬((文永7年)-(元応2年))による書写とされる源氏物語の写本は、断片的にのみ残るものや取り合わせ本の中に含まれるものを含めるといくつか知られているが、通常津守国冬の書写した本という意味で単に「国冬本(源氏物語)」とのみいうときには、校異源氏物語及び源氏物語大成校異編に採用された、現在天理大学天理図書館に所蔵されている津守国冬の書写による巻を含む取り合わせ本をいう。 本文系統 [ ] 「」、「」、および「」も参照 源氏物語の写本はしばしば本文系統によって「青表紙本の本文を持つ写本」・「河内本の本文を持つ写本」・「別本の本文を持つ写本」に分類される。 校異源氏物語及び源氏物語大成校異編においては源氏物語の写本を上記の三つの区分に分けて列挙しており、源氏物語別本集成では「別本の本文を持つ写本」のみを対象とし、河内本源氏物語校異集成では「河内本の本文を持つ写本」のみを対象にしている。 このような3区分は、古注釈の時代から存在した「青表紙本」・「河内本」という二つの系統を元に池田亀鑑がこの二つに含まれない諸写本を「別本」として加えて成立させたものである。 この3区分法自体はこれ以後主流の考え方になっていったが写本をこのような区分に従って分けることについてはさまざまな問題が指摘されている。 阿部秋生により、「外形的な特徴に重きを置いて古伝承にある「青表紙本」や「河内本」が存在しているという前提でそれに該当する伝本を探し求めるという池田の方法は異例であり、奇異な方法である」 「伝本の分類は本文そのものの比較を中心に据えるのが本来の姿であろう」 「さらにもし青表紙本が古伝本系の別本の一つであるはずの藤原定家の目の前にあったある写本の中の一つを忠実に写し取ったものであるならば、青表紙本とは実は古伝本系別本の一つであるということになる。 」 との批判が加えられた。 阿部の主張のもとになっている「定家が書写した青表紙本の本文が本当に元の写本の本文に手を加えず忠実に写し取った」という点については、石田穣二による「意図しない単純な誤写はわずかに確認できるものの、意図的な改変は存在しない」とする見方も存在するものの 藤原定家により自筆本から書写された『』の写本を定家の息子であるによる紀貫之自筆本から書写された写本と比較すると、いなどを中心に本文を意識的に整えたと見られる部分が存在することなどから定家によるある程度の意識的な本文整定は何らかの形で存在するとの見方が有力になっている。 源氏物語は54帖からなる長大な作品であるために最初からひと組の写本を複数人で書写したり、何らかの理由で欠けた写本についてもともと別々の写本であったものを組み合わせて一つの写本にしたり、欠けた部分のある写本の欠けた部分を新たに書写して補うといった部分を持つ「取り合わせ本」が数多く存在し、このような「取り合わせ本」では本文系統についても巻ごとに異なった本文系統に属するといったことが少なくなく、またこのようにしてできあがった「取り合わせ本」をもとに書写を行った場合にはその写本はたとえ一筆の写本であっても最初から複数の本文系統が混在していることになる。 また程度の差はあるものの、多くの写本では本文は一度書かれてそれがそのまま伝えられるのではなく、何らかの「校合」が行われ、本文の訂正が行われている。 このような本文の訂正は、最初に書写されたとき(またはその直後)に、書写の元になった写本と照合した上で誤写を訂正したような場合を除いて複雑な本文上の問題を生じさせることになる。 大島本や尾州家河内本など代表的な写本の多くに当初書かれたものとは異なる系統の本文を持つ写本と照合しての校合が認められる。 また「青表紙本」や「河内本」といっても、実際の写本・本文では、「純度の高い青表紙本」から「河内本に近いものを含む青表紙本」・「河内本に近いというわけではないが独自の異文を含む青表紙本」といったものや「青表紙本に近い別本」・「河内本に近い別本」といったものまで存在し、その性質は一様ではない。 またそのような判断が人によって、また研究の進展によって変化することも少なくない。 例えば大島本の巻は当初池田亀鑑によって「別本の本文を持つ巻である」として『校異源氏物語』(1942年(昭和17年))では底本に採用されず、『源氏物語大成 校異篇』(1953年(昭和28年))にもそのまま引き継がれたが、『源氏物語大成 研究資料篇』(1956年(昭和31年))ではかつての自身の見解を「さらに慎重な検討がなされなければならない」として再検討の必要性を認めるような論述も行うようになった。 その後もさまざまな研究者によってこの大島本初音帖の本文の性質については検討が続けられたが、• 玉上琢弥『源氏物語評釈 第5巻』角川書店、1978年(昭和53年)• 阿部秋生・秋山虔・今井源衛校注・訳『源氏物語 3 14』小学館、1972年(昭和47年)11月• ・清水好子校注『源氏物語』(全8巻)(新潮社、1976年(昭和51年) - 1980年(昭和55年))• 阿部秋生他『源氏物語』完訳日本の古典(全10巻)(小学館、1983年(昭和58年) - 1988年(昭和63年))• 阿部秋生他『源氏物語』新編日本古典文学全集(全6巻)(小学館、1994年(平成6年) - 1998年(平成10年)) といった大島本を底本に採用した多くの校本で源氏物語大成の方針を受け継いでこの初音帖については大島本の採用がされなかった一方で、池田亀鑑の当初の見解である「大島本初音帖の本文は別本である。 」とする見方を誤りであるとする見方も少なからず存在する。 また近年では個々の写本の位置づけについての妥当性にとどまらず、阿部秋生等によって「青表紙本がが目の前にあった一つの写本(それは当然古伝本系の別本である)を忠実に写しとったのならば、その結果生まれた青表紙本も実は別本であると考えざるを得ないのではないか」といった問題提起がなされ 、源氏物語の本文を「青表紙本」・「河内本」・「別本」の三系統に分類すること自体の妥当性が問題にされるようになってきており、「源氏物語別本集成 続」では、青表紙本を別本に含めて「河内本として扱われるべき写本以外の全ての写本を全て別本として扱う」といった方針がとられるようになっている。 またこのような二分法をとる立場の中には「青表紙本」を「いわゆる青表紙本」と呼んでみたり 、さらには「青表紙本」・「河内本」という呼び方を避けて、• これまで「河内本」と言っていたものを中心とするグループを「甲類」• これまで「青表紙本」や「別本」と呼んでいたものを「乙類」 といった呼び方をすることもある。 1990年代以降には、多くのを含む文学作品のによるデータ処理が容易になり、本文の性格を表すときに、個別に本文を比較した上で文節レベルでの一致数(率)や不一致数(率)を計算し、そのような数字を元にして定量的な表現によって写本(本文)相互の「近さ」や「遠さ」を示すことが以下のようにしばしば行われるようになってきており、これまでのような「青表紙本である(またはない)」・「河内本である(またはない)」などといった定性的な表記に代わって使用されることも増えつつある。 における分析結果 写本の名称 大島本と の一致率 尾州家本と の一致率 伝統的な区分に よる本文系統 おおしまほん 100% 064% あおひょうしほん青表紙本 ようめいぶんこほん 079% 064% べつほん別本 ほさかほん 091% 067% べつほん別本 びしゅうけほん 064% 100% かわちぼん河内本 ありまほん 061% 083% べつほん別本 ぎょぶつほん 078% 063% べつほん別本 むにゅうほん 062% 084% べつほん別本 つるみだいがくほん 081% 070% くにふゆほん 085% 063% べつほん別本 えいりげんじものがたり 085% 064% あおひょうしほん青表紙本 かしらがきげんじものがたり 088% 064% あおひょうしほん青表紙本 こげつしょう 082% 062% あおひょうしほん青表紙本 にちだいさんじょうにしほん 094% 064% あおひょうしほん青表紙本 しょりょうぶさんじょうにしほん 082% 063% あおひょうしほん青表紙本 ていかほん 096% 065% あおひょうしほん青表紙本 きゅうしゅうだいがくほん 093% 064% あおひょうしほん青表紙本 ほくにぶんこほん 090% 063% でんためあきひつほん伝為明筆本 092% 063% あおひょうしほん青表紙本 ふしみてんのうほん 093% 063% きょうだいちゅういんほん 094% 064% あおひょうしほん青表紙本 たいしょうだいがくほん 079% 073% あおひょうしほん青表紙本 しょうはくほん 080% 074% あおひょうしほん青表紙本 こくぶんけんせいてつほん国文研正徹本 091% 063% あおひょうしほん青表紙本 たかまつみやけほん 063% 098% かわちぼん河内本 こうのびじゅつかんほん 082% 069% における分析結果 写本の名称 大島本と の一致率 尾州家本と の一致率 伝統的な区分に よる本文系統 おおしまほん 100% 074% あおひょうしほん青表紙本 しょりょうぶさんじょうにしほん 096% 074% あおひょうしほん青表紙本 ほさかほん 096% 074% べつほん別本 くにふゆほん 095% 074% べつほん別本 にちだいさんじょうにしほん 095% 074% あおひょうしほん青表紙本 ふしみてんのうほん 094% 072% ようめいぶんこほん 093% 073% まえだほん 091% 071% とうきょうだいがくほん 091% 072% ほくにぶんこほん 091% 070% ありまほん 087% 071% べつほん別本 むにゅうほん 086% 070% べつほん別本 びしゅうけほん 074% 100% かわちぼん河内本 たかまつみやけほん 073% 098% かわちぼん河内本 かくひつげんじ 069% 086% かわちぼん河内本 つるみだいがくほん 064% 067% における分析結果 写本の名称 大島本と の一致率 尾州家本と の一致率 伝統的な区分に よる本文系統 びしゅうけほん 094% 100% かわちぼん河内本 ためいえほん為家本 094% 098% かわちぼん河内本 しゅんぜいほん俊成本 094% 098% かわちぼん河内本 ほうらいじほん 093% 098% かわちぼん河内本 写本記号「雅」 093% 097% かわちぼん河内本 げんじものがたりたいせいていほん源氏物語大成底本 099% 096% あおひょうしほん青表紙本 いけだほん 096% 096% あおひょうしほん青表紙本 にちだいさんじょうにしほん 094% 096% あおひょうしほん青表紙本 ためうじほん為氏本 096% 095% あおひょうしほん青表紙本 しょうはくほん 096% 095% あおひょうしほん青表紙本 にししたほん西下経一旧蔵本 095% 095% あおひょうしほん青表紙本 しょりょうぶさんじょうにしほん 094% 095% あおひょうしほん青表紙本 たかまつみやほん 092% 095% かわちぼん河内本 おおしまほん 100% 094% あおひょうしほん青表紙本 よこやまほん 094% 094% あおひょうしほん青表紙本 ふしみてんのうほん 092% 093% ぎょぶつほん 089% 092% かわちぼん河内本 かしらがきげんじものがたり 089% 091% あおひょうしほん青表紙本 えいりげんじものがたり 089% 090% あおひょうしほん青表紙本 こげつしょう 089% 089% あおひょうしほん青表紙本 とうきょうだいがくほん 085% 086% ようめいぶんこほん 085% 085% べつほん別本 ほさかほん 080% 081% べつほん別本 ときつねほん 080% 080% べつほん別本 ほくにぶんこほん 075% 077% なかやまほん 073% 075% ありまほん 072% 073% べつほん別本 むにゅうほん 072% 073% べつほん別本 えまきことばがき 066% 069% くにふゆほん 050% 050% また写本が属するとされる「本文系統」と個々の本文の異同との関係についても、加藤昌嘉は、の中で最大の本文異同を示す巻の一節の本文異同を例にとって、小さな差異を除いたある発言の有無や特定の発言の発話者の異なりと言った筋立ての異なりによって現存する写本・版本及び注釈書が前提としていると見られる本文を分類すると、以下のような5つのグループに分かれることを明らかにし、その上で「このような実際の本文の異同状況を説明・理解するにあたって、これまで基準になるとされてきた「青表紙本」・「河内本」・「別本」という区分は何の役にも立たない」としている。 区分 写本 版本 注釈書 A B (青) (青) (河) (河) (別) (別) (別) 東海大学蔵紹巴本 版本 C 蓬左文庫蔵三条西家本 蓬左文庫蔵紹巴本 休聞抄 D (別) E (別) (別) 写本の状況 [ ] 源氏物語は全体で54帖からなる大部の作品であるために、全帖すべて揃っている写本は少ない。 「」「蔵」「」「」、「」、「」、「」のように54帖全てが揃っている写本• 浮舟1帖だけが欠けた「」、初音1帖のみが欠けた「」及び「」、だけが欠けた「蔵」のように1帖だけが欠けている写本、• との2帖が欠けている「池田本」• 四十四帖が現存する「」のように大部分が揃ってはいるもののわずかに欠けた巻があるもの、 さらには• 、、、の5帖のみが現存する「中京大学本」やとのみが残る前田家蔵の のように数帖だけが残っているもの、• 「」1帖のみが残る旧蔵藤原定家自筆本、「」1帖のみが残る関戸家蔵藤原定家自筆本、のみが残る「東洋大学蔵阿仏尼本」のように1帖だけ残っているもの• 1帖のさらに一部分のみが残っているもの など、「零本」と呼ばれる何らかの形で欠けている写本が大部分である。 また大部の作品であることから一人の筆で54帖全てを書写している写本はまれであり、一番早いものでも室町時代中期のものである。 また完本ないしそれに近い多くの巻が揃っている写本には一度もともと揃っていた巻の一部分が欠けた後になってもともとは別の写本であったものから持ってきて取り合わせて一組の揃った写本にしたり、別の写本から書写して補っているものも多い。 また国冬本のように「匂ふ兵部卿」の表題を持つ巻の中身は「」の後半部分であり、「」の内容を持つ部分は存在せず、逆に紅梅帖の後半部分が通常のの場所にもありながらそれとは別に玉鬘帖の後半部分にも綴じられており二重に存在するなどある部分が二重に入っているといった場合がしばしばある。 さらには平瀬本のように形式的には54帖揃ってはいるものの「「」の外題を持つ巻には『』第二巻の本文が混入しており源氏物語の竹河巻の本文は当該写本のどこにも存在しない」といった事例もある。 (元年)10月、「定家本」のうち「若紫」1帖が旧大名家の子孫宅で発見されたと発表した。 写本の作成 [ ] 紫式部の時代 [ ] の記述によれば、による自筆本自体が「よろしう書き換えし本」や「にとって勝手に持ち出された本」などといった形で複数存在したとされており、そのほか当時の能書家などを動員しての源氏物語の写本がいくつか作成されていたとされているが、この時代の写本は現在では一つも残っておらず、注釈書の中で当時の能書家のひとりである「」の本について、「が見たことがある」旨の記述がに存在するものの、になるとのにおいて「いまは伝わらず」とされている程度である。 当時の数多くの物語(の写本)は数多く作られ、生み出されると同時に読み終われば捨てられ、消えていく運命にあるものであり、長く残されることはあまり無かったと考えられる。 源氏物語が生まれてから百年ほどたつと、現在も残る「」のような源氏物語を題材にした大がかりな二次創作が行われるようになるが、源氏物語そのものの写本についてもが「わがすえ(=子孫)」に残すことを目的とした写本「」を作成するという源氏物語伝播の様態の中で画期的な事が起きる。 この写本は源麗子の目的通り同人の直系の子孫であるの筆頭「」の相伝本になったとされ、など室町時代初期までの注釈書にしばしば言及されており、またがを整えたときに重んじた7つの写本の一つに挙げられているが、この「従一位麗子本」もまた現存せず、おそらくはの前後には失われたと考えられる。 証本の時代 [ ] はの中で物語がしばしば劣悪な形に改作されている事を嘆いており、源氏物語が生み出された平安時代には、物語というものはひとりの作者が作り上げた当初の形がそのまま後世に伝えられるというのはむしろ例外であり、ほとんどの場合は増補・改作など別人の手が加わった形のものが伝えられていると考えられている。 そのような状況の中で数多くの写本が作られていった結果、「源氏見ざる歌詠み遺恨の事なり」と歌作の世界で古典・聖典化されていった平安時代末期から鎌倉時代初期には、源氏物語は多くの写本は存在するものの、「家々の写本はそれぞれ異なっておりどれが正しいのか分からない」という状況になっていた。 そのような状況の下で、による「」、河内方による「」といった何らかの形で「正しい本文を持つ」とされる証本が作られ、それ以後の多くの写本は証本をもとに注意深く書写していつ誰がどのような本をもとに書写したのかを奥書に記し、写した後もきちんと校合するということが行われるようになる。 室町時代中期以降には地方の権力者が源氏物語の写本を持つことを欲し、没落したり財政的に困窮した京都の公家から貴重な古写本を譲り受けたり、地方の権力者の注文に応じて写本が作成されるといった事例も生じるようになる。 例えばのは定家の自筆本を何冊か手に入れたり、その後まもなく飛鳥井雅康に求めて以来学術的な校本の底本として広く使用されている「」と呼ばれている写本を作成したりしている。 また「読む」ことを目的とした写本の他に「嫁入り本」と呼ばれる豪華な装丁を持った写本も作られている。 「読む」ことを目的とした54帖揃っている写本の他にもやといった身分の高い人物によるとされた写本、、、、、、、、といった古い時代の書道や歌作の分野で名高い人物によるとされた写本は1帖だけ残った状態でも、さらに一葉だけの状態でも尊重された。 そのため「古筆切」のような形で一部を切り取られてしまったと見られる痕跡を持つ写本も多い。 版本の時代 [ ] に入ると版本の時代に入り、それまでとは比べものにならないほどに「源氏物語の本」が普及することになり写本でなければ源氏物語を読むことは出来ない時代は終わるが、その後もさまざまな理由で「写本」も作成され続けている。 既存の写本を補うことを目的とした写本の作成 には江戸時代に書写された巻が数帖含まれているが、その本文はわずかに見られる単純な誤写と見られるものを除くと当時の代表的な版本であるの本文に一致している。 源氏物語に親しみ、源氏物語の世界に浸ることを目的とした写本の作成 『源氏物語』に深い関心を抱いていたとされる(宝暦8年12月27日(1759年1月15日) 文政12年5月13日(1829年6月14日))は生涯に7度にわたって『源氏物語』全巻を書写したとされている。 写本の調査研究を目的とした写本の作成 コピーや写真撮影が容易に出来るようになるまでは調査研究目的での写本の作成がしばしば行われている。 在住の史家近藤清石は、明治時代末期の(明治43年)1月31日から翌年5月6日にかけて自身が手に入れた現在と呼ばれている写本が独特の本文を持つことに気づいてその写本を書写しており、このとき写された写本は山口県立図書館の近藤清石文庫に現存している。 昭和に入ってからもが行った後に及び源氏物語大成として結実する写本調査において、、、、、、、、といった数多くの写本について筆写による写本を作成しており、などいくつかの写本については亀鑑の父宏文が全巻にわたって書写したものが現存しておりこれらの写本は現在も図書館桃園文庫に残されている。 その他 2009年にはを記念して1年かけて新たに作られた写本がのに奉納されている。 この写本の本文は印刷本であるの本をもとに漢字はなるべく仮名に置き換えたものである。 写本の主な所蔵者 [ ] 近代以前には源氏物語の写本はほとんどはをはじめとする・などの・・などのものであり、わずかに一部の写本がそれらより身分の低い裕福なやのものであったと見られる。 は当時の流布本である青表紙本系統のの本文とやに引かれた多くは河内本系統の本文とが異なっている事などから本文の問題に関心を抱き、自身の注釈書『』では第4巻1巻分をまるまる割いて本文の問題を論じているが、現代から見て本文性格のはっきりしないあまり良質の本文を持つとは考えられない古写本を2本しか見ることが出来なかったとされている。 室町時代末期から江戸時代初期にかけてはからへ、家康からへといった形で伝えられた「」のように豊臣・徳川といった新興の権力者が貴重な古写本を集める、あるいは公家などから自ら献上されたり、また「」のように功臣に対して貴重な古写本を下賜するといった事例が見られる。 以降このような伝統的な所有者から大量に放出され、多くは明治時代以降に勃興したなどの個人的な資産家のものになっていき、一部は海外に流出していった。 第二次大戦後にはやなどによって個人で高額な資産を維持していくことが困難になり公家や大名の流れを汲む資産家や財閥の関係者などとして資産を得た者が保有していた多くの写本が再度大量に流出した。 それらの写本はや公的な研究機関のものになっていった。 脚注 [ ]• 東京帝国大学文学部国文学研究室編『源氏物語に関する展観書目録』岩波書店、1932年。 2011年12月17日閲覧。 池田亀鑑「源氏物語諸本の系統」『源氏物語大成 巻7 研究資料篇』中央公論社、1956年。 阿部秋生『源氏物語の本文』岩波書店、1986年6月、p. 阿部秋生『源氏物語の本文』岩波書店、1986年6月、p. 阿部秋生『源氏物語の本文』岩波書店、1986年6月、p. 108。 石田穣二「明融本帚木の本文について」東洋大学国語国文学会『文学論藻』第11号、1958年5月。 のち『源氏物語論集』桜楓社、1971年。 池田亀鑑「資料としての第二次奥入残存本文 六、初音」『源氏物語大成 研究資料篇』中央公論社、1956年(昭和31年)、pp. 106-107。 「源氏物語の本文とは何か -大島本「初音」巻をめぐって-」『源氏物語の鑑賞と基礎知識 18 初音』国文学解釈と鑑賞 別冊、(平成13年)10月、至文堂、pp. 241-247。 阿部秋生『源氏物語の本文』岩波書店、1986年(昭和61年)6月• 伊藤鉄也『源氏物語本文の研究』おうふう、(平成14年)11月。 伊藤鉄也「源氏物語の諸本 別本について」『国文学解釈と鑑賞 別冊 源氏物語の鑑賞と基礎知識 29 花散里』(至文堂、2003年(平成15年)7月8日) pp.. 213-222特にp. 222。 伊藤鉄也「別本本文の意義 -「澪標」における別本群と河内本群-」増田繁夫編『源氏物語研究集成 第13巻 源氏物語の本文』風間書房、2000年(平成12年)5月。 のち『源氏物語の本文』おうふう、2002年(平成14年)11月、pp. 217-266 特にp. 239。 伊藤鉄也「諸本の位相解明を目指して」国文学研究資料館編『『源氏物語』の異本を読む「鈴虫」の場合』原典講読セミナー 7、2001年(平成13年)7月、pp. 110-126。 特にpp. 123-125。 加藤昌嘉「源氏物語本文揺動史」東京大学国語国文学会編『国語と国文学』第82巻第3号(通号第976号)、2005年(平成17年)3月、pp. 27-39。 のち「『東屋』巻の本文揺動史」として加藤昌嘉『揺れ動く源氏物語』、勉誠出版、2011年(平成23年)9月、pp. 3-25。 2019年10月8日. 2019年11月19日時点のよりアーカイブ。 2019年11月19日閲覧。 阿部秋生「物語の増補・改訂」『岩波セミナーブックス41 源氏物語入門』岩波書店、(4年)、pp.. 137-140。 岡嶌 偉久子「松平定信自筆『今波恋』(1) 源氏物語の書写日記」天理大学天理図書館『ビブリア 天理図書館報』天理大学出版部 、第107号、(平成9年)5月、pp.. 100-133。 岡嶌 偉久子「松平定信自筆『今波恋』(2) 源氏物語の書写日記」天理大学天理図書館『ビブリア 天理図書館報』天理大学出版部 、第108号、(平成10年)11月、pp.. 340-373。 池田亀鑑「現存重要諸本の解説 山口図書館蔵源氏物語」『源氏物語大成研究編』中央公論社、p. 262。 大津有一「諸本解題 山口図書館蔵源氏物語」『源氏物語事典 下巻』東京堂出版、p. 146。 『桃園文庫目録上巻』東海大学附属図書館、(昭和61年)3月。 杉田「源氏物語玉の小櫛」本居宣長記念館編『本居宣長事典』東京堂出版、2001年12月、pp.. 23-24。 関連項目 [ ]• 参考文献 [ ]• 池田亀鑑「現存主要諸本の解説」『源氏物語大成 巻七 研究資料篇』中央公論社、p. 259。 大津有一「諸本解題」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』東京堂、p. 142• 増田繁夫『源氏物語研究集成 第13巻源氏物語の本文』風間書房、2000年5月。 阿部秋生『源氏物語の本文』岩波書店、1986年6月• 『源氏物語本文の研究』おうふう、2002年11月。

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『源氏物語』原本データベース

源氏 物語 写本

「源氏物語」は紫式部の自筆は伝わっておらず、鎌倉時代初めの歌人・藤原定家が校訂して書き写させた「定家本」は、これまで現存するのが「花散里(はなちるさと)」「行幸(みゆき)」「柏木」「早蕨(さわらび)」の4帖(じょう)(いずれも国重要文化財)とされてきた。 昨年、三河吉田(みかわよしだ)藩(愛知県豊橋市)の大河内(おおこうち)家に伝わっていた「若紫」の写本が確認され、新たな貴重な資料として公表された。 「若紫」は主人公の光源氏がのちの妻、紫の上と出会う物語のハイライトが描かれ、研究の進展についても注目されている。 シンポでは、藤本孝一・冷泉家時雨亭文庫調査主任、新美哲彦・早大教授、久保木秀夫・日大教授が講演するほか、伊井春樹・阪大名誉教授が司会・コーディネーターを務めるパネル討論もある。 定員250人。 入場無料。 申し込みは、往復はがきに参加希望者(1枚につき1人)の住所、氏名、職業、電話番号を明記し、返信用はがきに返送先住所、宛名を記入し、〒631・8502 奈良市山陵町1500 奈良大学文学部・松本大研究室内の「源氏物語シンポジウム事務局」へ。 2月5日必着。 応募多数の場合は抽選。 問い合わせはメール(hitogatunagu yahoo. jp)で。 延期開催はしません。 新型コロナウイルスの感染が広がる中、感染拡大のリスクを避ける必要があると判断したためです。 今回のシンポジウムで予定されていた討論などの内容は、後日、朝日新聞と朝日新聞デジタルでお伝えする予定です。 問い合わせは事務局(メールアドレスはhitogatunagu yahoo. jp)へ。 (渡義人).

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