ありがたきもの 現代語訳。 枕草子(第41段~第82段)

枕草子(第41段~第82段)

ありがたきもの 現代語訳

「黒=原文」・ 「青=現代語訳」 解説・品詞分解はこちら ありがたきもの、舅(しゅうと)にほめらるる婿。 また、姑(しゅうとめ)に思はるる嫁の君。 めったにないもの、舅(妻の父)にほめられる婿。 また、姑(夫の母)に大切に思わられるお嫁さん。 毛のよく抜くる銀の毛抜。 主そしらぬ従者(ずさ)。 毛のよく抜ける銀の毛抜き。 主人のことを悪く言わない召使い。 つゆのくせなき。 かたち心ありさますぐれ、世にふる程、いささかのきずなき。 少しの癖もない人。 容貌・性質・態度がすぐれ、世を過ごす間、少しも欠点のない人。 同じ所に住む人の、かたみに恥ぢかはし、いささかのひまなく用意したりと思ふが、 同じ所に宮仕えている人で、お互いに気をつかって、少しの隙もなく、気を配っていると思う人が、 つひに見えぬこそかたけれ。 最後まで欠点を見せないということは、めったにない。 物語、集など書き写すに、本に墨つけぬ。 物語や歌集などを書き写すときに、その原本に住みをつけないということ(も難しい/めったにない)。 よき草子などはいみじう心して書けど、 良い本などは、たいそう注意して書くのだが、 必ずこそ汚げになるめれ。 必ず(墨などがついて)汚らしくなるようだ 男女をば言はじ、女どちもちぎり深くて語らふ人の、末までなかよき人、かたし。 男女の仲(が長続きしないこと)は言うまでもないが、女同士でも、深く約束をして仲良く交際している人で、最後まで仲の良い人はめったにいない。 lscholar.

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枕草子(第41段~第82段)

ありがたきもの 現代語訳

鳥は(第41段)~鳥は、異所のものなれど~ 【冒頭部】 鳥は、異所のものなれど、あうむ、いとあはれなり。 【現代語訳】 鳥は、外国のものではあるが、おうむがたいへん興趣を感ずるものと思われる。 人のしゃべるようなことばをまねるという話だ。 ほととぎす。 くいな。 ひたき。 (いずれもおもしろい)。 山鳥は、友を恋しがって(鳴くが)、鏡を見せると(映った影を友と思って)心が慰むそうであるが、世なれていなくて、まことにいじらしい。 (雌雄)谷を隔ててすんでいるときなんかは、かわいそうである。 鶴は、とてもぎょうぎょうしい姿かっこうではあるが、その鳴く声が天まで聞こえる(という)のは、まことにけっこうだ。 頭の赤い雀。 いかるがの雄鳥。 たくみ鳥(などもよい)。 鷺は、見た姿もたいへん見苦しい。 目つきなどもいやで、すべての点において心をひかれないが、(歌にもいう)「ゆるぎの森にひとりは寝じ」と妻争いをすると聞くと、興味深い。 水鳥としては、鴛鴦がまことの情趣深い。 (雌雄)たがいに位置をかわって、あいての羽の上の(冷たい)霜をはらってやるということなどが。 千鳥も、たいへん興趣を感ずる。 【語句】 異所・・・異国。 くひな・・・水鳥。 しぎ・・・水辺にすむ鳥。 都鳥・・・ゆりかもめ。 ひわ・・・すずめの一種。 ひたき・・・秋の末によくさえずる鳥。 山鳥・・・きじの一種。 心わかう・・・心が若々しいとは、まだ世なれていないことをいう。 こちたき・・・大げさ。 ぎょうぎょうしい。 見目・・・見た目。 かっこう。 まなこゐ・・・目つき。 うたて・・・いやで。 鳥は(第41段)~うぐひすは、文などにもめでたきものに~ 【冒頭部】 うぐひすは、文などにもめでたきものにつくり、声よりはじめてさまかたちも 【現代語訳】 うぐいすは、漢詩文などにもすばらしいものとしてうたわれ、声をはじめとして、その姿やかたちもあれほど上品でかわいらしいわりには、宮中で鳴かないのがたいへんおもしろくない。 だれかが、「うぐいすは宮中では鳴きませんよ」といったのを、「そんなこともあるまい」と思っていたのに、十年ばかり(宮中に)奉公して聞いていたところ、ほんとうに、まったく(うぐいすは)一声も鳴かなかった。 そのくせ、(宮中には)竹に近く紅梅もあって、ほんに(うぐいすが)いかにも通って来そうな寄り所でありますよ。 (宮中から)退出して里などで聞くと、いやしい民家の、なんの見どころもない梅の木などには、うるさいほどやかましく鳴いている。 夜鳴かないのも寝ぼうな感じがするけれども、(生まれつきなのだから)今さらいってもしかたがない。 夏や秋の末ごろまで老い声に鳴くので、「虫食い」などと、とるにたらぬいやしい者が名前をつけかえていうのは、残念でいやな感じがする。 それもただ、(うぐいすが)雀などのようにいつも見られる鳥であるならば、そうも思われまい。 春鳴くからであろうか。 「年たちかへる」などと風情を感じさせることとして、和歌にも漢詩にも詠むということだ。 やはり(うぐいすが)春のうちだけに限って鳴くのであったならば、どんなにいいことだろう。 人間の場合でも同じで、人なみでなく、世間の評判も悪くなりだした人をば、(だれが)ことさら非難したりしよう。 とび・からすなどの(平凡な)鳥のことについては、注目したり聞き耳をたてたりする人などは、世にはいないものだ。 そんなわけで、(うぐいすは)りっぱなはずの鳥となっているからこそと思うにつけ、(こんな欠点があるので)不満な気がするのである。 賀茂祭りの帰りの行列を見るといって、雲林院知足院などの前に車をとめて立てていたところ、ほととぎすも(四月のこととて)声を忍びきれなのであろうか、鳴くと、(うぐいすが)たいそううまくその鳴きまねをして、木立ちの中で(ほととぎすと)声を合わせて鳴いているのは、(季節にはずれているとはいうものの)やはり趣深いものである。 【語句】 めでたきもの・・・すばらしいもの。 けっこうなもの。 さばかり・・・あれほど。 それほど。 あてに・・・上品に。 高貴に。 うつくしきほどよりは・・・愛らしい割合には。 「うつくし」は、愛らしい、かれんであるなどの意。 さらに・・・けっして。 すこしも。 さるは・・・そのくせ。 あやしき家・・・下賤の家。 「あやし」は、いやしい意。 かしがましき・・・うるさい。 やかましい。 いぎたなき・・・寝坊な。 いかがせむ・・・どうしよう。 どうにもしかたない。 ようもあらぬ者・・・とるにたらない者。 くすしき・・・耳ざわりでいやな。 人げなう・・・人間らしくもなく。 人なみに扱われず。 世の覚え・・・世間の評判。 心ゆかぬ・・・満足しない。 もろ声に・・・一緒に、声を合わせて。 さすがに・・・そうはいうもののやはり。 鳥は(第41段)~ほととぎすは、なほさらに~ 【冒頭部】 ほととぎすは、なほさらにいふべきかたなし。 【現代語訳】 ほととぎすは、やはりなんといっても、ことばでいい表わしようがない(ほどすばらしい)。 いつかと待つうちに得意そうに鳴いているのが聞こえたと思うと、卯の花や花橘などにとまって、なかば姿を隠しているのも、ねたましく感ずるほどの風情である。 五月雨の降るころの短い夜に目ざめて、なんとかして人より先に聞きたいものだと待たずにおれず待っていると、夜深く鳴きだした声が、上品で魅力があるのは、ひどく心がひかれ、なんともいいようがない。 六月になってしまうと、鳴きもしなくなってしまう、すべてすばらしいといってもいいたりない感じである。 幼児の泣くのだけはそうでもない。 【語句】 いつしか・・・いつになったら。 したり顔に・・・得意がおに。 ねたげなる・・・ねたましいほどすばらしい。 「ねたし」は、憎らしい、いまいましい、ねたましいほど立派だ。 心ばへ・・・気だて。 寝ざめ・・・途中で目ざめること。 いかで・・・なんとかして。 らうらうじう・・・美しくて。 愛敬づき・・・愛らしい。 心あくがれ・・・「あくがれ」は「あこがれる」。 さしもなき・・・そうでもない。 あてなるもの(第42段) 【冒頭部】 あてなるもの薄色に白襲の汗衫。 かりのこ。 削り氷にあまづら入れて、 【現代語訳】 上品で美しいもの。 薄紫色(の袙の上)に(着た)白襲の汗衫。 あひる、鵞鳥などの卵。 削り氷にあまずらを入れて、新しい金属製のお椀に盛ってあるもの。 水晶の数珠。 藤の花。 梅の花に雪が(すこし)降りかかった景。 たいへんかわいらしい児が、いちごなど食べているさま。 【語句】 あてなる・・・高貴である。 上品である。 かりのこ・・・あひる。 鵞鳥などの卵。 あまづら・・・つる草の一種。 うつくしき・・・愛らしい。 虫は(第43段) 【冒頭部】 虫はすずむし。 ひぐらし。 【現代語訳】 虫(でおもしろいの)は、鈴虫、ひぐらし、蝶、松虫、きりぎりす、はたおり、われから、ひお虫、ほたる。 みの虫、これはたいへん趣がある。 鬼が生んだから、親に似てこの子もおそろしい気性があるだろうと思って、親が粗末な着物を着せて、「おっつけ秋風が吹いたなら、その時分に来るつもりだからね。 それまで待ってなさい」と言い置いて逃げて行ってしまったのも気づかないで、八月ごろになると、秋風の音を聞き知って、「ちちよ、ちちよ」 と心細そうに鳴くのはほんとうにあわれである。 ぬかずき虫もまた趣がある。 あんな小さな虫のくせに信仰心をおこして、額をついて歩きまわっているようすだ。 また、思いも寄らず、暗い所などに、ほとほとと音をたてて歩いているのはおもしろい。 繩は憎いものの中に入れてしまうべきで、ほんとにかわいげのないものである。 人間なみに、かたきとすべきものほどの大きさではないが、秋などいろいろのものにとまって、人の顔などに、ぬれた足でとまっているなんて。 人の名に(繩という字が)ついているのは実にいやな感じがする。 夏虫、これはたいへんおもしろく可憐である。 燈火を近く取り寄せて、物語などを読んでいると、本の上などに飛び歩くのがたいへんおもしろい。 蟻はたいへん憎らしいが、身の軽いことは非常なもので、水の上などをずんずん歩いて行くのがおもしろい。 【語句】 すずむし・・・今の松虫、チンチロリンと鳴く。 ひぐらし・・・蝉の一種。 かなかな蝉。 まつむし・・・今のすず虫。 リンリンと鳴く。 きりぎりす・・・今のこおろぎ はたおり・・・今のきりぎりす われから・・・海藻につく小さな虫 ひを虫・・・かげろう みのむし・・・若葉が芽をふきだすころ、枯れ葉を食い、糸を吐いて「玉の(蓑)」と呼ばれる巣を作る虫 鬼の生みたりければ・・・鬼が生んだから あやしききぬ・・・粗末な衣 来むとする・・・来るつもりだ 聞き知りて・・・聞き分けて ぬかづき虫・・・額突虫。 米搗虫。 さる心地に道心おこして・・・そのような小さな虫の心にも信仰心をおこして つきありくらむよ・・・額をついてあるきまわるようだよ ほとめきありきたる・・・ほとほとと音をたてて歩きまわっている 愛敬なきものはあれ・・・実にかわいげのないものである 人々しう・・・人間なみに。 一人前に。 よろづのものにゐ・・・いろいろなものにとまって ぬれ足・・・ぬれた足 うとまし・・・いとわしい。 いやだ。 らうたげなり・・・かわいらしい。 可憐である。 かろびいみじうて・・・身の軽いことがたいへんなもので あゆみにあゆみありく・・・ずんずん歩く。 さっさと歩く。 ありがたきもの(第75段) 【冒頭部】 ありがたきものしうとにほめらるる婿。 【現代語訳】 めったにないもの。 舅にほめられる婿。 また、姑にかわいがられるお嫁さん。 毛のよく抜ける銀製の毛抜き。 主人を悪く言わない従者。 まったく欠点のない(人)。 容貌・性質・態度がすぐれ、この世を過ごす間、すこしの欠点もない(人)。 同じ宮仕え所に住む人で、たがいに慎しみ合い遠慮し合って、すこしのすきもなく気を配っていると思う人が、最後まで(心底を)見られない例はめったにないものだ。 物語や歌集など書き写す時に、原本に墨をつけない(こともめったにない)。 りっぱな草子などは、たいそう注意して書くのだが、かならずといってよいほどきたなくなるようだ。 男、女の間はいまさらいうまでもない、女どうしも、深く契ってつき合っている人が、終わりまで仲がよい例はめったにない。 【語句】 ありがたき・・・めったにない、めずらしい しうとめ・・・夫の母。 姑 思はるる・・・愛される。 かわいがられる。 つゆ・・・少し 癖・・・欠点 かたち・・・容貌 心・・・性質、気だて きず・・・欠点。 かたみに・・・たがいに 恥ぢかはし・・・距離を置いて慎しみ合い気づかいして 用意したりと・・・気を配っていると つひに見えぬこそ・・・最後まで心の底を相手に見られないのは 集・・・歌集。 本・・・原本 草子・・・歌や文を書き込むために、紙を折り重ねて、のりや糸でとじ合わせたもの 男、女をばいはじ・・・男女の関係はいうまでもない 女どち・・・「どち」は仲間 頭の中将の、すずろなるそらごとを聞いて(第82段)~頭の中将の、すずろなるそらごとを聞いて~ 【冒頭部】 頭の中将の、すずろなるそらごとを聞いて、いみじういひおとし 【現代語訳】 頭の中将(藤原斉信)が、根拠もないうわさを聞いて、(わたしのことを)ひどくけなし、「『どうして(あんな女を)人なみの者と思いほめたりしたのだろう』などと、殿上の間でひどく悪くおっしゃる」というのを聞くにつけてもはずかしいけれど、「それが事実ならば、しかたがないが、(そうでないんだから)そのうちに自然のお聞き直しになられるだろう」と笑ってすごしていたが、(頭の中将は)黒戸の間の前を通るときにも、(わたしの)声などがするおりは、袖で顔を隠してまったくこちらを見むきもしないで、ひどく憎んでいらっしゃるので、どうのこうのと弁解もせず、会いもしないで過ごしていたが、二月の末のころ、ひどく雨が降って所在ない時に、(中将は)宮中の御物忌みにこもって、「(清少納言と)絶交したもののやはりどうも物足りないことだ。 何か言ってやろうか」とおっしゃっている、と人々が語るけれども、「まさかそんなことはあるまい」などと答えていたが、(その日は)終日自分の局にいて、夜、中宮様のおそばにあがると、(中宮様は)もうご寝所にお入りになっていらっしゃった。 【語句】 すずろなる・・・たわいもない。 そらごと・・・うそ。 いみじう・・・ひどく悪い。 「いみじ」は、ことのはなはだしい意。 ともかうも・・・ああともこうとも。 見も入れで・・・見入れもしないで。 よにあらじ・・・まさか、そんなことはあるまい。 夜のおとど・・・ご寝室。 ここは中宮の寝所。 頭の中将の、すずろなるそらごとを聞いて(第82段)~長押の下に火近くとりよせて~ 【冒頭部】 長押の下に火近くとりよせて、さしつどひて扁をぞつく。 【現代語訳】 (女房たちは)長押の下で、灯火を近くに引き寄せて、寄り集まって扁づけをしている。 「まあうれしい。 早くいらして下さい」などと、私を見つけていうが、(私は)興がのらない気がして、何のために参上したのだろうと思う。 炭櫃の所にすわっていると、そこにまた(女房たちが)集まってすわり、話などしている時に、「たれそれが参上いたしました」と、実にはなやかにいう。 「へんだわ。 いつのまに、何が起こったのか」と(とりつぎの者に)尋ねさせると、主殿司であった。 「ただ、この場所で、直接に申しあげなければならないことがございます」というので、出て行ってたずねると、「これを頭の殿が差し上げられます。 お返事をすぐに」という。 ひどく(私を)憎んでいらっしゃるのに、どういう手紙なのだろうと思うが、いますぐ急いで見る必要もないから、「帰りなさい。 おっつけご返事申しあげましょう」といって(手紙を)ふところに入れてうちにはいった。 (私は)また女房たちが話しているのを聞いていたが、(主殿司が)すぐに引き返してきて、「『それならば、その文をいただいてこい』と、おっしゃいます。 (お返事を)早く早く」というが、どうも変で、伊勢の物語だなと思って見たところが、青い薄様にたいそうきれいにお書きになってある。 別に胸をおどらせるほどのものではなかった。 蘭省花時錦帳下 と書いて、「この下の句はいかが、いかが」とあるのを、どうしたらよいものだろうか、中宮さまが起きていらっしゃるなら、ごらんに入れようものを、この句の後を知っているというように、知ったかぶりをしておぼつかない漢字で書いてみても、たいへん見苦しいと思案するひまもなく、ひどくせきたてるので、ただ、薄様の奥の余白に、炭櫃に消え残っている炭があったのをつかって、 草の庵をたれかたづねむ と書きつけて持たせてやったが、二度と返事もいってよこさない。 【語句】 はなやかにいふ・・・陽気な声ではっきりと言う。 あやし・・・変だ。 不思議だ。 ここもとに・・・ここで。 ありつる・・・さっきの。 きよげに・・・美しく。 心ときめきしつる・・・胸をおどらせた。 「心ときめく」は、期待で胸がどきどきする意。 責めまどはせば・・・責めて困らせるので。 「まどはす」は、まごつかせる、迷わせる。 頭の中将の、すずろなるそらごとを聞いて(第82段)~みな寝て、つとめて~ 【冒頭部】 みな寝て、つとめて、いととく局に下りたれば、 【現代語訳】 みな寝て、翌朝、たいそう早く局に下っていたところ、源中将の声で、「このあたりに草の庵はいますか」と、ぎょうさんな声をはりあげていうので、「おや、妙なことだ。 どうしてそんな人なみでない者がおりましょう。 玉の台をお求めになりますならば、答えましょうものを」と、(わたくしは)いう。 「ああうれしい。 下局にいたんですね。 もしかして(向こうから)言いだすこともあるかと待っているが、(清少納言は)少しも、なんとも思っていないで、平然としているのも、たいそう残念なので、今晩、悪くとも、よいとも、(今後どうするかを)きっぱりときめて決着をつけようよ」といって、みんなで話しあってやった文を、「(清少納言が)今すぐ読むまいといって奥に入ってしまった」と、(返事をもらわずにそのまま帰った)主殿司がいったので、また追い返して、「ただもう、袖をひっとらえて、有無を言わせず(返事を)もらって来い。 そうでないならば手紙を取り返して来い」とよくよく注意して、あれほどの降る雨の中をやったところ、たいへん早く帰ってきた。 「これです」といってさしだしたのが、先ほど持たせた手紙なので、返してきたのかと思って(頭の中将が)ちらっと見たと同時に、あっと声をあげたので、「変だなあ。 どういうことか」と、みんなそばに寄って見ると、(頭の中将が)「たいしたくせものだよ。 やはりとても絶交し通せるものではない」といって、大さわぎして、「この歌の上の句をつけて贈ろう。 源中将つけよ」などと、夜がふけるまでつけあぐねてそのままに終わってしまったが、このことは「将来も、世間に語り伝えるべきことだ」などと、みなで決めてしまった、などと、ひどくきまりが悪いほどに(私に)いって聞かせて、「あなたのお名前を、今は、草の庵とつけている」といって、急いで帰ってしまわれたので「とんだ悪名が、後の世まで残るというのは、なさけないことだ」といっているところへ、 【語句】 つとめて・・・翌朝。 おどろおどろしく・・・ぎょうさんに。 大げさに。 などてか・・・どうしてか。 人げなき・・・一人前の人らしくない、いやしい、身すぼらしい。 玉の台・・・りっぱな邸。 いらへてまし・・・答えるだろうに。 人々しき・・・人なみの。 一人前の。 人の上・・・人の評判。 人のうさわ。 むげに・・・まったく。 その他、やたらに、むやみに、などの意。 さすがに・・・そうはいうもののやはり。 えあらね・・・あり得ない。 つれなきも・・・平然としているのも。 「つれなし」は、反応のないさま。 ねたきを・・・くやしいので。 「ねたし」は、残念である意。 いましめて・・・注意して。 よくよく教えて。 ありつる・・・さっきの。 あはせて・・・と同時に。 をめけば・・・わめいたので。 「をめく」は「わめく」。 定めし・・・批評した。 評定した。 かたはらいたきまで・・・聞いていていたたまれないほど。 「かたはらいたし」は、そばにいてはらはらする。 頭の中将の、すずろなるそらごとを聞いて(第82段)~修理の亮則光、「いみじきよろこび~ 【冒頭部】 修理の亮則光、「いみじきよろこび申しになむ 【現代語訳】 修理の亮則光が(来て)「たいへんすばらしいよろこびを申しに上の局の方かと思って参上したが」というので、「なんですか。 つかさ召しあがったという話も聞いておりませんが、何におなりになったの」と問うと、「いや(そんなことでは・・・)、ほんにすばらしくうれしいことが、昨夜ありましたので、じれったく思って夜を明かして・・・。 これほど面目をほどこしたことはなかった」といって、最初あったことなど、源中将がお話しになったのと同じことを言って、「『ただ、この返事次第によっては、<こかけをしふみし>そんな者がこの世にいたとも、いっさい思うまい』と頭の中将がおっしゃるので、その場にいた者がみなで相談して(手紙を)持たせておやりになったのに、(使いの者が)手ぶらで帰って来たのは、かえってよかった。 (もとの手紙を)持って来た時は、どうだろうと胸がどきっとして、ほんにその返事がまずかったら、(この)私のためにもまずかろうと思っていたところ、ひと通りでなくよかったので、(そこにいた)多くの人たちがすっかり感心して、『おい、兄貴、こっちへ来い。 これを聞け』とおっしゃったので、内心たいへんうれしいけれども、『そういう詩歌の方面では、いっこうにお仲間入りできそうにない身でして』と申したところが、『意見をいえとか、鑑賞しろとかいうのではない。 ただ、人に話せというわけで聞かせるのだよ』とおっしゃったのは、少々情けない身の評判ではあったけれども、(人々が)上の句を付けようとやってみるに、結局なんともいいようがない。 『ことさらにまた、返歌をすることもあるまい』などと相談して、『(返歌をして、)つまらぬ句だなどといわれては、かえって後悔するであろう』などといって、夜中まで(さわいで)いらっしゃった。 この話は、わたくし自身のためにも、あなたの御ためにも、よろこぶべきことではありませんか。 司召しで、少しばかりの役を得ましたとしても、なんとも思わないでしょうよ」と言うので、なるほど大ぜいよってかかって、そうしたたくらみがあろうとも知らないで、(場合によったら、)あとで残念だと後悔するような結果になりそうであったなと、これによって(はじめて)胸がどきんとしたことだ。 この(則光とわたしとの)妹、兄という関係は、主上までみなご存じで、殿上でも、修理の亮の官名をいわないで、「兄」と名づけられている。 【語句】 心もとなく・・・じれったく。 待ち遠しく。 面目・・・名誉。 あるかぎり・・・そこにいた者全部。 ある者・・・そんな者。 ただに・・・手ぶらで。 何も持たず。 なかなか・・・かえって。 むしろ。 胸つぶれ・・・どきっとして。 ひやっとして。 せうと・・・兄。 ここは則光。 そこらの人・・・多くの人。 「そこら」はたくさん、はなはだしい。 言くはへよ・・・意見を言え。 せうとのおぼえ・・・この兄の思われ方。 「おぼえ」は、評判・信望。 頭の中将の、すずろなるそらごとを聞いて(第82段)~物語などしてゐたるほどに~ 【冒頭部】 物語などしてゐたるほどに、「まづ」とめしたれば 【現代語訳】 (わたしが女房たちと)話などしていたときに、中宮様から「ちょっと、(出仕しなさい)」とお召しがあったので、参上したが、このことをおっしゃろうとなさってのことであった。 (中宮様は、)「主上がこちらへおこしになって、わたしにお話しくださって、殿上人たちはみな(草の庵の文句を)扇に書きつけて持っている」などとおっしゃるので、あきれたこと、なんだってそんなことを言いふれさせたのかしらと思った。 さて、こんなことがあって後は、(頭の中将は)袖で顔をかくす几帳を取りのけて、誤解をとかれてしまわれたようだった。 【語句】 まづ・・・何はともあれ。 あさましく・・・おどろきあきれて。 「あさまし」は、意外なことにびっくりする状態。 をのこども・・・殿上人たち。

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『今鏡』(いまかがみ)は、平安時代末期に成立した歴史物語。 作者は藤原為経(寂超)とするのがほぼ定説になっている。 いわゆる「四鏡」の成立順では2番目に位置する作品で、の後を受けて後一条天皇の万寿2年(1025年)から高倉天皇のまでの13代146年間の歴史を紀伝体で描いている。 長谷寺参りの途中で大宅世継の孫で、かっては「あやめ」という名で紫式部に仕えた、150歳を超えた老婆から聞いた話を記したという形式を採る。 — 「」より。 〔すべらぎの上〕第一 序 やよひの十日あまりのころ、おなじ心なるともたち、あまたいざなひて、はつせにまうで侍りしついでに、よきたよりに寺めぐりせんとて、やまとのかたに旅ありき日比するに、路とをくて日もあつければ、こかげにたちよりて、やすむとてむれゐる程に、みつわさしたる女のつえにかゝりたるが、めのわらはの花がたみにさわらび折りいれて、ひぢにかけたるひとり具して、そのこのもとにいたりぬ。 とをきほどにはあらねど、くるしく成りて侍れば、おはしあへる所はゞからしけれど、都のかたよりものし給ふにや。 むかしも恋しければ、しばしもなづさひたてまつらむといふけしきも、くちすげみわなゝくやうなれど、としよりたる程よりも、むかしおぼえてにくげもせず。 この わたりにおはするにやなど問へば、もとは都にもゝとせあまり侍りて、そのゝち、山しろのこまのわたりに、いそぢばかり侍りき。 さてのちおもひもかけぬ草のゆかりに、かすがのわたりにすみ侍るなり。 すみかのとなりかくなりし侍るも、あはれにといふに、としのつもりきく程に、みなおどろきてあさましくなりぬ。 むかしだにさほどのよはひはありがたきに、いかなる人にかおはすらん。 まことならば、ありがたき人みたてまつりつといへば、うちわらひて、つくもがみはまだおろし侍らねど、ほとけのいつゝのいむ事を、うけて侍れば、いかゞうきたる事は申さん。 おほぢに侍りしものも、ふたもゝちにおよぶまで侍りき。 おやに侍りしも、そればかりこそ侍らざりしかども、もゝとせにあまりてみまかりにき。 おうなも、そのよはひをつたへ侍るにや。 いま<とまち侍りしかど、いまはおもなれて、つねにかくてあらんずるやうに、念佛などもおこたりのみなるも、あはれになんといへば、さていかにおはしけるつゞきにか。 あさましくも、ながくもおはしけるよはひどもかな。 からのふみよむ人のかたりしは、みちよへたる人もありけり。 もゝとせを七かへりすぐせるも有りければこの世にも、かゝる人のおはするかなと、このともたちの中にいふめれば、おほぢはむげにいやしきものに侍りき。 きさいの宮になんつかへまつり侍りける。 名は世繼と申しき。 おのづからもきかせ給ふらん。 くちにまかせて申しける物がたり、とゞまりて侍るめり。 おやに侍りしは、なま学生にて大学に侍りき。 この女をもわかくては、宮つかへなどせさせ侍りて、からのうた、やまとの哥などよくつくりよみ給ひしが、こしの国のつかさにおはせし御むすめに、式部の君と申しゝ人の、上東門院の后の宮とまうしゝとき、御母のたかつかさ殿にさぶらひ給ひしつぼねに、あやめとまうしてまうで侍りしを、五月にむまれたるかと問ひ給ひしかば、五日になんむまれ侍りける。 母の志賀のかたにまかりけるに、ふねにてむまれ侍りけると申すに、さては五月五日、舟のうちなみのうへにこそあなれ。 むまの時にやむまれたる。 と侍りしかば、しかほどに侍りけるとぞおやは申し侍りし。 など申せば、もゝたびねりたるあかゞねなゝりとて、いにしへをかゞみ、いまをかゞみるなどいふ事にてあるに、いにしへもあまりなり。 いまかゞみとやいはまし。 まだおさ<しげなるほどよりも、としもつもらずみめもさゝやかなるに、こかゞみとやつけましなどかたれば、世に人のみけうずる事、かたり出だされたる人の、むまごにこそおはすなれ。 いとあはれに、はづかしくこそ侍れ。 式部君たれが事にかと問へば、紫式部とぞ世には申すなるべしといふに、 それは名だかくおはする人ぞかし。 源氏といふめでたき物がたり、つくり出だして、世にたぐひなき人におはすれば、いかばかりの事どもか、きゝもちたまへらむ。 うれしきみちにも、あひ聞こえけるかな。 むかしの風も吹きつたへ給ふらん。 わかく侍りしむかしは、しかるべき人のこなど三四人うみて侍りしかど、この身のあやしさにや。 みなほうしになしつゝ、あるはやまぶみしありきて、あともとゞめ侍らざりき。 あるは山ごもりにて、おほかた見る世も侍らず。 たゞやしなひて侍る、五節の命婦とて侍りし、うちわたりの事もかたり、世の事もくらからず申して、ことのつまならしなどして、きかせ侍るも、よはひのぶる心ちし侍りし、はやくかくれ侍りて、又とのもりのみやつこなる、をのこの侍るも、うひかうぶりせさせ侍りしまでやしなひたてゝ、このかすがのさとに、わすれずまうでくるが、あさぎよめ、みかきのうちに、つかうまつるにつけて、この世の事も聞き侍る。 みなもとをしりぬれば、すゑのながれきくに心くまれ侍り。 よつぎが申しおける萬壽二年より、ことしは嘉應二年かのえとらなれば、もゝとせあまりよそぢの春秋に、三とせばかりや過ぎ侍りぬらむ。 世は十つぎあまり、三つぎにやならせ給ふらんとぞおぼえ侍る。 その折万寿二年に、ことしなると申したれば、かの後一条のみかど世をたもたせ給ふ事、廿年おはしましゝかば、万寿二年のゝち、いまとかへりの春秋はのこり侍らん。 神武天皇より六十八代にあたらせ給へり。 その御世ゝり申し侍らむとて、 1 雲居 後一条のみかどとは、前の一条院の第二の皇子におはします。 御母上東門院、中宮彰子と申しき。 入道前太政大臣道長のおとゞの第一の御むすめ也。 このみかど、寛弘五年なが月のとをかあまり、ひとひの日むまれさせ給へり。 同じ年の十月十六日にぞ親王の宣旨聞こえさせ給ひし。 同じ八年六月十三日東宮に立たせ給ふ。 御としよつにおはしましき。 一条院位さらせ給ひて、御いとこの三条院東宮におはしましゝに、ゆづり申させ給ひしかば、その御かはりの東宮に立たせ給へりき。 かの三条院位におはします事、五とせばかりすぐさせ給ひて、長和五年むつきの廿九日に、位をこのみかどにゆづり申させ給ひき。 御とし九つにぞおはしましゝ。 さて東宮には、 かの三条院の式部卿のみこをたて申させ給へりき。 摂政は、やがて御おほぢの入道おとゞ、左大臣とてさきのみかどの関白におはしましゝ、ひきつゞかせ給ひて、つぎのとしの三月に、御子の宇治のおとゞ、右大将と聞こえさせ給ひしに、ゆづり申させ給ひにき。 その日やがて、内大臣にもならせ給ふと、聞こえさせたまひき。 その八月九日、東宮わが御心と、のかせ給ひき。 三条院も、卯月に御ぐしおろさせ給ふ。 御やまひなど聞こえて、かくさらせ給ひぬれば、みかどの御おとうとの第三の親王を、このかはりにたて申させ給ふ。 廿五日にぞ、さきの東宮に院号聞こえさせたまひて、小一条院と申す。 としごとのつかさくらゐ、もとのごとく給はらせたまふ。 御随身など聞こえ給ひき。 ほりかはの女御の、みえしおもひのなどよみたまへる、ふるき物がたり侍るめればこまかにも申し侍らず。 寛仁二年正月にはうへの御とし十にあまらせ給ひて、三日御元服せさせたまへれば、きびはにおはしますに、御かうぶりたてまつりて、おとなにならせ給へる御すがたも、うつくしう、いとめづらかなる雲井の春になむ侍りける。 卯月の廿八日におほうち、やう<つくり出だして、わたらせ給ふ。 しろがねのうてな玉のみはし、みがきたてられたるありさま、いときよらにて、あきらけき御世のくもりなきも、いとゞあらはれはべるなるべし。 みかうしも、みすもあたらしく、かけわたされたるに、雲のうへ人の夏ごろもごたちの用意などいとゞすずしげになん侍りける。 おほ宮もいらせ給ふ。 春宮もわたらせ給ひて、むめつぼにぞおはします。 入道おとゞの四の君は、威子の内侍のかみと聞こえたまひし、こよひ女御に参り給ひて、藤つぼにおはします。 神無月の十日あまりのころ、きさきに立たせ給ふ。 國母も、后もあねおとゝにおはしませば、いとたぐひなき御さかえなるべし。 廿二日に上東門院にみゆきありて、かつらを折るこゝろみせさせたまふ。 だい、霜をへて菊のせいをしる。 又みどりの松、色をあらたむる事なし。 などぞ聞こえし。 おほきおとゞたてまつらせたまへるとなん。 八月廿八日東宮御元服せさせ給ふ。 御とし十一にぞおはしましゝ。 九月廿九日に、入道おとゞ、東大寺にて御かいうけさせたまひき。 同四年かのえさる、三月廿二日に、無量壽院つくり出ださせ給ひて、くやうせさせ給ふ。 きさき、みところ、行啓せさせたまふ。 御ありさまども、ふるき物がたりに、こまかにはべれは、さのみおなじ事をや申しかさね侍るべき。 十月には入道のおとゞ、比叡にのぼり給ひて、恵心とかいひて、御かい かさねて、うけさせたまふ。 治安二年みづのえいぬの七月十四日法成寺に行幸せさせ給ひき。 入道おとゞ金堂供養せさせ給ひしかば、東宮もきさきたちも、みな行啓せさせ給ひき。 つみあるものどもみなゆるされ侍りにけり。 三年正月に太皇太后宮に、朝観の行幸せさせ給ひき。 春宮もおなじやうに、行啓せさせたまひける、ふたりの御子おはしませば、いとたぐひなき、宮のうちなるべし。 十月十三日に、上東門院の御はゝ、たかつかさどの、六十の御賀せさせ給ふ。 その御ありさま、むかしの物がたりに侍れば、この中にも、御らんぜさせたまへる人もおはしますらん。 万寿元年九月十九日、関白殿の高陽院に行幸ありて、くらべむま御らんぜさせ給ふべきにて、大皇太后宮、まづ十四日にわたりゐさせたまひてぞ、まちたてまつらせ給ひける。 かくて廿一日に、大宮は内へいらせ給ひき。 高陽院の行幸には、かの家のつかさ、かゝゐなどし侍りけり。 むらかみの中つかさの宮の御子、源氏の中将を、入道おとゞの御やしなひ子と聞こえ給ふ。 このたび三位中将になりたまひき。 二年八月三日春宮のみやす所〔嬉子〕、をとこ〔一〕宮うみたてまつり給ひて、五日にかくれさせ給ひき。 入道おとゞの六の君におはする、御さいはひの中に、あさましく、かなしと申すもおろかに侍れど、後冷泉院を、うみおきたてまつり給へれば、いとやむごとなくおはします。 その折のかなしさは、たぐひなく侍りしかども、いきてきさきにたちたまへる御あねたちよりも、おはしまさぬあとのめでたさは、こよなくこそはべるめれ。 2 子の日 三とせの正月十九日、大皇太后宮、御さまかへさせたまひき。 きさきの御名もとゞめさせ給ひて、上東門院と申しき。 よそぢにだにまだみたせたまはぬに、いと心かしこく、世をのがれさせ給ふ。 めでたくもあはれにも、聞こえさせ給ひき。 大斎院と申ししは、選子内親王と聞こえさせ給ひし、この御事をきかせ給ひて、よみてたてまつらせ給へる御うた、 君はしもまことのみちに入りぬなり独やながきやみにまどはん この斎院は、むらかみの皇后宮の、うみおきたてまつらせ給へりしぞかし。 東三条殿の御いもうとなれば、この入道殿には、御をばにあたらせ給ふぞかし。 なが月には中宮御さんと聞こえさせ給ひて、姫宮うみたてまつらせ給ふ。 左衛門督かねたかと聞こえ給ひしが家をぞ、御うぶやにはせさせ給へりし。 をとこ宮におはしまさぬは、くちをしけれ ど、御うぶやしなひなど心ことにいとめでたく、ことはりと申しながら、聞こえ侍りき。 この姫宮は、後冷泉院のきさき、二条院と申しし御事なり。 東宮にはじめてまゐらせ給ひけるころ、出羽の弁みたてまつりて、 春ごとの子の日はおほく過ぎぬれどかゝる二葉の松はみざりき とぞよめりける。 同四年正月には、上東門院にとしのはじめのみゆきありて、朝覲の御はいせさせたまひき。 しも月には入道おほきおとゞ御やまひ重らせ給ひて、千人の度者とかやいひて、法師になるべき人のかずの、ふみたまはらせ給ふと聞こえ侍りき。 法成寺におはしませば、その御寺に行幸ありて、とぶらひたてまつらせ給ふ。 東宮にも行啓せさせ給ふ。 御むまご内東宮におはしませば、御やまひの折ふしにつけても、御さかえのめでたさ、むかしもかゝるたぐひやは侍りけん。 しはすの四日に、入道殿かくれさせ給ひぬれば、としもかはりて、春のはじめのせちゑなどもとゞまりて、くらゐなどたまはすることも、ほど過ぎてぞ侍りける。 長元二年きさらぎの二日、中宮、又ひめ宮うみたてまつらせ給へり。 この姫宮は後三条院の、后におはします。 わらはまひなどいとうつくしくて、まだいはけなき御よはひどもに、から人の袖ふり給ふありさま、いとらうありて、いかばかりか侍りけん。 又の日うちにめして、昨日のまひども御らんぜさせ給へり。 まひ人雲のうへゆるさるゝ人々と聞こえ侍りき。 舞の師もつかさ給はりて、このゑのまつりごと人など、くはへさせ給ひけりとなむ。 かの御賀の屏風に、りんじきやくのところをあかぞめの衛門がよめる、 むらさきの袖をつらねてきたる哉春たつことは是ぞ嬉しき 又子の日かきたる所よめる哥も、いふに聞こえ侍りき。 殿上人御つかひにて、左右の御むまなどひかれ侍りけり。 御としみそぢにだに、いまひとつたらせ給はぬ、いとあたらし。 されど廿年たもたせ給ふ、すゑの世にありがたく聞こえさせたまひき。 まだおはしますありさまにて、御おとうとの東宮に、くらゐゆづり申させ給ふさまなりけり。 のちの御事の、よそほしかるべきによりて、くらゐおりさせ給ふ心なるべし。 をとこ御子のおはしまさぬぞくちをしき。 いづれの秋にか侍りけん。 菊の花ほしに似たりといふ題の御製、からの御ことのは聞こえ侍りき 司天記取葩稀色、分野望看露冷光 とか人のかたり侍りし。 御ざえもかしこくおはしましけるにや。 菩提樹院に、この御門の御ゑいおはしましけるを、出羽の弁がかよめりける。 いかにしてうつしとめけん雲井にてあかずかくれし月の光を かの菩提樹院は、二条院の御だうなれば、御心ざしのあまりに、ちゝのみかどの御すがたをかきとゞめて、おきたてまつらせたまひけるなるべし。 おもひやり参らするも、いとあはれにかなしくこそはべれ。 3 初春 後朱雀院と申す、さきの一条院の第三の皇子、御母上東門院、せんだいとおなじ御はらからにおはします。 このみかど寛弘六年つちのとの酉と申しし年のしも月の廿五日にむまれさせたまひけり。 七年正月十六日に、親王と聞こえさせ給ふ。 御とし九つと聞こえさせ給ひき。 長元九年四月十二日位につかせ給ふ。 御とし廿八、そのとし御そくゐ大嘗会など過ぎて、としもかはりぬれば、いつしか、む月の七日、関白左のおとゞとて宇治のおほきおとゞおはしましゝ、女御たてまつらせ給ふ。 みかどの御あにゝおはしましし、式部卿の御子の女ぎみの、むらかみの中つかさの宮の、御むすめの御はらにおはせしを、関白殿御子にしたてまつり給ひて、女御にたてまつり給へるなり。 一条院の皇后宮の、うみたてまつり給へりし、一の御子におはしませば、春宮にもたち給ふべかりしを、御うしろみおはしまさずとて、二のみこにて、せんだい三のみこにて、このみかどふたり、みだうのむまご、関白の御おひにおはしませば、うちつゞきつかせ給へるなり。 彼の一条院の皇后宮は、御せうとのうちのおとゞの、つくしに おはしましゝ事どもに、おもほしなげかせ給ひて、御さまかへさせ給へりしのちに、式部卿の御子をうみたてまつらせたまへるなり。 から國の則天皇后の御ぐしおろさせ給ひてのちに、皇子うみ給ひけんやうにこそおぼえ侍りしか。 されどかれはさきのみかどの女御にて、かのみかどかくれさせ給ひにければ、世をそむきて、感業寺とかいふ寺に住み給ひけるを、さきのみかどのみこ位につき給ひて、かの寺におはしてみたまひけるに、御心やより給ひけん。 さらに后にたてまつりけると、これはおなじ御世のもとのきさきなれば、いたくかはり給はぬさまにて、なのめなるさまにて侍りき。 かしこき御世の御事申し侍るもかたじけなく、かの皇后宮の女房、ひごのかみもとすけと申すがむすめ、清少納言とてことになさけある人に侍りしかばつねにまかりかよひなどして、かの宮の事もうけ給はりなれ侍りき。 その式部卿の御子の御むすめにおはしませば、みかどにはめいにあたらせ給へり。 かくてやよひのついたちに、きさきに立たせ給ひぬ。 御とし廿二にぞおはしましゝ。 もとの后は皇后宮にならせ給ひき。 そのもとの后は、みかど東宮におはしましゝ時より、参り給へりき。 三条院の姫宮におはします。 それは御とし廿五にならせたまへりき。 陽明門院と申すはこの御事なり。 御ぐしのうつくしさを、故院〔え〕見まゐらせぬ、くちをしとてさくり申させ給ひけんもおもひやられて、おなじきさきと申せども、やんごとなくおはします。 ひさしくうちへ参らせ給はざりけるころうちより、 あやめ草かれしたもとのねをたえてさらに恋ぢにまどふ比哉。 と侍りけん。 御返事はわすれにけり。 東宮におはしましゝ時の御息所也。 このきさきに、みだうの六の君まゐり給ひて、内侍のかみと聞こえ給ひし、後冷泉院のいまの東宮におはしましゝ、うみおきたてまつりて、うせ給ひしかば、この宮はそのゝち参り給へるなり。 こないしのかみの御もとに、かすみのうちにおもふ心をと、よませ給ひたる御うた、たまはり給ひけると聞こえ侍りし物を、長暦元年神無月の廿三日関白の殿〔の〕高陽院に、上東門院わたらせ給ひて、行幸ありて、きんだち院司などかゝゐどもし給ひき。 かくてとしもあけぬれば、又正月二日上東門院に朝覲のみゆきありて、いづくと申しながら、猶この院のけしきありさま〔の〕、山の嵐よろづ世よばふ聲をつたへ、池のみづも、ちとせのかげをすまして、まちとりたてまつり給ひき。 先帝かくれさせ給へれども、かくうちつゞきておはします、二代の國母と申すもやんごとなし。 又三日は東宮朝覲の行啓とて、内に参らせ給ふ。 みかどのみゆきよりも、ことしげからぬ物から、はなやかにめづらしく、ゆげひのすけ一員などひきつくろひたるけしき、こゝろことなるべし。 すべらぎの御よそひ、みこの宮の御ぞの色かはりてめづらしく、御拜のありさまなど袖ふりたまふたちゐの御よそひ、うつくしうて、よろこびの涙もおさへがたくなん有りける。 つらなれるむらさきの袖も、ことにしたがへるあけもみどりも、花やかなるみかきのうちの春なりけるとなん聞こえ侍りし。 4 ほしあひ 中宮こぞよりいつしか、たゞならずならせたまひて、しも月の十三日に、左のおとゞのたかくら殿に出でさせ給へりしが、つぎのとし四月一日、女御子うみたてまつらせ給ひて、又うちつゞき、又のとしもおなじやうにまかり出でさせ給ひて、丹後守ゆきたふのぬしの家にて、長暦三年八月十九日に、猶女宮うみたてまつり給ひて、おなじき廿八日にうせ給ひにき。 御とし廿四、あさましくあはれなる事かぎりなし。 いとど秋のあはれそひて、ありあけの月のかげも、心をいたましむるいろ、ゆふべの露のしけきも、なみだをもよほすつまなるべし。 かくて九月九日にうちより故中宮の御ために、七寺にみず経せさせ給ふ。 みかど御ぶくたてまつりて、廢朝とて、清凉殿のみすおろしこめられ、日のおもの参るも、こゑたててそうしなどすることもせず。 よろづしめりたるまゝにはゆふべのほたるをもあはれとながめさせ給ふ。 秋のともし火、かゞけつくさせ給ひつゝぞ、心ぐるしき折ふしなりけるに、廿日ぞ解陣とかいひて、よろづれいざまにて、御殿のみすなどもまきあげられ、すこしはるゝけしきなりけれど、なほ御けしきは、つきせずぞみえさせ給ひける。 神無月も過ぎぬれば、御いみすゑになりて、かのうせ給ひにし宮にて、御佛事あり。 こずゑの色も風のけしきも、おもひしりがほなるさまなり。 くれなゐはらはぬむかしのあとも、のりのにはとて、ことにきよめらるゝにつけても、折にふれて、あはれつきせざりけり。 しも月の七日ぞ、内にははじめて、まつりごとせさせ給ふ。 南殿にいでゐさせ給ひて、官奏などあるべし。 後一条院の中宮に侍りける、いづものごといふが、この宮に侍りし伊賀少将がもとに、 いかばかり君なげくらんかずならぬみだにしぐれし秋の哀を とよめりけり。 秋の宮うちつゞき、秋うせさせ給へるに、いとらうありて、思ひよられけるもあはれにこそ聞こえ侍りしか。 またのとしの七月七日、関白殿に、うちより 御せうそくありて、 こぞのけふ別れし星もあひぬなりなどたぐひなき我が身なるらん とよませ給ひて侍りけんこそ、いとかたじけなく、なさけおほくおはしましける御事かなと、うけ給はりしか。 揚貴妃のちぎりもおもひいでられて、ほしあひの空、いかにながめあかさせ給ひけんと、いとあはれに、たづねゆくまぼろしもがなゝどや、おぼしけんとおしはかられてこそ、つたへきゝ侍りしか。 詩などをも、おかしくつくらせ給ひけるとこそ聞こえ侍りしか。 秋のかげいづち〔か〕かへらんとす〔る〕。 などいふことに、 路非山水誰堪趁、跡任乾坤豈縁尋 などつくらせ給ひけるとこそ、うけたまはりしか。 乾坤といふはあめつちといふことにぞ侍りける。 長久二年三月四日、花宴せさせ給ひて、哥のしたはうぐひすにしかずといふ題たまひて、かつらを折るこゝろみありと聞こえ侍りき。 つぎのとしのやよひのころ、堀川右大臣その時春宮大夫と申ししに、女御たてまつり給ひき。 そちの内のおとゞのむすめの御はらなり。 おとゞたちにもおとりたまはず、いとめでたく侍りき。 十一月には二宮御ふみはじめとて、式部大輔〔たかちか〕と聞こえしはかせ、御注孝經といふ文をしへたてまつりき。 蔵人さねまさ尚複とて、それも御師なるべし。 おなじき四年の三月にも、佐国孝言時綱国綱などいふものども、試みさせたまひき。 ゆば殿にてぞ、つくりてたてまつり給ひける。 もとかつらを折りたるは、はかせをのぞみ、まだをらぬものは、ともし火のゝぞみなむありける。 くごとにもろこしのはかせの名などおきければつゞりかなふる人かたくなんありける。 寛徳元年八月におほすみのかみ長国、たぢまのすけになり、民部丞生行おなじくにのぞうになし給ひて、こまうどの、かの国につきたる、とぶらはせ給ひき。 御なやみとて、あくるとし正月十六日に、くらゐさらせたまひ、御ぐしおろさせ給ふ。 御とし卅七になんおはしましゝ。 世をたもたせ給ふ事九年なりき。 まだわかくおはしますさまを、惜しみたてまつらずといふ人はなし。 先帝廿九にておはしましき。 これはされど、みそぢあまりの春秋過ぎさせ給へり。 母ぎさきのあまりながくおはしますに、かくのみおはしませば、御さいはひの中にも、御なげきに堪へざるべし。 なほ御むまごの一の御子はみかど、二のみこは東宮におはしませば、いとやんごとなき御ありさまなるべし。 5 望月 よつぎもみかどの御ついでに、国母の御事申し侍れば、このみかどの御母ぎさきの御事、このついでに申し侍るべし。 御年廿三におはしましゝ時、後一条院、後朱雀院、うちつゞきうみたてまつらせ給へり。 つちみかどどのにて、後一条院うみたてまつらせ給へりし七夜の御あそびに、みすのうちより、出だされ侍りける、さかづきにそへられ侍りしうたは、むかしの御つぼねのよみたまへりし、 めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそ千世はめぐらめ とぞおぼえ侍る。 その女院は、十三より后におはしましき。 一条院かくれさせ給ひて、後一条のみかど、をさなくおはしましけるに、なでしこの花をとらせ給ひければ、御母ぎさき、 見るまゝに露ぞこぼるゝおくれにし心も知らぬなでしこの花 五節のころ、むかしを思ひいでゝ、殿上人参りて侍りけるに伊勢大輔、 はやくみし山ゐの水のうすごほりうちとけざまはかはらざりけり とぞよみて出だし侍りける。 寛弘九年二月に、皇太后宮にあがらせ給ふ。 御年廿五と聞こえさせ給ひき。 後一条のみかど、位につかせ給ひて、寛仁二年正月に大皇太后宮にならせたまひき。 万寿三年正月十九日に、御さまかへさせ給ふ。 御とし卅九、御名は清浄覚と申しけり。 きさきの御名とゞめさせ給ひて女院と聞こえさせ給ふ。 としごとのつかさ位たまはらせ給ふ事は、おなじやうにかはり侍らざりけり。 長暦三年五月七日、御ぐしおろさせ給ふ。 あきもとの入道中納言、 世をすてゝ宿を出でにし身なれども猶恋しきは昔なりけり とよみて、この女院へたてまつり給へる御返事に、 つかのまも戀しきことのなぐさまば二たび世をもそむかざらまし とよませ給へる、はじめは御ぐしそがせ給ひて、のちにみなおろさせ給ふ心なるべし。 かの中納言は後一条院の御おぼえの人におはしけるに、御いみにおはして、宮のうちに御となぶらもたてまつらず侍りければ、いかにとたづね給ひけるに、女官どもいまの内に参りて、かきともしする人もなし。 などきゝ給ふに、いとゞかなしくてみかどのかくれさせ給ひて、六日といふに、かしらおろして、山ふかくこもり給へりけり。 年卅七になんおはしける。 きく人なみだをながさずといふ事なくなむ侍りける。 花山の僧正 の、ふかくさのみかどの御いみに、御ぐしおろしたまひけんにも、おくれぬ御心なるべし。 なほつきせずおもほしけるにこそとかなしく、御かへしもいとあはれに、御母ぎさき、さこそはおもほしけめとおぼえて、かの東北院は、この院の御願にて、ちゝおとゞのみだう、法成寺のかたはらにつくらせたまへり。 山のかたち、池のすがた〔に〕もなべてならず。 松のかげ、花のこずゑも、ほかにはすぐれてなんみえ侍りける。 九月十三夜よりもち月のかげまで、仏のみかほもひかりそへられたまへり。 御念仏はじまりけるほどに、かんだちめ、殿上人参りあつまりたまへるに、宇治のおほきおとゞの、朗詠はべりなんと、すゝめさせ給ひければ齊信の民部卿、としたけたるかんだちめにて、極楽尊を念じたてまつる事、一夜とうち出だし給ひけん、折ふしいかにめでたく侍りけん。 齊名といふはかせのつくりたるが、いけるよに、いかにいみじく侍りけん。 この世ならば、いまの人のつくりたる事も出だしたまはざらまし。 殿上人しをに色のさしぬき、この御念仏よりこそ着始め給ひしか。 この堂つちみかどのすゑにあたれば、上東門院と申す也。 このゝち代々の女院の院号、かどの名聞こえはべるめり。 陽明門も、このゑにあたりたれは、このれいによりてつかせ給へり。 郁芳門、待賢門などは、おほゐのみかど、中のみかどに御所おはしまさねど、なぞらへてつかせたまへるとぞ聞こえ侍る。 待賢門院の院号のさだめ侍りけるに、なぞらへてつかせ給ふならば、などさしこえて、郁芳門院とはつけたてまつりけるにか。 など聞こえければ、あきたかの中納言といひし人の、この御れうにのこして、おかれけるにこそはべるめれ。 と申されけるとかや。 さてぞつかせ給ひにけるとなん。 みかどの御前などにては、つちみかどこのゑなどは申さで、上東門のおほぢよりはいづかた、陽明門のおほぢよりはそなたなどぞ奏すなる。 されば一條二条など申すにもおなじ心なるべし。 この上東門院の御としは、八十七までおはしましき。 6 菊の宴 このつぎのみかどは、後冷泉院と申しき。 後朱雀院の第一の皇子、御母、内侍のかみ、贈皇太后宮嬉子と聞こえき。 入道おほきおとゞの第六の御むすめ也。 上東門院のおなじ御はらからにおはします。 このみかど万寿二年きのとのうしのとしの八月三日、むまれさせ給へり。 長暦元年七月二日御元服、やがて三品の位たまはらせ給ふ。 八月十七日に東宮に立たせ給ひて、寛徳二年正月十六日、くらゐにつかせたまふ。 御とし廿一にぞおはしましゝ。 永承元年やよひのころ、いつきたち、おの<さだめさせ たまふ。 七月十日中宮立たせたまひき。 東宮の御時より、みやす所にておはしましゝ、後一条院のひめ宮なり。 神無月も過ぎて、みかどことしぞとよのみそぎせさせ給ふ。 正月十六日、御いみの月とて、たうかのせちゑもなし。 十月に関白殿の御おとうとの右のおとゞ女御たてまつりたまふ。 大二条殿と申しゝ御事なり。 おなじき四年十一月に、殿上の哥合せさせたまひき。 むらかみの御時、花山院などのゝち、めづらしく侍るに、いとやさしくおはしましゝにこそ、能因法師のいはねの松もきみがためと、一番の哥によみて侍る。 このみちのすきもの、時にあひて侍りき。 たつたの川のにしきなりけり。 といふうたも、このたびよみて侍るぞかし。 五年しはす関白殿の御むすめ、女御に参りたまふ。 四条の宮と申しゝ御事なり。 六年二月十日、きさきにたち給ふ。 皇后宮と申しき。 もとのきさきは、皇太后宮にあがりたまひき。 さ月五日、殿上のあやめ、ねあはせゝさせ給ひき。 そのうたども、哥合の中にはべるらん。 きさきの宮、さとにおはしましけるとき、良暹法師、もみぢ葉のこがれてみゆる御ふねかなといふ連哥、殿上人のつけざりけるをもみかどの御はぢにおぼしめしたりけるも、いとなさけおほく、おはしましけるにこそ。 九月九日菊のえんせさせたまひて、菊ひらけて水のきしかうばし、といふ題をつくらせ給ひけるとぞ聞こえ侍りし。 七年神無月のころ、つりどのにて御あそびあり。 ふみつくらせ給ひけるとぞ、聞こえ侍りし。 かやうの御あそび、つねの事なるべし。 7 こがねのみのり いづれのとしにかはべりけん。 九月十三夜、高陽院のだいりにおはしましけるに、たきの水音すずしくて、いはまの水に月やどして、御らんぜさせ給ひて、よませたまひける、 いはまよりながるゝ水ははやけれどうつれる月の影ぞのどけき とぞ聞こえ侍りし。 治暦元年九月廿五日に、高陽院にてこがねのもじの御経、みかど御みづからかゝせ給ひて、御八講おこなはせたまひき。 むらかみの御代のみづぐきのあとを、ながれくませ給ふなるべし。 はじめの御導師は、勝範座主の、まだ僧都など聞こえし折ぞせらるゝと聞こえはべりし、いづれの問とかいひて、論義のことのよしなども、かのむらかみの御時のをぞ、ちりばかりひきかへたるやうなりけるとぞ、聽聞しける人などつたへかたり侍りし。 もみぢのにしき、水のあや、ところも折もかなへる、みのりのにはなるべし。 三年十月十五日には 宇治の平等院にみゆきありて、おほきおとゞ、二三年かれにのみおはしまししかば、わざとのみゆき侍りて、みたてまつらせ給ふとぞうけ給はりし。 うぢはしのはるかなるに、舟よりがく人参りむかひて、宇治川にうかべて、こぎのぼり侍りけるほど、からくにもかくやとぞみえけると、〔人は〕かたり侍りし。 十六日にかへられ給ふべきに、あめにとゞまらせ給ひて、十七日にふみなどつくらせたまふ。 そのたびのみかどの御製とてうけ給はり侍りしは、 忽看烏瑟三明影暫駐鸞輿一日蹤 とかや、つくらせたまへると、ほのかにおぼえ侍る。 折にあひて、おぼしよらせ給ひけんほど、いとめでたき事と、しりたる人申しける。 そのたびぞ准三宮の宣旨は、宇治殿かうぶらせ給ひけると、聞こえさせ給ひし。 そのころにや侍りけむ。 内裏にて、わらはまひ御らんぜさせ給ひき。 かんだちめのわかぎみたち、おの<まひ給ひき。 そのなかに、六条の右のおとゞの中納言と聞こえたまひし時、そのわかぎみ胡飲酒まひ給ふを、御前にめして、御ぞたまふに、おほぢの内大臣とておはせし、座をたちて拜し給ひけるは、つちみかどのおとゞとぞ聞こえ給ひし。 舞ひたまひしは、太政のおとゞとや申しけん。 かくてしはすの十二日、廿二社にみてぐらたてまつらせ給ひき。 みかどの御なやみの事とてつぎのとし正月一日は日蝕なりしかば、廢朝とてみすもおろし、世のまつりごとも侍らざりき。 さきのおほきおとゞも御なやみとて、きさらぎのころ、皇后宮もさとに出でさせたまひき。 内には孔雀明王の法おこなはせ給ひて、大御室とておはしましゝ、仁和寺の宮御でし僧綱になり、我が御身も牛車などかうぶり給ひき。 みかど御こゝちおこたらせ給ふなるべし。 四月にはこがねしろがね、あやにしきなどのみてぐら、神がみのやしろにたてまつらせたまひき。 かゝるほどなれど、左のおとゞの御むすめの女御、皇后宮にたちたまひき。 ちゝおとゞも、関白になりたまひき。 内にも御なやみおこたらせ給はず。 おほきおとゞも、よろづのがれ給ひて、ゆづり申し給ふなるべし。 みかど世をたもたせ給ふ事、廿三年なりき。 御とし四そぢによとせばかりあまらせ給へりけるなるべし。 をとこにても女にても、みこのおはしまさぬぞくちをしきや。 御はゝないしのかみ、御とし十九にて、この御門 うみたてまつり給ひて、かくれさせたまひにき。 寛徳二年八月十一日に、皇后宮おくりたてまつられき。 国忌にて、その日はよろづのまつりごと侍らず。 むかしはきさきにたちたまはで、うせたまへれど、御門の御母なれば、のちには、やんごとなき御名とゞまりたまへり。 8 司召し このつぎの御かど後三条院にぞおはしましゝ。 まだ御子におはしましゝとき、ちゝの御門後朱雀院、さきのとしの冬よりわづらはせ給ひて、むつきの十日あまりのころ、位さらせ給ひて、みこの宮にゆづり申させたまふとばかりにて、東宮の立たせ給ふ事は、ともかくも聞こえざりけるを、能信大納言とて、宇治どのなどの御おとうとの、たかまつのはらにおはせしが、御前に参りて、二宮をいづれの僧にか付けたてまつり侍るべきと、聞こえさせ給ひけるに、坊にこそはたてめ。 僧にはいかゞつけん。 関白の春宮の事はしづかにといへば、のちにこそはとおほせられけるを、けふ立たせ給はずは、かなふまじきことに侍りと申したまひければ、さらばけふとてなん東宮は立たせ給ひける。 やがて太夫には、その能信大納言なりたまへりき。 君の御ため、たゆみなくすゝめたてまつり給へりけん。 いとありがたし。 されば白河院はまことにや。 太夫どのとぞおほせられけるとぞ人は申し侍りし。 二宮とは後三条院の御事なり。 このみかどは、後朱雀院の第二の皇子におはします。 御母大皇太后宮、禎子の内親王と申。 陽明門院この御事也。 みかど寛徳二年正月十六日に、春宮に立たせ給ふ。 御とし十二、治暦四年四月十九日位につかせ給ふ。 御年卅五、大極殿もいまだつくられねば、太政官の廰にて、御即位侍りける。 世を治めさせ給ふ事、昔かしこき御世にもはぢずおはしましき。 御身のざえは、やむごとなきはかせどもにもまさらせ給へり。 東宮におはしましける時、匡房中納言まだ下らうに侍りけるに、世をうらみて、山のなかに入りて、世にもまじらじなど申しければ、つねたふの中納言と申しし人の、われはやむ事なかるべき人なり。 しかあらば世のため身のため、くちをしかるべしといさめければ、宇治のおほきおとゞ、心得ずおぼしたりけれど、春宮に参り侍りければ、宮もよろこばせ給ひて、やがて殿上して、人のよそひなど借りてぞ、ふだにもつきける。 さてよるひる文のみちの御ともにてなん侍りける。 位につかせたまふはじめに、つかさもなくて、五位の蔵人になりたりければ、蔵人の式部大夫とてなむ。 あきたるにしたがひて、 中つかさの少輔にぞなり侍りける。 大貮實政は、春宮の御時の学士にて侍りしを、時なくおはしませば、かまへて参りよらぬことになんとおもひけるに、さすがいたはしくて、かひのかみに侍りければかの国よりのぼりて、参るまじき心がまへしけるに、くだりけるに、餞せさせたまふとて、 州民縦發甘棠詠莫忘多年風月遊 、 とつくらせたまへりけるになん。 えわすれ参らせざりける。 かんたうの詠とは、から国にくにのかみになりける人のやどれりける所に、やまなしの木のおひたりけるを、その人のみやこへかへりてのち、まつりごとうるはしく、しのばしかりければ、このなしの木きる事なかれ。 かの人のやどれりしところなり。 といふうたをうたひけるとなん。 さてみかどくらゐにつかせ給ひてのち、左中弁にくはへさせ給へと申しければ、つゆばかりも、ことはりなきことをばすまじきに、いかでかゝることをば申すぞ。 正左中弁にはじめてならむ事、あるまじきよしおほせられければ、蔵人の頭にて、資仲の中納言侍りけるが、かさねて申しけるは、さねまさ申す事なん侍る。 木津のわたりの事を、一日にても思ひしり侍らんとそうしければ、その折おもほししづめさせたまひて、はからはせたまふ御けしきなりけり。 昔さねまさは春宮のかすがのつかひにまかりくだりけり。 隆方は弁にてまかりけるに、さねまさまづふねなどまうけてわたらんとしけるを、たかかたおしさまたげて、まちさいはひするもの、なにゝいそぐぞなど、ないがしろに申し侍りければからくおもひて、かくなんと申したりけるを、おもほし出だして、このことはりあまてる御神に申しうけんとて、左中弁にはくはへさせたまひてけり。 たかゝたはかりなき心ばへにて、殿上につかさめしのふみ出だされたるを、かんだちめたち、かつ<見たまひて、なにゝなりけり。 かれになりにたり。 などのたまはせけるをたかかたつかうまつりて侍らんなどえたりがほに云ひけるを、さもあらぬものゝかみにくはゝりたるぞなど人々侍りければうちしめりて出でにけり。 つぎのあしたの陪膳は隆方が番にて侍りけるを、よも参らじ。 こと人をもよほせとおほせられけるほどに、むまのときよりさきに、たかゝた参り〔て〕侍りければ、みかどさすがにおもほしめして、日ごろは御ゆする召してうるはしく御びんかゝせ給ひて、たしかにつかせたまふ御心に、けふは待ちけれども、ほど過ぎて出でさせたまへりけるに、陪膳つかうまつりて、弁も辞し申して、こもり侍りにけりとなん。 御代のはじめつかたのことにや侍りけん。 だいり焼亡の侍りけるに、殿上人、かんだちめなども、さぶらひあひ たまはぬほどにて、南殿に出でさせたまへりけるに、御らんじも知らぬもの、すくよかにはしりめぐりて、内侍どころ出だしたてまつり、右近陣に、みこしたづね出だして、御はしに寄せて、載せたてまつりなどしければ、おのれはたれぞと問はせ給ひけるに、右少弁正家と申しければ、弁官ならば、ちかくさぶらへとぞおほせられける。 正家匡房とて、時にすぐれたるひとつがひのはかせなるに、匡房はあさゆふさぶらひけり。 これは御らんじもしられまゐらせざりけるにこそ。 つかさをさへ具して、なたいめん申しけむ、折ふしにつけて、いとかどあるこゝろばへなるべし。 となむ聞こえはべりし。 〔すべらぎの中〕第二 9 たむけ このみかど、よをしらせ給ひてのち、世の中みなおさまりて、いまにいたるまで、そのなごりになん侍る。 たけき御心におはしましながら、又なさけおほくぞおはしましける。 円宗寺の二會の講師おかせ給ひて、山三井寺ざえたかき僧などくらゐたかくのぼり、ふかきみちもひろまり侍る也。 又日吉の行幸はじめてせさせ給ひて、法花經おもくあがめさせ給ふ。 かのみちひろまる所を、おもくせさせ給ふ事は、まことにみのりをもてなさせ給ふにこそはべるなれ。 ひえの明神は、法花經まもり給ふ神におはします。 ふかきみのりをまもり給ふ神におはすれば、うごきなくまもり給はんがために、世の中の人をもひろくめぐみ、しるしをもきはめ、ほどこしたまふなるべし。 石清水の行幸、はじめてせさせ給ひけるに、物みぐるまどもの、かな物うちたるを御らんじて、みこしとゞめさせ給ひて、ぬかせ給ひ ける、御めのとの車より、いかでか我が君のみゆきに、この車ばかりはゆるされ侍らざらむと、聞こえければこのよしをやそうしけむ。 そればかりぞ、ぬかれ侍らざりけるとかや。 賀茂のみゆきには、かなものぬきたるあとある車どもぞ、たちならびて侍りける。 大極殿、さきのみかどの御とき、火事侍りしのち、十年すぐるまで侍りしに、くらゐにつかせ給ひて、いつしかつくりはじめさせ給ひて、よとせといふに、つくりたてさせ給ひにしかば、わたらせ給ひてよろこびの詩などつくられ侍りけり。 よろづの事むかしにもはぢず、おこなはせ給ひて、山のあらし、枝もならさぬ御世なれば、雲ゐにてちとせをもすぐさせ給ふべかりしを、世の中さだまりて、心やすくやおぼしめしけん。 又たかき雲のうへにて、世の事もおぼつかなく、ふかき宮の中は、よを治めさせ給ふも、わづらひおほく、いますこし、おりゐのみかどとて、御心のまゝにとやおぼしめしけむ。 位におはします事、よとせありて、白河の御かど、春宮におはしましゝに、ゆづり申させ給ひき。 御母女院御むすめの一品の宮など、具したてまつらせ給ひて、すみのえにまうでさせ給ふとて、 住よしの神もうれしと思ふらんむなしき船をさしてきたれば 、 とよませ給へる、みかどの御うたとおぼえて、いとおもしろくも聞こえ侍る御製なるべし。 おりゐのみかどにて、ひさしくもおはしまさば、いかばかりめでたくも侍るべかりしに、つぎのとしかくれさせ給ひにし、世にくちをしきとは申せども、くらゐの御時、よろづしたゝめおかせ給ひて、東宮にくらゐゆづり申させ給ひて、かくれさせ給ひぬれば、いまはかくてと、おぼしけるなるべし。 ある人の夢に、こと国のそこなはれたるをなほさんとて、このくにをば、さらせ給ふとみたる事も侍りけり。 又嵯峨に世をのがれて、こもりゐたる人の夢に、がくのこゑそらに聞こえて、むらさきの雲たなびきたりけるを、何事ぞとたづねければ、院の仏のみくにゝ、むまれさせ給ふとみたりけるに、院かくれさせ給ひぬと、世の中に聞こえけるにぞ、まさしきゆめと、たのみはべりけるとなむ。 10 みのりのし むかしみこの宮におはしましゝ時より、のりのみちをもふかくしろしめされけり。 勝範座主といふ人、参り給へりけるに、真言止観かねまなびたらん僧の、俗のふみも心得たらん、一人たてまつれ。 さるべき僧のおのづからたのみたるがなきに、とおほせられければ、顯密かねたるは、つねの事にてあまた侍り。 からの文の心しりたる物こそ ありがたく侍れ。 さるにても、たづねて申し侍らんとてかへりて薬智といふ僧をぞ奉られけるに、わざととりつくろひて、車などをもかされざりけるにや。 かりばかまにのりたる僧の、座主のもとよりとて、まゐりたりければ、めしよせて、みすごしにたいめせさせ給ひけるに、まきゑの御すゞりのはこのふたに、止観の一のまきをおきて、さしいださせ給ひて、よませてとはせ給ひければ、あきらかにときゝかせまゐらせけり。 眞言の事は、ふみはなくてたゞとはせ給ひければ、ことの有さま、又申しのべなどしけり。 そのゝち、俗の文のことを、おほせられければ、法文にあはせつゝ、それもあへしらひ申しけり。 すゑつかたに、極楽と兜率と、いづれをかねがふと、の給はせければ、いづれをものぞみかけ侍らず。 たゞ日ごとに法花經一部兩界などおこなひ侍るを、おこたらでみろくの世までし侍らばやと思ひ給へて、大鬼王の、いのちながきにて、おこなひこの定にしつゝ侍らんとぞねがひ侍るとぞ申しける。 須弥山のほとりに、しかある鬼のおこなひなどするありとみゆる經の侍るとぞ、のちにたれとかや申され侍りける。 鬼は化生のものなれば、むまれて程なくおこなひなどしつきて、おこたるまじき心に申しけるとぞ。 さて又おほせられけるは、御いのりなど、とりたててせんこともかなひがたければ、さしたることもおほせられつけず。 たゞ心にかけて、おこなひのついでにいのりて、おだやかにたもたん事を、心にかくべきなりとぞ、の給はせける。 くらゐにつかせ給ひて、たづねさせ給ひければ、薬智は身まかりにけり。 弟子なりける法師をぞ、僧綱になさせ給ひける。 おほうへの法橋〈 顕耀 〉とかいひけるとなん。 春宮におはしましける時、よのへだておほくおはしましければ、あやうくおぼしけるに、検非違使の別當にて、経成といひし人、なほしにかしわばさみにて、やなぐひおひて中門の廊にゐたりける日は、いかなることのいできぬるぞとて、宮のうちの女房よりはじめて、かくれさわぎけるとかや。 おはしましける所は、二条東洞院なりければ、そのわたりを、いくさのうちめぐりて、つゝみたりければ、かゝる事こそ侍れなど申しあへりける程に、別當のまゐりたりければ、東宮も御なほしたてまつりなどして、御よういありけるに、別當検非違使めして、をかしの者はめしとりたりやと、とはれければ、すでにめして侍りと、いひければこそ、ともかくも申さで、まかりいでられけれ。 おもくあやまちけるものおはしますちかきあたりにこもりゐたりければ、うちつゝみたりけるに、もし春宮ににげいる事もやあるとて、まゐりたりけり。 かやうにのみあやぶまれ給ひて、東宮をもすてられやせさせ給はんずらんと おもほしけるに、殿上人にて衛門権佐ゆきちかときこえし人の相よくする、おぼえありて、いかにもあめのしたしろしめすべきよし申しけるかひありて、かくならびなくぞおはしましゝ。 このみかどの御母陽明門院と申すは、三条院の御むすめなり。 後朱雀院、東宮の御時より御息所におはしまして、このみかどをば、廿二にてうみたてまつらせ給へり。 長元十年二月三日、皇后宮にたち給ふ。 御とし廿五、其の時江侍従たゝせ給ふべきときゝて、 むらさきの雲のよそなる身なれどもたつと聞くこそうれしかりけれ となんよめりける。 寛徳二年七月廿一日、御ぐしおろさせ給ふ。 治暦二年二月、陽明門院ときこえさせ給ふ。 御哥などこそ、いとやさしくみえ侍るめれ。 後朱雀院にたてまつらせ給ふ、 いまはたゞ雲井の月をながめつゝめぐり逢ふべき程も知れず などよませ給へる。 むかしにはぢぬ御歌にこそはべるめれ。 この女院の御母、皇太后宮妍子と申すは、御堂の入道殿の第二の御むすめなり。 11 紅葉のみかり 白河院は後三条院の一の御子におはしましき。 その御母贈皇后宮茂子と申す。 権大納言能信の御むすめとて、後三条院の春宮におはしましゝ、御息所にまゐり給へりき。 まことには閑院の左兵衛督公成の中納言のむすめ也。 この中納言の御いもうとは、能信の大納言の北の方なり。 このみかど天喜元年みづのとのみ六月廿日むまれさせ給ひ、延久元年四月廿八日に東宮にたゝせ給ふ。 御とし十七、同四年十二月八日、位につかせ給ふ。 御とし廿にやおはしましけん。 くらゐゆづりたてまつらせ給ひて、つぎのとしの五月に後三条院かくれさせ給ひにしかば、國のまつりごと、廿一の御としより、みづからしらせ給ひて、位におはします事十四年なりしに、卅四にて位おりさせ給ひてのち、七十七までおはしまししかば、五十六年、くにのまつりごとをせさせ給へりき。 延喜のみかどは卅三年たもたせたまへりしかども、位の御かぎり也。 陽成院は八十一までおはしましゝかども、院ののちひさしくて、世をばしらせ給はざりき。 この院はちゝの太上天皇世をしらせ給ひし事、いくばくもおはしまさず。 さきの御なごりにて、一の人のわがまゝにおこなひ給ふもおはせねば、わかくよりよをしらせ給ひて、院のゝちは、堀河院、鳥羽院、さぬきの院、御こうまごひひご、うちつゞき三代の* みかどのみよ、みな法皇の御まつりごとのまゝ也。 かくひさしく世をしらせ給ふ事は、むかしもたぐひなき御ありさま也。 後二条のおとゞこそ、おりゐのみかどのかどに、車たつるやうやはあるなどのたまはせける。 それかくれ給ひてのちは、すこしもいきおとたつる人やは侍りし。 このみかど、かん日にむまれさせ給ひたるとぞきこえ侍りし。 又まことにやありけん。 御めのとの二位も、かん日にまゐりそめられたりけるとかや。 されどもすゑのさかえ給ふこと、このころまでいやまさりにおはすめり。 あしき日まゐれりともきこえざりし。 今ひとりの御めのとの、ともつなのぬしのみはゝにていますがりしは、日野三位のむすめにて、世おぼえも事の外にきこえ給ひしかども、みかどの五におはしましゝとし、かのめのと、かくれられにしかば、二位のみならびなくおはすめり。 すぐせかしこければ、あしき日もさはりなかるべし。 しかあらざらん人は、いかゞそのまねもせん。 従二位親子のざうしあはせとて、人々よき哥どもよみて侍るも、いとやさしくこそきこえ侍りしか。 このみかどは、御心ばへたけくも、やさしくもおはしましけるさまは後三条院にぞにたてまつらせ給へりける。 さればゆゝしく事<しきさまにぞ、このませ給ひける。 白河の御てらも、すぐれておほきに、やおもてこゝのこしの塔などたてさせ給ひ、百躰の御仏などつねは供養せさせ給ふ。 百たいの御あかしを、一どにほどなくそなふる、ふりうおぼしめしよりて、前栽のあなたにものゝぐかくしおきて、あづかり百人めして、一度にたてまつらせ給ひけるに、事おこなひける人、心もえで少々まつともしなどしたりけるをも、むづからせ給ひて、さらに一どにともされなどせられけり。 後三条院は、五壇御修法せさせ給ひても、くにやそこなはれぬらんなどおほせられ、円宗寺をも、こちたくつくらせ給はず。 漢の文帝の露臺つくらんとし給ひて、國たへじなどいひてとゞめ給ひ、女御愼夫人には、すそもひかせず。 御帳のかたびらにもあやなぎをせられける御心なるべし。 おの<時にしたがふべきにやあらん。 白河院は御ゆみなども上手にておはしましけるにや。 池の鳥をいたりしかば、故院のむづからせ給ひしなど、おほせられけるとかや。 まだ東宮のわか宮と申しける時より、和哥をもおもくせさせ給ひて、位にても後拾遺あつめさせ給ふ。 院のゝちも金葉集えらばせ給へり。 いづれにも、御製どもおほく侍るめり。 承保三年十月廿四日、大井川にみゆきせさせ給ひて、嵯峨野にあそばせ給ひ、みかりなどせさせ給ふ。 そのたびの御哥、 大井川ふるきながれを尋きてあらしの山の紅葉をぞみる などよませ給へる。 むかしの心ちして、いとやさしくおはしましき。 承暦二年四月廿八日、殿上の哥合せさせ給ふ。 判者は六条右のおとゞ、皇后宮太夫と申しし時せさせ給ひき。 哥人ども時にあひ、よき哥もおほく侍るなり。 哥のよしあしはさる事にて、ことざまのぎしきなどえもいはぬ事にて、天徳哥合、承暦哥合をこそは、むねとある哥會には、よのすゑまで思ひて侍るなれ。 又から國の哥をも、ゝてあそばせ給へり。 朗詠集にいりたる詩のゝこりの句を、四韻ながらたづねぐせさせ給ふ事も、おぼしめしよりて、匡房中納言なん、あつめられ侍りける。 その中にさ月のせみのこゑは、なにの秋をおくるとかやいふ詩の、ゝこりの句をえたづねいださゞりける程に、ある人これなんとて、たてまつりたりければ、江帥み給ひて、これこそこのゝこりとも、おぼえ侍らねとそうしけるのちに、仁和寺の宮なりける手本の中に、まことの詩、いできたりけるなどぞきこえ侍りし。 又本朝秀句と申すなる文のゝちしつがせ給ふとては、法性寺入道おとゞにえらばせたてまつり給ふとぞうけ給はりし。 さてそのふみの名は、續本朝秀句と申して、みまき、なさけおほくえらばせ給へるふみ也。 五十の御賀こそめでたくは侍りけれ。 康和四年三月十八日、堀川の御かど、鳥羽に行幸せさせ給ひて、ちゝの法皇の五十の御よはひを、よろこび給ふ也。 童舞三人、胡飲酒、陵王、納蘇利なん侍りける。 その中に胡飲酒は源氏のわかぎみなんまひ給ひし。 袖ふり給ふさま、天童のくだりたるやうにて、このよの人のしわざともなく、めもあやになん侍りける。 御ぞかつかり給へるをば、御おやの大納言とて、太政のおほい殿おはせしぞ、とりてはいし給ひける。 そのわかぎみは、なかの院の大將と聞え給ひしなるべし。 12 釣りせぬうら< この御時ぞ、むかしのあとをおこさせ給ふ事はおほく侍りし。 人のつかさなどなさせ給ふ事も、よしありて、たはやすくもなさせたまはざりけり。 六条の修理太夫顯季といひし人、よおぼえありておはせしに、敦光といひしはかせの、など殿は宰相にはならせ給はぬぞ。 宰相になるみちはなゝつ侍るなり。 中に三位におはするめり。 又いつくに、をさめたる人も、なるとこそはみえ侍れといひければ、あきすゑも、さおもひて、御氣色 とりたりしかば、それも物かくうへの事也と、おほせられしかば、申すにもおよばでやみにきとぞいはれ侍りける。 又顯隆の中納言といひし人、よにはよるの關白などきこえしも、弁になさんと思ふに、詩つくらではいかゞならん。 四韻詩つくるものこそ弁にはなれと、おほせられければ、おどろきてこのみなどせられけり。 いづれの山とか。 御いのりのしやうおこなはんとおぼされけるに、たゞ御ふせばかり給はんは、ねんごろにおぼしめすほいなかるべし。 あざりなどよせおかんこそかひあるべきに、さすがさせる事なくて、さる事もたはやすかるべしと、おぼしわづらはせ給へるを、あきたかの中納言しか侍らは、たゞこのたび阿闍梨の宣旨をくださせ給ひて、ながくよらせらるゝ事は、なくて候へかしと、申されければ、まことにしかこそあるべかりけれ。 そのこのあきよりといひし中納言をも、夢に手をひかれてゆくとみたりし物をなどおほせられて、ことの外におもほしめせりける人にて、ふみのはこなどひきさげなどする事をも、下らうなどめして、もたせさせ給ふなど、おもくおもほしめせりけるに、五位藏人にて、ぢもくの目録とかそうせられけるに、御らんじて、あらゝかにさかせ給ひて、かへしたびければ、なに事にかと、おそれ思ひて、まかりいでゝ、そのゝち父の中納言まゐりたりけるにぞ、大外記もろとをは、津の國の公文も、まだかむがへぬものをば、いかで目録にいれて、たてまつりけるぞと、おほせられなどして、さやうの事と、かくなんおはしましける。 法文などをもまことしくならはせ給ひけるにこそ。 良眞座主に、六十巻といひて、法花経の心とける文うけさせ給へりけるに、西京にこもりゐ給ひて、ひえの山の大衆のゆるさゞりければ、さてゐ給へりける所、とぶらはせ給ひけり。 西院のほとけ、をがませ給ふついでとてぞ、御幸ありける。 みのりのためも、人のためも、面目ありけるとなんきゝ侍りし。 金泥の一切経かゝせ給へるももろこしにも、たぐひすくなくやときこえし。 そのゝちこそ、このくにゝも、あまたきこえ侍れ。 この院のしはじめさせ給へるなり。 又いきとしいけるものゝいのちをすくはせ給ひて、かくれさせ給ふまでおはしましき。 さ月のさやまに、ともしするしづのをもなく、秋の夕ぐれうらにつりするあまもたえにき。 おのづからあみなどもちたるあまのとまやもあれば、とりいだしてたぐなはのゝこるもなくけぶりとなりぬ。 もたる ぬしはいひしらぬめどもみて、つみをかぶる事かずなし。 神のみくりやばかりぞゆるされて、かたのやうにそなへて、そのほかは、殿上のだいばんなども六さいにかはる事なかりけり。 位におはしましゝ時は、中宮の御事なげかせ給ひて、おほくのみだうどもつくらせ給ひき。 院ののちは、その御むすめの郁芳門院かくれさせ給へりしこそ、かぎりなくなげかせ給ひて、御ぐしもおろさせ給ひしぞかし。 四十五六の程にや、おはしましけん。 御なげきのあまりに、世をばのがれさせ給へりしかども、御受戒などはきこえさせ給はで、仏道の御名などもおはしまさゞりけるにや。 教王房ときこえし山の座主、御いのりのさいもんに、御名の事申されけるに、いまだつかぬとおほせられければ、その心をえはべりてこそ、申しあげ侍らめと申されけるとかや。 そのゝちひさしくよををさめさせ給ひしほどに、七月七日にはかに御心ちそこなはせ給ひて、御霍乱などきこえしほどに、月日もへさせ給はで、やがてかくれさせ給ひにしかば、そらのけしきも、つねにはかはりて、雨風のおともおどろ<しく、日をかさねてよのなげきもうちそへたる心ちして侍りき。 そのうたとてつたへ聞侍りし、 又もこん秋をまつべき七夕のわかるゝだにもいかゞ恋しき。 とかや。 鳥羽院、はなぞのゝおとゞ、攝政殿などの、わかき御すがたに御ぞどもそめさせ給ひて、御いみのほど、仏の道のこと、ゝぶらひ申させ給ふ。 いづれの程に、たれかよませ給ひけるとかや。 いかにしてきえにし秋のしら露をはちすの上の玉とみがゝん。 といふ御哥侍りけるとなん。 このみかどの御母は、春宮のみやすどころとて、うせさせ給へれば、延久三年五月十八日、従二位おくりたてまつらせ給ふ。 位につかせ給ひて、同五年五月六日、皇后宮おくりたてまつらせ給ふ。 國忌みさゝきなどおかれて、おなじき日、よしのぶの大納言殿、おほきおとゞ、おほきひとつのくらゐおくらせ給ふ。 御息所の御母、藤原祕子と申ししにも、おおきひとつの位をおくり給ふ、これはきびなかのつかさ、知光のぬしのむすめなり。 13 たまづさ 堀川のみかどは、白河の法皇の第二の御子におはしましき。 その御母、贈太皇太后宮賢子中宮なり。 關白左大臣師實のおとゞの御むすめ、まことには、右大臣源顯房のおとゞの御むすめなり。 このみかど、承暦三年つちのとのひつじ二月十日むまれさせ給へり。 應徳三年十一月廿六日、位につかせ給ふ。 御とし八、このみかど御心ばへあてにやさしくおはしましけり。 そのなかに、ふえをすぐれてふかせ給ひて、あさゆふに御あそびあれば、たきぐちの、なだいめんなど申すも、てうしたかうとて、あかつきになるをりもありけり。 その御時、笛ふき給ふ殿上人も、ふえのしなどみなかの御時給はりたるふみなりなどいひて、すゑの世までもちあはれ侍るなる。 時元といふ笙のふえふき、御おぼえにて夏はみづし所にひめしてたまふ。 おのづからなきをりありけるには、すずしき御あふぎなりとて、給はせなどせさせ給ひけり。 宗輔のおほきおとゞ、このゑのすけにおはしけるほどなど、夜もすがら御ふえふかせ給ひてぞ、あかさせ給ひける。 哥よむをとこ女、よみかはさせて御らんじける。 又女のうらみたる哥よみて、男のがりやりなどしたる、堀川院の艶書合とて、すゑの世までとゞまりて、よき哥はおほく撰集などにいれるなるべし。 ふたまにてぞ、かうじてきこしめしける。 又時のうたよみ十四人に、百首哥おの<にたてまつらせ給ひけり。 をとこ女僧など、哥人みな名あらはれたる人々なり。 題は匡房の中納言ぞたてまつりける。 このよの人、哥よむなかたてには、それなんせらるなる。 尊勝寺つくられ侍りけるころ、殿上人に、花慢あてられ侍りけるに、俊頼哥人にておはしけるに、百首哥あんぜんとすれば、いつもじには花慢とのみおかるゝときかせ給ひて、ふびんの事かなとて、のぞかせ給ひけるとぞ、きこえ侍りし。 いづれのころにかありけん。 南殿か仁壽殿かにて、御らんじつかはしけるに、たれにか有りけん。 殿上人のまゐりて、殿上にのぼりてゐたりければ、 雲のうへに雲のうへ人のぼりゐぬ。 とおほせられけるに、俊頼のきみ、 しもさぶらひにさぶらひもせで 、 とつけられたりけるを、ことばとゞこほりたりときこゆれど、心ばせもあることゝきこゆめり。 哥のふぜい、いたづらにうする事なりとて、連哥をば、おほかたせられざりけりときこえ侍りしに、金葉集にぞいとしもなき、おほくあつめられたる。 いたづらにいできたるを、をしまれ侍るなるべし。 基俊のきみが連哥は、つきくさのうつしのもとのくつわむし、などしたるをいふ也。 又からかどやこのみかどともたゝくかな。 ゝど侍りけり。 木工頭俊頼も、高陽院の大殿のひめ君と聞え給ひし時、つくりたてまつり給へりとかきこゆるわかのよむべきやうなど侍るふみには、道信の中將の連哥、伊勢大輔が、こはえもいはぬ花の色かな。 とつけたる事などいというなることにこそ侍なれば、連哥をもうけぬことに、ひとへにし給ふともきこえず。 おほかたは、みる事、きくことにつけて、かねてぞよみまうけられける。 當座によむことはすくなく、疑作とかきてぞ侍つる。 さて侍りけるにや。 家集に、きゝときゝ給へりけると、おぼゆることをよみあつめられ侍るめり。 これは連哥のついでに、うけたまはりしことを申し侍るになむ。 さてこの御時に、みやす所は、これかれさだめられ給へりけれども、御をばの前齋院ぞ女御にまゐり給ひて、中宮にたち給ひし。 ことのほかの御よはひなれど、をさなくよりたぐひなくみとりたてまつらせ給ひて、たゞ四宮をとかや、おぼせりければにや侍りけん。 まゐらせ給ひけるよも、いとあはぬ事にて、御車にもたてまつらざりければ、あか月ちかくなるまでぞ、心もとなく侍りける。 とばの御かどの御母の女御どのもまゐり給ひて、院もてなしきこえさせ給へば、はなやかにおはしましゝかども、中宮はつきせぬ御心ざしになん、きこえさせ給ひし。 女御うせさせ給ひてのころ、 あづさ弓はるの山べのかすみこそ恋しき人のかたみ成りけれ。 とよませ給へりけるこそ、あはれに御なさけおほくきこえ侍りしか。 すゑのよのみかど、廿一年までたもたせ給ふ、いとありがたき事なり。 時の人をえさせ給へる、まことにさかりなりけり。 一のかみにて堀河の左のおとゞ、物かく宰相にて通俊、匡房、藏人頭にて季仲あり。 むかしにはぢぬ世也。 などぞおほせられける。 みち<のはかせも、すぐれたる人、おほかる世になむ侍りし。 このみかど、みそぢにだにみたせ給はぬ、よのをしみたてまつる事、かぎりなかるべし。 その御ありさま、ないしのすけさぬきとかきこえ 給ひし、こまかにかゝれたるふみ侍りとかや。 人のよまれしを、ひとかへりはきゝ侍りし、このなかにも御らんじてやおはしますらん。 同五年七月廿三日、女御ときこえ給ひて、四位の位給はり給ふ。 承保元年六月廿日、きさきにたち給ふ。 御とし十八におはしましき。 十二月廿六日前坊うみたてまつらせ給ふ。 三年四月五日、郁芳門院むまれさせ給ひて、そのゝち、二条の大ぎさきの宮、うみたてまつらせ給へり。 御年廿三にて、このみかどはうみたてまつらせ給へり。 應徳元年九月廿三日、三条の内裏にて、かくれさせ給ひにき。 御とし廿八とぞきこえ給ひし。 村上の御母、なしつぼにてうせ給ひてのち、内にてきさきかくれ給ふ事、これぞおはしましける。 廿四日に備後守經成のぬしの四条高倉の家に、わたしたてまつりて、神な月の一日ぞ、とりべのにおくりたてまつり、けぶりとのぼり給ひにし。 かなしさたとふべきかたなし。 まだ卅にだにたらせ給はぬに、おほくの宮たちうみおきたてまつり給ひて、上の御おぼえたぐひもおはしまさぬに、はかなくかくれさせ給ひぬれば、世の中かきくらしたるやうなり。 白河のみかどは位の御ときなれば、廢朝とて、三日はひの御ざのみすもおろされ、よのまつりごともなく、なげかせ給ふ事、からくにの李夫人楊貴妃などのたぐひになんきこえ侍りし。 御なげきのあまりに、おほくの御堂御仏をぞつくりてとぶらひたてまつらせ給ひし。 ひえの山のふもとに、円徳院ときこゆる御堂の御願文に、匡房中納言の、七夕のふかきちぎりによりて、驪山の雲に眺望する事なかれ。 とこそかきて侍るなれ。 いひむろには勝楽院とて御堂つくりて、又のとしのきさらぎに、くやうをせさせ給ひき。 八月には法勝寺の内に、常行堂つくらせ給ひて、仁和寺入道宮して供養せさせ給ふ。 同日醍醐にも円光院とてくやうせさせ給へり。 九月十五日、白川の御寺にて御仏事せさせ給ふ。 廿二日御正日に、同J御寺にておこなはせ給ふ。 事にふれてかなしきこと、みたてまつる人まで、むねあかぬ時になんあるべき。 あさなゆふなの御心ち、みかきのやなぎもいけのはちすも、むかしをこふるつまとぞなり侍りける。 寛治元年しはすのころ、皇太后宮をおくりたてまつらせ給ふ。 いにしへもいまも、 かゝるたぐひなんおはしましける。 15 白河の花の宴 鳥羽院は堀川の先帝の第一の皇子、御母贈皇太后宮苡子と申しき。 實季大納言の御むすめなり。 このみかど康和五年みづのとのひつじ、正月十六日むまれさせ給へり。 八月十七日春宮にたち給ひて、嘉承二年七月十九日位につかせ給ふ。 天永四年正月一日御元服せさせ給ひき。 十六年位におはしまして、一の御子にゆづり申させ給ひき。 白河の法皇のおはしまししかぎりは、世の中の御まつり事なかりしに、かの院うけさせ給ひてのちは、ひとへに世をしらせ給ひて、廿八年ぞおはしましゝ。 待賢門院又女院の御かたとて、三院の御かた、いとはなやかにて、わか宮姫宮たち、みなひとつにおはしましき。 本院新院、つねにはひとつ御車にて、みゆきせさせ給へば、法皇の御車なれど、さきに御随身ぐせさせ給へりき。 保安五年にや侍りけむ。 きさらぎにうるう月侍りし年、白河の花御らんぜさせ給ふとて、みゆきせさせ給ひしこそ、世にたぐひなきことには侍りしか。 こがの太政のおとゞも御むまにて、それはなほしにかうぶりにてつかうまつり給へり。 院の御車のゝちに、待賢門院ひきつゞきておはします。 女房のいだしぐるまのうちいで、しろがねこがねにしかへされたり。 女院の御車のしりには、みなくれなゐの十ばかりなるいだされて、くれなゐのうちぎぬ、さくらもえぎのうはぎ、あか色のからぎぬに、しろがねこがねをのべて、くわんのもんおかれて、地ずりの裳にも、かねをのべて、すはまつるかめをしたるに、裳のこしにもしろがねをのべて、うはざしは、玉をつらぬきてかざられ侍りける。 よしだの齋宮の御はゝや、のり給へりけんとぞきこえ侍りし。 又いだし車十兩なれば、四十人の女房おもひ<によそひども心をつくして、けふばかりはせいもやぶれてぞ侍りける。 あるはいつゝにほひて、むらさき、くれなゐ、もえぎ、やまぶき、すわう、廿五かさねたるに、うちぎぬ、うはぎもからぎぬ、みなかねをのべて、もんにおかれ侍りけり。 あるはやなぎさくらをまぜかさねて、うへはおり物、うらはうち物にして、ものこしには、にしきに玉をつらぬきて、玉にもぬける春の柳か。 といふうた、柳さくらをこきまぜて、といふうたの心也。 もはえびぞめをちにて かいふをむすびて、月のやどりたるやうに、かゞみをしたにすかして、花のかゞみとなる水は、とせられたり。 からぎぬには、日をいだして、たゞはるのひにまかせたらなん。 といふうたの心也。 あるはからぎぬににしきをして、桜の花をつけて、うすきわたを、あさきにそめてうへにひきて、野べのかすみはつつめども、といふ哥の心なり。 はかまもうちばかまにて、はなをつけたりけり。 このこぼれてにほふは、七の宮など申御母のよそひとぞきゝ侍りし。 御車ぞひの、かりぎぬはかまなどいろ<のもんおしなどして、かゞやきあへるに、やりなはといふものも、あしつをなどにやよりあはせたる。 色まじはれるみすのかけをなどのやうに、かな物ふさなどゆら<とかざりて、なに事もつねなくかゞやきあへり。 攝政殿は御車にて、随身などきらめかし給へりしさま、申すもおろかなり。 法勝寺にわたらせ給ひて、花御らんじめぐりて、白河殿にわたらせ給ひて、御あそびありて、かんだちめのざに、御かはらけたび<すゝめさせ給ひて、おの<哥たてまつられ侍りける。 序は花ぞのゝおとゞぞかき給ひけるとなんうけ給はり侍りし。 新院の御製など集にいりて侍るとかや。 女房のうたなどさまざまに侍りけるとぞきゝ侍りし。 よろづよのためしとみゆる花の色をうつしとゞめよ白河の水 などぞよまれ侍りけるときゝ侍りし。 みてらの花、雪のあしたなどのやうに、さきつらなりたるうへに、わざとかねてほかのをもちらして、庭にしかれたりけるにや、うしのつめもかくれ車のあともいるほどに花つもりたるに、こずゑの花も、雪のさかりにふるやうにぞ侍りけるとぞ、つたへうけ給はりしだに、おもひやられ侍りき。 まいてみ給へりけん人こそおもひやられ侍れ。 そのゝちいづれのとしにか侍りけん。 雪の御幸せさせ給ひしに、たび<はれつゝ、けふ<ときこえけるほど、にはかに侍りけるに、西山ふなをかのかた、御らんじめぐりて、法皇も院もみやこのうちには、ひとつ御車にたてまつりて、新院御なほしに、くれなゐのうち御ぞいださせ給ひて、御むまにたてまつりけるこそ、いとめづらしくゑにもかゝまほしく侍りけれ。 二条の大宮の女房、いだし車に、菊もみぢの色々なるきぬどもいだしたるに、うへしたに、しろきゝぬをかさねて、ぬいあはせたれば、ほころびはおほく、ぬひめはすくなくて、あつきぬのわたなどのやうにて、ごほれいでたるが、きくもみぢのうへに、雪のふりおけるやうにて、いつくるまたてつゞけ侍りけるこそいとみ所おほく侍りけれ。 このみかど御心はいといたく すかせ給ふ事はなくて、御心ばへうるはしく、御みめもきよらに、功徳の道たうしも御いのりをのみせさせ給ひき。 御ふえをぞ、えならずふかせ給ひて、堀川院にも、おとらずやおはしましけん。 樂などもつくしてしらせ給ふ。 御ふえのねも、あいつかはしく、すずしきやうにぞおはしましける。 きんのり、きんよしなど申しおほいどの、これざね、なりみちなど申す中納言などみな御弟子なりとぞきゝ侍りし。 れいならぬ御心ち、ひさしくならせ給ひて、世など心ぼそくおぼしめしけるにや。 徳大寺の左のおとゞにや。 花をりて給はすとて、御哥侍りける、 心あらばにほひをそへよ桜花のちのはるをばいつかみるべき となんよませ給ひける。 16 鳥羽の御賀 この院世をしらせ給ひて、ひさしくおはしましゝに、よろづの御まつりごと、御心のまゝなるに、中院のおとゞの、大將になり給ひしたび、人々あらそひて、さぬきの院、位におはしましゝかば、しぶらせ給ひしにこそ。 このゑのみかど、東宮にてまなめしける夜、にはかに内へ御幸とて、殿上人せう<かぶりして、よにいりて、きたの陣に御車たてさせ給ひて、権大納言大將にまかりならん事、わざと申しうけに、まゐりたると申しいれさせ給へりしかば、さてこそやがてその夜なり給ひけれ。 さねよしの大將、下臈なれども、もとよりなりゐ給へれば、かみにはくはへじと、おさへ申し給ふ。 院にはさきに下臈をこして、なさせ給ひしかども、なほいとほしみいできて、なさんとおぼしめしかためけるに、うちのおさへさせ給へば、としごろはかゝることもなきに、いと心よからずおぼしめして、みゆきあるなりけり。 とかく申させ給ひ、めしておほせをくだされなどする程に、御車にて、春の夜あけなんとす。 といふ朗詠、又十方仏土の中には、などいふ文を詠ぜさせ給ひて、佛のみなたび<となへさせ給ひける、きく人みな、なみだぐましくぞ思あへりけるとなむきこえ侍りし。 かくてつぎのとし御ぐしおろさせ給ひき。 御とし四十にだにみたせ給はねども、としごろの御ほいも、又つゝしみのとしにて、年比は御随身なども、とゞめさせ給ひて、ぐせさせ給はねども、白河のおほゐのみかどどのゝむかひに、御堂つくらせ給ひて、くやうせさせ給ふに、兵仗 かへし給はらせ給ひて、めづらしく太上天皇の御ふるまひなり。 うちつゞきやはたかもなど御幸ありて、三月十日ぞ鳥羽殿にて御ぐしおろさせ給ふ。 すこしも御なやみもなくて、かくおもほしたつ事を、よの人なみだぐましくぞ思ひあへる。 御名は空覚とぞきこえさせ給ひし。 五十日御仏事とてせさせ給ふほど、おほぢにありくいぬや、きつみてありく車うしなどまでやしなはせ給ひ、御堂の池どものいをにも、庭のすゞめからすなどかはせ給ふ。 山々寺々の僧にゆあむし、御ふせなどはいひしらず、たゞのをりも、かやうの御くどくは、つねの御いとなみなり。 人のたてまつるもの、おほくは僧のふせになんなりける。 白河院はおはしますところ、きら<とはきのごひて、たゞうちの見參とて、かみやかみにかきたる文の、ひごとにまゐらするばかりを、みづしにとりおかせ給ひて、さらぬ物は御あたりにみゆるものなかりけり。 おの<御ありさまかはらせ給ひてなんきこえ侍りし。 仁平二年三月七日、このゑのみかど、鳥羽院にみゆきせさせ給ひて、法皇の五十の御賀せさせ給ひき。 等身の御仏、壽命經もゝまき、たまのかたちをみがき、こがねのもじになむありける。 僧はむそぢのかず、ひきつらなりて、仏をほめたてまつり、まひ人はちかきまぼりのつかさ、雲のうへ人あをいろのわきあけに、柳さくらのしたがさね、ひらやなぐひのすいしやうのはず、日のひかりにかゞやきあへり。 つぎの日も、なほとゞまらせ給ひて、法皇をがみたてまつり給ふ。 池のふね、はるのしらべとゝのへて、みぎはにこぎよせて、おの<おりて、左右のまひの袖ふりき。 青海波、左のおとゞの御子、右大將のまごの中將の公達まひ給ふ。 はてには、左大將の御子とて、胡飲酒、わらはまひし給ふ。 ふるきあと、いへのことなれば、かづかり給ふ御ぞ、ちゝのおとゞとりて、袖ふり給ひて、庭におりて、よろこび申のやうに、さらにはいし給ふに。 ゆふひのかげにくれなゐのいろかゞやきあへり。 そのわかぎみは、まことには御わらは名、くま君とて、前中納言もろなかのこを大將殿の子にし給へるとぞ。 このわかぎみのはゝは、鳥羽院の御子たち、うみたてまつられたる人とぞ、きゝたてまつりし。 かやうにはなやかに侍りしほどに、 なかふたとせばかりやへだて侍りけん。 近衛のみかど、かくれさせ給ひしかば、おぼしめしなげきて、鳥羽にこもりゐさせ給ひて、としのはじめにも、もんろうなどさして、人もまゐらざりき。 御とし五十四までぞ、おはしましける。 御母贈皇太后宮は、承徳二年十一月に内にまゐり給ひて、康和五年正月に、このみかどうみおきたてまつりて、かくれさせ給ひにしかば、きさきおくりたてまつりたまへり。 17 春のしらべ 仁和寺の女院の御はらの一の御子は、位おりさせ給ひて、新院ときこえさせ給ひし。 のちにさぬきにおはしましゝかば、さぬきのみかどとこそ聞えさせ給ふらめな。 御母女院は中宮璋子と申しき。 公實大納言の第三の女なり。 鳥羽院の位におはしましゝとき、法皇の御むすめとて、まゐり給へりき。 此みかど元永二年己亥五月十八日に、むまれさせ給へり。 保安四年正月廿八日に、位につかせ給ふ。 大治四年御元服せさせ給へり。 御とし十一、法性寺のおほきおとゞの御むすめ、女御にまゐり給ひて、中宮にたち給ひし、皇嘉門院と申御事也。 時の攝政の御女、きさきの宮におはします。 白河院、鳥羽院、おやおほぢとておはします。 御母女院ならぶ人なくておはしましゝかば、御せうとの侍従中納言さねたか、左衛門督みちすゑ、右衛門督さねゆき、さ兵衛督さねよしなど申して、みかどの御をぢにて、なほしゆるされて、つねにまゐり給ふ。 そのきんだち近衛のすけにて、あさゆふさぶらひ給ふ。 みかどの御心ばへたえたる事をつぎ、ふるきあとをゝこさむとおもほしめせり。 をさなくおはしましけるより哥をこのませ給ひて、あさゆふさぶらふ人々に、かくしだいよませ、しそくの哥、かなまりうちてひゞきのうちによめなどさへおほせられて、つねは和哥の會ぞせさせ給ひける。 さのみうち<にはやとて、花の宴せさせ給ひけるに、松にはるかなるよはひをちぎる。 といふ題にてかんだちめ束帯にて、殿よりはじめて、まゐり給ひけり。 まづ御あそびありて、關白殿ことひき給ふ、はなぞのゝおとゞ、そのとき右大臣とてびはひき給ふ。 中院の大納言さうのふえ、右衛門佐季兼にはかに殿上ゆるされて、ひちりきつかうまつりけり、拍子は中御門大納言宗忠、ふえは成通さねひらなどの程にやおはしけん。 すゑなりの中將、わごんなどとぞきゝ侍りし。 序は堀川の大納言師頼ぞかき給ひける。 講師は左大弁さねみつ、御製のはたれにか侍りけん。 つねの御哥どもは、あさゆふの事なりしに、つねの御製などきこえ侍りしに、めづらしくありがたき御哥ども、おほくきこえ侍りき。 遠く山のはなをたづぬといふ事を、 たづねつる花のあたりに成りにけり匂ふにしるし春の山かぜ などよませ給へりしは、よの末にありがたくとぞ人は申し侍りける。 まだをさなくおはしましゝとき、 こゝをこそ雲のうへとは思ひつれ高くも月のすみのぼる哉。 などよませ給へりしより、かやうの御哥のみぞおほく侍るなる。 これらおのづからつたへきこえ侍るにこそあれ。 天承二年三月にや侍りけむ。 臨時客せさせ給ひき。 りんじのまつりのしがくのさまになん侍りける。 清凉殿のみすおろして、まごひさしに御倚子たてゝ、みかど御なほしにておはします。 ふたまには中宮おはします。 左右のまひ人かさねのよそひして、月華門にあつまれり。 がくの行事しげみち、すゑなりの中將ぞうけ給はりてせられける。 はるのしらべ、まづはふきいだして、はるのにはといふがくをなんそうしてまゐりける。 みかどいでさせ給ひて、關白殿右のおとゞよりはじめて、すのこにさぶらひ給ふ。 宰相はれいの事なれば、なかはしにおはしけり。 しかるべきまひども、ふえのしなど賞かぶりける中に、なりみちの宰相中將とておはしける、わざとはるかに北のかたにめぐりて、もとまさといふ笛の師かぶり給はれる、よろこびいひにおはしたりけるこそ、いとやさしく侍りけれ。 百首哥など人々によませさせ給ひけり。 又撰集などせさせ給ふときこえ侍りき。 かばかりこのませ給ふに、哥合はべらざりけるこそ、くちをしく侍りしか。 ふるき事どもおこさんの御心ざしはおはしましながら、よを心にもえまかせさせ給はで、院の御まゝなれば、やすき事もかなはせ給はずなんおはしましける。 哥よませ給ふにつけて、あさゆふさぶらはれける修理権太夫ゆきむね、三位せさせんとて、徳大寺のおとゞにつけて院にみせまゐらせよとて、 我宿に一本たてるおきな草哀といかゞ思はざるべき とぞよませ給ひけるときこえ侍りし。 みかどの御やしなひご、れいなきこととて、皇太弟とぞ宣命にはのせられ侍りける。 その御さたに、けふのぶべしなど内より申させ給ひけれど、事はじまりて、いかでかとてなんその日侍りけるとぞきこえ侍りし。 いまのうちには、職事殿上人などおほせくだされ、あるべきことゞもありて、新院は九日ぞ三条西洞門へわたらせ給ふ。 太上天皇の御尊号たてまつらせ給ふ。 かくてとしへさせ給ふほどに、このゑのみかどかくれさせ給ひぬれば、いまの一院の、いま宮とておはします、位につかせ給ひにき。 さるほどに鳥羽院御心ちおもらせ給ひて、七月二日うせさせ給ひぬれば、みかどの御代にてさだまりぬるを、院のおはしましゝをりより、きこゆる事どもありて、みかきのうち、きびしくかためられけるに、さがのみかどの御とき、あにの院とあらそはせ給ひけるやうなる事いできて、新院御ぐしおろさせ給ひて、御おとゞの仁和寺の宮におはしましければ、しばしはさやうにきこえしほどに、やへのしほぢをわけて、とをくおはしまして、かんだちめ殿上人の、ひとりまゐるもなく、一宮の御はゝの兵衛佐ときこえ給ひし、さらぬ女房ひとりふたりばかりにて、男もなき御たびずみも、いかに心ぼそくあさゆふにおぼしめしけん。 したしくめしつかひし人どもみなうら<にみやこをわかれて、おのづからとゞまれるも、世のおそろしさに、あからさまにも、まゐる事だにもなかるべし。 皇嘉門院よりも、仁和寺の宮よりも、しのびたる御とぶらひなどばかりやありけん。 たとふるかたなき御すまひなり。 あさましきひなのあたりに、九年ばかりおはしまして、うき世のあまりにや、御やまひもとしにそへてをもらせ給ひければ宮こへかへらせ給ふこともなくて、秋八月廿六日に、〔かの國にてうせさせ給ひにけりとなむ。 しろみねのひじりといひて、〕かの國にながされたるあざりとて、むかしありけるが、この院にむまれさせ給へるとぞ、人の夢にみえたりける。 そのはかのかたはらに、よきかたにあたりたりければとてぞおはしますなる。 いとかなしく、心ちよきだに、あはれなるべきみちを人もなくて、いかばかりの御心ちせさせ給ひけん。 このみかどの御母ぎさき、十九と申しし御とし此の帝をうみたてまつらせ給ひて皇子位につかせ給ひてのち、后の位廿三の御とし后の位をさらせ給ひて、待賢門院と申す。 おなじ國母と申せど、白河院の御むすめとてやしなひ申させ給ひければ、ならびなくさかえさせ給ひき。 まして院号のはじめなどは、いかばかりか、もてなしきこえたまひし。 おほくの御子うみたてまつらせ給ひ、今の一院の御母におはしませば、いとやんごとなくおはします。 仁和寺に御堂つくらせ給ひ、こがねの一切經などかゝせ給ひて、康治二年御ぐしおろさせ給ふ。 御名は眞如法とつかせ給ふとぞ。 久安元年八月廿二日かくれさせ給ひにき。 又のとしの正月に、かの院の女房の中より、たかくらのうちおとゞのもとへ、 みな人はけふのみゆきといそぎつゝ消にし跡はとふ人もなし あきなかの伯のむすめ、ほりかはのきみの哥とぞきこえ侍りし。 この女院の御母は、但馬守たかゝたの弁の女なり。 従二位光子とて、ならびなく、よにあひたまへりし人におはすめり。 〔すべらぎの下〕第三 20 男山 とばのみかど位の御ときより、まゐりたまへりしきさきは、御子たちあまたうみたてまつりて、くらゐおりさせ給ひしかば、女院と申しておはしましき。 いとやむ事なききはにはあらねど、中納言にて御おやはおはしけるに、母きたのかたは、源氏のほりかわのおとゞのむすめにおはしけるうへに、たぐひなくかしづきゝこえて、たゞ人にはえゆるさじと、もてあつかはれけるほどに、中納言かくれ侍りにけるのち、院にもとよりおぼしめしつゝやすぐし給ひけん。 あね宮をば、宇治のきさき、御子おはしまさぬにあはせて、おほきおとゞの御心とゞむとにや。 このみやにむかへ申させたまひて、やしなひ申させ給ふ。 のちにむまれさせ給へるをば、院にみづからやしなひたてまつり給ふ。 御母ぎさき、しばしはあの御かたなど申して、おはしましし程に、三位のくらゐそへさせ給ひて、この御事をのみたぐひなき御もてなしなれば、よの人ならびなくみたてまつれるに、又たゞならぬ事おはしませば、このたびさへ、うちつゞかせ給はんも、くちをしきうへに、おぼしめしはからふ事やあらん。 をとこ宮うみたてまつり給ふべき御いのり、いひしらずいとなませ給ふ。 いはし水に般若會などいひて、山三井寺などの、やんごとなきちゑふかき僧どもまいりゐて、日ごろ法文のそこをきはめて、おこなはせ給ふ。 帥中納言といふ人、御うしろみにて、みやこの事も大事なれど、かの宮に日ごろこもりて御かはりにや。 日ごとに、そくたいにて御かうもよほし、おこなはれけるを、われも<とみのりときて、いのり申しけるなかに、忠春とかきこえしが、鼇海の西にはうみのみや、御産平安たのみあり。 鳳城の南にはをとこ山、皇子誕生うたがひなし。 と申したりけるとなんきゝ侍りし。 ならの濟円といひし僧都、さきの日、この心をしたりけるに、めでたしなどきこえけるを、山に忠春巳講ときこえしが、のちの日、かやうにむすびなしていひける。 はての日は、かんだちめひきつれまゐりて、御ふせとり、御かぐらなどせらる。 かんだちめ歌もふえも、おの<心をつくして、清暑堂のやうなり。 かやうにいひしらぬ御いのりども有りける程に、保延五年にや侍りけん。 つちのとのひつじのとし五月十八日、よになくけうらなる玉のをのこ宮、うまれさせ給ひぬれば、院のうちさらなり。 世の中もうごくまで、よろこびあへるさま、いはんかたなし。 ひつじの時ばかりなれば、御いのりの僧、御前にまゐりゐたるに、おの<御むまひき、女房のよそひなどたまはす。 御うぶやしなひ七夜など関白殿よりはじめてまゐり給ひて、御あそびどもあり。 御ゆどのみなみおもてにしつらひて、つるうち五位六位しらがさねにたちならべる。 男宮におはしませば、文よみ式部大輔左中弁などいふはかせ、大外記とかいふもの、みやう經はかせとて、つるばみのころも、あけのころも、袖をつらねて、うちかはりつゝ、日ごとによむけしき、いはんかたなくめでたし。 皇子の御いのりはじめてせさせ給ひ、なゝせの御はらへに、弁ゆげいのすけ、五位の蔵人など時にあへる七人、御ころもはことりてたつほど、おぼろげのかんだちめなども、あふべくもなかりけり。 御めのとには、二条の関白の御子に、宰相中将といひし人のむすめ、くらのかみをとこにてあれば、えらばれてやしなひ奉るなるべし。 日にそへて、めづらかなるちごの、御かたちなるにつけても、いかでかすがやかに、みこの宮にも、くらゐにもとおぼせども、きさきばらに、みこたちあまたおはしますを、さしこゆべきならねば、おもほしめしわづらふほどに、たうだいの御子になし奉り給ふ事いできて、みな月の廿六日、皇子内へいらせ給ふ。 御ともにかんだちめ、殿上人えらびて、つねのみゆきにも心こと也。 宮このうち、車もさりあへず、みるもの所もなき程になんはべりける。 うちへいらせ給ふに、てぐるまの宣旨など、蔵人おほせつゝ、すでにまゐらせ給ひて、中宮を御母にて、まだ御子もうませ給はねば、めづらしくやしなひ申させたまふ。 昭陽舎に御しつらひありて、わたらせ給ふ。 大夫には堀川の大納言なり給ふ。 御母のをぢにおはして、ことにえらばせ給へる也。 御母女御のせんじかぶり給ふ。 ねがひの御まゝなる。 をのこ宮のうれしさも、いふばかりなきうへに、御みめも御心ばへも、いとうつくしう、この世のものにもあらず。 さかしくおとなしくて、ひの御ざにことあるごとに、大夫のいだきまゐらせ給へるにも、なきなどし給はず。 かくて同七年十二月七日、御とし三にて、位ゆづり申させ給ふ。 ちかくは五などにてぞ、つかせ給へども、心もとなさにや。 すがやかにゐさせ給ひぬ。 御母女御殿、皇后宮にたゝせ給ふ。 御とし廿五にや。 御即位大嘗會など、心ことに世もなびきてなん。 みえ侍りける。 おとなにならせ給ふまゝに、御有さましかるべきさきのよの御ちぎりとみえ給へり。 摂政殿の御おとゝの左のおとゞ、女御たてまつらせ給ひて、皇后宮にたち給ひぬ。 なをたらずやおぼしめすらむ、院より 御さたせさせ給ひて、大宮の大納言のむすめ、関白殿の御子とて、きたの政所の、御せうとのむすめなれば、御子にし奉り給ふ。 とのゝあにおとうとの御なか、よくもおはしまさねば、宮もいとゞへだておほかるに、関白殿は、うちのひとつにて、ひとへに中宮のみのぼらせ給ひて、皇后宮の御かたをば、うとくおはしましける。 かくてとしふるほどに御母ぎさき院号ありて、女院とておはしませば、院のきさきの女院、三人おはします。 摂政殿たぐひなくおもひたてまつらせ給ふ。 みかどもおろかならず、思ひかはさせ給ひて、殿の御おとうとにこめられさせ給ひて、藤氏の長者なども、のかせ給ひたるを、をさなき御心になげかせ給ふ。 とのもみかどのれいならぬ御事を、なげかせ給ふほどに、十七にやおはしましけん。 はつ秋のすゑに、日ごろれいならぬ事おはしまして、かくれさせ給ひぬれば、世の中はやみにまどへる心ちしあへるなるべし。 さりとてあるべきにあらねば、鳥羽院には、つぎのみかどさだめさせ給ふに、まことにや侍りけん。 女院の御事のいたはしさにや。 姫宮を女帝にやあるべきなどさへはからはせ給ふ。 又仁和寺のわか宮をなどさだめさせ給ひけれど、ことわりなくて、ひとひは過て、世の中おぼしめしうらみたる御ありさまなるべし。 たゞおはしまさんだにをしかるべきを、哥をもをさなくおはしますほどに、すぐれてよませ給ひ、法文のかたも、しかるべくてや、おはしましけむ。 心にしめて、經などをもくんによませ給ひて、それにつけても、廿八品の御うたなどよませ給ふ。 おなじ哥と申せども、このころのうちあからさまにもあらず、むかしの上手などのやうに、よませ給ひける、おほくよませ給ひけるなかに、よを心ぼそくや、おぼしめしけむ。 むしのねのよわるのみかは過る秋ををしむ我身ぞまづきえぬべき などよませ給へりける、いとあはれにかなしく、又からはぎなどいふことを、かくしだいにて、 つらからばきしべの松のなみをいたみねにあらはれてなかんとぞおもふ などおほくきゝ侍りしかども、おぼえ侍らず。 位におはします事、十四年なりき。 御わざの夜さねしげといひしが、むかし蔵人にて侍りける、おもひいでゝよめる。 おもひきやむしのねしげきあさぢふに君をみすてゝ帰るべしとは 殿の御子の、大僧正ときこえ給ふ、みかどのうゑさせ給へりけるきくを見給ひて、 よはひをば君にゆづらで白菊のひとりおくれてつゆけかるらん とよまれ侍りけるこそ、あはれに聞え侍りしか。 肥前のごとて侍りけるが、みかどおはしまさでのち、むかし思ひいでけるに、しのばしき事、おほくおぼえければほしあひのころ、ないし土佐が、かのみかどの御事のかなしみにたへで、かしらおろして、こもりゐ侍りけるもとに、いひつかはしける、 天の川ほしあひの空はかはらねどなれし雲ゐの秋ぞ恋しき とよめりけるこそ、いとなさけおほくきゝはべりしか。 このみかどの御母は、贈左大臣長實中納言のむすめ也。 得子皇后宮ときこえ給ふ。 美福門院と申しき。 この御ありさま、さきに申し侍りぬ。 かつはちかき世の事なれば、たれもきかせ給ひけん。 されどもことのつゞきに申し侍るになん。 猶あさましくおはしましゝ、御すぐせぞかし。 御おやもおはせずなりにしかば、いかゞなりたまはんずらむとみえたまひしに、しのびてまゐりはじめたまひて、御子たちうみたてまつり給ひ、女御きさき、みかどの御はゝにおはしますのみにあらず、ゆくすゑまでの御ありさま申すもおろかなり。 はじめかやう院のやしなひ申させ給ひしは、叡子内親王ときこえ給ひしは、うせさせ給ひにき。 そのつぎのひめ宮は暲子内親王八条院と申すなるべし。 院にやがてやしなひ申させ給ひて、あさゆふの御なぐさめなるべし。 をさなくて物などうつくしうおほせられて、わか宮は、春宮になりたり。 われは春宮のあねに成りたりなど、おほせられければ、院はさるつかさやはあるべきなど、けうじ申させ給ひけるなどぞ、聞え侍りし。 この宮、保延三年ひのとのみのとしにうまれさせ給ひて、保元二年六月御ぐしおろさせ給ふ。 御とし廿一とぞきこえさせ給ひし。 應保元年十二月に、院号きこえさせ給ふ。 二条のみかどの御母とて、后にもたゝせ給はねども、女院と申すなるべし。 小一条院の春宮より院と申ししやうなるべし。 このゑのみかどうまれさせ給ひてのち、永治元年十一月にや侍りけん。 かのとのとりのとし、又ひめ宮、六条殿にてうみたてまつり給へりし、二条のみかど、 春宮ときこえさせ給ひし時、保元々年のころ、みやす所ときこえさせ給ひて、みかど位につかせ給ひしかば、平治元年十二月廿六日、中宮ときこえさせ給ひしに、永暦元年八月十九日、御なやみとて、御ぐしおろさせ給ふ。 御とし廿とぞきこえさせ給ひし。 いとたぐひなく侍りき。 應保二年二月十三日、院号ありて、たか松の院と申す。 この宮々の御母、國母にておはしましゝ程に、このゑのみかど、崩れさせ給ひて、なげかせ給ひしに、つぎのとし鳥羽院うせさせ給ひし時は、きたおもてに候ふと候ふ、下臈どもかきたてゝ、院のおはしまさざらんには、たしかに女院に候へとて、わたされ侍りけり。 女院は法皇の御やまひのむしろに、御ぐしおろさせ給へりき。 みたきのひじりとかきこえしは御戒の師ときこえ侍りし、よろづおもほしすてたる御有さまにやあらん。 鳥羽などをも、よろづ女院の御まゝとのみ、さたしおかせ給へれど、のちの世の事を、おもほしおきてさせ給ふうへに、心かしこく何事にものがれさせ給へりき。 姫宮たち、御母おはしましゝをり、みな御ぐしおろさせ給ひてしこそ、いとあはれにきこえ給ひしか。 むかしの仏のやたりの王子、十六の沙弥などの御有さまなるべし。 なかにも、たうじのきさきの宮にて、仏のみちにいらせ給ふ、よにたぐひなし。 このよをつよくおぼしめしとりて、わが御身もひめ宮たちをもすゝめなし奉りて、つとめさせ給ふほどに、わづらはせおはします御事ありて、應保元年十一月廿三日に、かくれさせおはしましにき。 むらさきの雲たちてゐながら、うせさせおはしにけるとぞ、うけ給はりし。 かねて高野の御山にしのびて、御だうたてさせ給ひて、それにぞ御しやりをば、おくりまゐらせ給ひけるとなむ。 かの御ともには、さもあるべき人々、おの<御さはりありて、贈左大臣の末の子ときみちの備後守とかきこえし、のちには法師になられたりけるに、年ごろもちぎりおかせ給へりけるとて、その人ばかりぞ、くびにかけまゐらせて、たゞ一人まゐられければ、わかさのかみにて、たかのぶと申して、むげにとしわかき人、をさなくより、なれつかうまつりて、御なごりのしのびがたさに、ことにのぞみて、したひまゐりけるに、御山へいらせ給ふ日、雪いたくふりければよみ侍りける、 たれか又けふのみゆきをおくりおかんわれさへかくて思ひきえなば 22 大内わたり すぎたるかたの事はとをきもちかきも、みおよびきゝおよぶ程の事申しはべりぬるを、いまのよの事は、はゞかりおほかるうへに、たれかはおぼつかなくおぼされん。 しかはあれども、 事のつゞきなれば、申し侍るになん。 たうじの一院は、鳥羽院の第四のみこ、御はゝ待賢門院、大治二年ひのとのひつじの年、うみ奉り給へりしにや、おはしますらん。 おほくの宮たちの御中に、あめのした、つたへたもたせ給ふ、いとやん事なき御さかえ也。 保延三年十二月御ふみはじめに、式部大輔敦光といひしはかせ、御しとくにはまゐると、うけたまはりしに、かんだちめ殿上人まゐりて、詩などたてまつられける。 ちかくはさる事もきこえ侍らぬに、この御文はじめにしも、しか侍りけん。 よき例にこそ、せられ侍らんずらめ。 同五年十二月廿日、御元服せさせ給ひしは、十三の御としにこそ、おはしましけめ。 久寿二年七月廿五日、位につかせたまふ。 御とし廿九におはしましき。 院のおほせごとにて、内大臣とて、徳大寺のおとゞおはせし、ぐし奉りて、まづ高松殿にわたり給ふ。 夜に入りて、かんだちめ引つれてまゐり給ひて、このゑのだいりへ、わたらせおはします。 十月廿六日御即位ありて、春宮たゝせ給ふ。 大嘗会など有りて、としもかはりぬれば、院の姫宮東宮の女御にまゐり給ふ。 高松の院と申す御事也。 前の斎院とていまの上西門院のおはしましゝを、御母にしたてまつらせ給ふと承し。 はゝぎさき美福門院おはしませば、べちの御はゝなくても、おはしましぬべけれど、いますこし、ねんごろなる御心にや侍りけん。 そのほどの事、申しつくすべくも侍らぬうへに、みな人しらせ給ひたらん。 よををさめさせ給ふ事、むかしにはぢず、記録所とて後三条院の例にて、かみは左大将公教、弁三人、より人などいふもの、あまたおかれはべりて、世の中をしたゝめさせ給ふ。 つぎのとしも、りやうあんにて、三月にぞつかさめしなどせさせ給ふ。 十月におほうちつくり出だしてわたらせ給ふ。 殿舎ども門々などのがくは、関白殿かゝせ給ふ。 宮つくりたるくにのつかさなど七十二人とか、位給はりなどして、なかごろ、かばかりのまつりごとなきを、千世にひとたびすめる水なるべしとぞ、おもひあへる。 うへは、清凉殿、ふぢつぼかけておはします。 女房、弘徽殿、登華殿などにつぼねたび、皇后宮は、こうきでんにおはします。 女房それも、とうくわてんのつゞきに、つぼねして候ふ。 中宮は、承香殿におはします。 その女房、麗景殿につぼねあり。 うちのおとゞの奉り給へる女御は、むめつぼにおはす。 その女房、襲芳舎につぼね給はりき。 神なりのつぼ なるべし。 春宮はきりつぼにおはします。 女房はその北舎につぼねしつゝ候ふ。 とうぐのみやす所は、なしつぼなれば女房そのきたにつぼね給はり。 関白殿は宣耀殿を御とのゐどころとせさせ給へり。 ちかき世には、さとだいりにてのみ有りしかば、かやうの御すまひもなきに、いとなまめかしう、めづらかなるべし。 ゆみやなどいふ物、あらはにもちたるものやは有りし。 ものにいれかくしてぞ、おほぢをもありきける。 宮このおほぢをも、かゞみのごとくみがきたてゝ、つゆきたなげなる所もなかりけり。 よのすゑともなく、かくをさまれるよの中、いとめでたかるべし。 23 内宴 かくてとしもかはりぬれば、てうきんの行幸、びふく門院にせさせ給ふ。 まことの御子におはしまさねども、このゑのみかどおはしまさぬよにも、國母になぞらへられておはします。 いとかしこき御さかえ也。 又春宮ぎやうけいありて、姫宮の御母にて、はいし奉り給ふ。 このひめ宮と申すは、八条院と申すなるべし。 廿日ないえんおこなはせ給ふ。 もゝとせあまりたえたる事を、おこなはせ給ふ。 よにめでたし。 題は春生聖化中とかやぞきゝ侍りし。 関白殿など、かんだちめ七人、詩つくりてまゐり給へる。 あをいろのころも、春の御あそびにあひて、めづらかなる色なるべし舞姫十人、れうき殿にて、袖ふるけしき、から女をみる心ちなり。 ことしは、にはかにて、まことの女はかなはねば、わらはをぞ、仁和寺の法親王奉り給ひける。 ふみをば仁寿殿にてぞかうぜられける。 尺八といひて、吹たえたるふえ、このたびはじめてふきいだしたりと、うけ給はりしこそ、いとめづらしき事なれ。 六月すまうのせちおこなはせ給ふ。 これも久しくたえて、としごろおこなはれぬ事也。 十七ばんなん有りける。 ふるき事どもの、あらまほしきを、かくおこなはせ給ふ。 ありがたき事也。 かつはきみの御すぐせもかしこくおはしますうへに、少納言みちのりといひし人、のちは法師になりたりしが、鳥羽院にもあさゆふつかうまつり、この御時には、ひとへに世の中をとりおこなひて、ふるきあとをもおこし、あたらしきまつりごとをもすみやかにはからひおこなひけるとぞきゝ侍る。 このみかど、御めのとはすりのかみもとたかのむすめ、大蔵卿もろたかのむすめなど、二三人とおはしけれど、あるはまかりいで、あるはかくれなどして、きのごとて、御ちの人ときこえしが、をとこにて、かの少納言みちのりのこあまたうみなどして、今は御めのとにて、やそしまのつかひなど、せられければ、ならぶ人もなきにこそ すべらぎのちよのみかげにかくれずばけふ住吉の松をみましや などよまれはべりけるときこえ侍りし。 かの少納言、からの文をもひろくまなび、やまと心もかしこかりけるにや。 天文などいふ事をさへならひて、ざえある人になん侍りける。 よはひさまでふるき人にてもはべらざりしに、今のよにも、いかにめでたくはべらまし。 はねあるものはまへのあしなく、つのあるものは、かみのはなき事にて侍るを、またみちの人ならぬ、天文などのおそれある事にや。 よろづめでたく侍りしに、をしくも侍るかな。 かくて保元三年八月十六日、くらゐ東宮にゆづり申させ給ふ。 位におはします事三年なりき。 おりゐのみかどにて、御心のまゝによをまつりごたんと、おもほしめすなるべし。 せんたいの千手観音のみだうたてさせ給ひて、天竜八部衆など、いきてはたらかすといふばかりこそは侍るなれ。 鳥羽院の千たいの観音だにこそ、ありがたく聞え侍りしに、千手のみだうこそ、おぼろげの事ともきこえ侍らね。 くまのをさへうつして宮こに作らせ給へらんこそ、とをくまゐらぬ人のためも、いかにめづらしく侍らん。 御くまのまうで、年ごとにせさせ給ひ、ひえの山、かうやなどきこえ侍り。 しかるべき御ちぎり成るべし。 いまは御ぐしおろして、ほふわうと申すなれば、いかばかりたふとくおはしますらん。 御子たちも、おの<みちにとりて、ざえおはします事、きこえさせ給へるこそ、たれもしらせ給へる事なれば、なにとかは、さのみ申し侍べきな。 されども事のつゞきを、申し侍りつるなり。 24 をとめの姿 二条のみかどと申すは、この院の一のみこにおはしましき。 このをさなくおはします新院の御おやにおはします。 その御はゝ左大臣有仁のおとゞの御むすめ、まことの御おやは、つねざねの大納言におはす。 このみかど、東宮にたゝせ給ひて、保元三年八月十一日、位につかせ給ひき。 御とし十六とぞ、うけ給はりし。 十二月廿日御即位ありて、 としもかへりにしかば、正月三日、てうきんのみゆきとて、院へ行幸せさせたまふ。 廿一日、ことしも内宴ありて、かんだちめ七人、四位五位十一人、ふみつくりてまゐるときこえ侍りき。 序は永範の式部大輔ぞかゝると、うけたまはりし、題は花下哥舞をもよほすとかや。 法性寺のおとゞ奉りたまへりとぞきこえ侍りし。 舞姫ことしはうるはしき女まひにて、日ごろよりならはされけるとぞ、聞え侍りし。 みちのりのだいとく、楽のみちをさへこのみしりて、さもありぬべき女どもならはしつゝ、かみのやしろなどにもまゐりてまひあへりときゝ侍りしに、ゆかしく見ばやと思ひはべりしかど、おいのくちをしき事は、心にもえまかせ侍らで、さるところどもにえまゐりあはで、みはべらざりき。 この御なかには、さだめて御覧ぜさせ給ひけんかし。 かの入道ことにあひ、よにあさましき事どもいでまうできてぞ内宴もたゞふたとせばかりにて、おこなはれぬ事になりて侍るにこそ。 そのことのとがにやはべらん。 猶もあらまほしき事なれどかつはしたつる人もかたく、久しくたえたる事をおこなはれて、世のさわぎもいできにしかば、時におはぬ事とてはべらぬにや。 春のはじめに詩つくりて、かんだちめよりしもざま、たてまつる事、かしこき御時、もはらあるべき事也。 さることもはべらば、なほいみじかるべし。 二月廿四日、きさきたち給ひき。 鳥羽院の姫宮にて、高松院、東宮の御時より女御におはしましゝ。 中宮にたち給ひて、もとの中宮は院のきさき、公能右大臣の御むすめ、皇后宮にあがり給ふ。 ことしぞ大嘗會ときこえ侍る。 とのゝ御とのゐ所は、猶せんえうでんなり。 いづくもひろらかにて、いとめでたくきこえ侍りしに、そのとしのしはすに、あさましきみだれ、宮このうちにいできにしかば、世もかはりたるやうにて、少納言の大とくもはかなくなり、めでたくきこえしかんだちめ、近衛のすけなどきこえし子ども、あるはながされ、あるは法しになりなどして、いとあさましきころ也。 のぶよりのゑものかみと申ししは、かの大徳がなかあしくて、かゝるあさましきを、しいだせるなりけり。 御おぼえの人にて、いかなるつかさもならんと思ふに、入道いさむるをいぶせく思て、いくさをおこしたりけるを、大とこさとりて、ゆくかたしらずなりにけるに、かのみかきもりも、そのむくひに、おもはぬかばねになむなりにける。 いとあさましとも、ことばもおよばぬ事なるべし。 25 ひなの別れ かのみちのりの大とこのゆかり、うら<にながされたる、みなめしかへして、世みなしづまりて、うちの御まつりごとのまゝなりしに、みかどの御はゝかた、又御めのとなどいひて、大納言經宗、別當惟方などいふ人ふたり、世をなびかせりし程に、院の御ため、御心にたがひて、あまりの事どもやありけん。 ふたりながらうちに候ひける夜、あさましき事どもありて、おもひたゞしきさまにきこえけるを、法性寺のおほきおとゞの、せちに申やはらげ給ひて、おの<ながされにき。 このころはめしかへされて、大臣の大将までなり給へるとこそ、うけたまはれ。 さまであやまたずおはしけるにや。 宰相はうきめみたりとて、かしらおろされにけり。 それもかへりのぼりて、おはするとかや。 はじめのたび、さぬきの院の御ゆかり、おほいどのがたなど、廿四五人ばかりやおはしけん。 よとせばかりありて、かの衛門督とかやきこえし人のみだれに、少納言の大とこの子ども八九人ばかりうら<へときこえ侍りき。 事なほりしかば、その人々はめしかへして、又のとしの春、もろなかの源中納言とかや、衛門督におなじ心なるとて、あづまのかたへおはすときゝ侍りき。 しか有りし程に、そのころかの大納言宰相とふたり、阿波國ながとのかたなどにおはしき。 そのとしの六月にやありけん。 いづものかみ光保、その子光宗などいひし源氏のむさなりし人、つくしへつかはして、はてはいかになりにけるとかや。 その人のむすめとかや、いもうとゝかやなる人の、鳥羽院にときめく人にて、いとほしみのあまりにや。 二条院、東宮とておはしましゝ御めのとにて、くらゐにつかせ給ひにしかば、内侍のすけなどきこえき。 そのゆかりにて、ときにあへりしに、内の御かた人どもの、かく事にあへりしかばにや、又源氏どもの、しかるべくうせんとてにやありけん。 又さばかりの少納言うづまれたるもとめいでたるにやよりけん。 かくぞなりにし。 かやうにて、いまはなに事かはとおぼえしに、かくおはしますべかりけるを、そのをりも又いかゞうたがはせ給ひけん。 皇子の御かた人とおぼしき人、つかさのきなどして、又ながさせ給へりき。 かろきにしたがひて、やう<めしかへされしに、惟方いつとなくおはせしかば、かしこより宮こへ、女房につけてときこえし、 このせにもしづむときけば涙川ながれしよりもぬるゝ袖哉 とぞよまれ侍りける。 このあにゝ、大納言光頼ときこえ給ひし、四十余にてかしらおろして、かつらのさとにこそこもりゐ給ふなれ。 それはかやうの事に、かゝり給ふ事なく、何事もよき人ときゝたてまつりし、いとあはれにありがたき御心なるべし。 ひが事どもや侍らん。 院位につかせ給ひしかば、當今の一の宮にておはしますうへに、びふく門院の御やしなひごにて、このゑのみかどの御かはりともおぼしめして、この宮に位をもゆづらせ給ひつらんと、はからはせ給ひければ、宮こへかへり出させ給ひて、みこの宮、たからのくらゐなど、つたへさせ給へりき。 すゑの世の賢王におはしますとこそ、うけ給はりしか。 御心ばへもふかくおはしまし、うごかしがたくなんおはしましける。 廿三におはしましゝ御とし、御やまひおもくて、わか宮にゆづり申させ給ひて、いくばくもおはしまさゞりき。 よき人は、ときよにもおはせ給はで、久しくもおはしまさゞりけるにや。 末の世、いとくちをしく、みかどの御くらゐは、かぎりある事なれど、あまりよをとくうけとりておはしましけるにや。 又太上天皇てうにのぞませ給ふつねの事なるに、御心にもかなはせ給はず、よのみだれなほさせ給ふほどゝいひながら、あまりにはべりけるにや。 よくおはしましゝみかどとて、よもをしみたてまつるときこえ侍り。 二条院とぞ申すなる。 ふるき后の御名なれど、をとこ女かはらせ給へれば、まがはせ給ふまじきなるべし。 されどおなじ御名はふるくも侍らぬにや。 このみかどの御母は大納言經實の御むすめ、その御はゝ、春宮大夫公実の御むすめなり。 その大納言の中の君は、花ぞのゝ左のおとゞの 北のかたなれば、あねの姫君を子にして、院のいま宮とておはしましゝに、たてまつられたりし也。 このみかど、うみおきたてまつりてうせ給ひにき。 后の位おくられ給ひて、贈皇大后宮懿子と申すなるべし。 御おやの按察大納言も、おほきおとゞ、おほきひとつのくらゐおくられ給へるとなむうけ給はる。 さる事やあらんともしらで、うせ給ひにしかども、やんごとなき位そへられ給へり。 御すゑのかざりなるべし。 はかなくて、きえさせ給ひにし露の御いのちも、后おくられ給へば、いきてなり給へるもむかしがたりになりぬれば、のこり給ふ御名は、おなじ事なるべし。 かのゆづられておはしましゝみかどは、新院と申して、まだをさなくて、太上天皇とておはします也。 二条院の御子、ふたりおはしますなる御中に、第二のみこにおはしますなるべし。 このみかどの御はゝ、徳大寺の左大臣の御むすめと申すめりしも、うるはしき女御などに、まゐり給へるにはあらで、忍びてはつかにまゐり給へるなるべし。 さればたしかにもえうけ給はり侍らず。 みかどたづねいで奉りてのち、中宮やしなひ奉り給ひて、母后におはしますなる。 永万元年六月廿五日、位につかせ給ふ。 御とし二、よをたもたせ給ふ事三年にやおはしますらむ。 一院おぼしめしおきつる事にて、東宮に位をゆづり奉り給ひて、をさなくおはしますに、太上天皇と申すも、いとやんごとなし。 御年二にて、位につかせ給ふ事、これやはじめておはしますらん。 このゑのみかどは、三にてはじめてつかせ給ふと申ししも、はじめたる事とこそうけたまはりしか。 おほくはいつゝなどにてぞつかせ給ふ。 からくにゝは、一なる例もおはしましけりとかきこえき。 このみかどの御母、いまの中宮育子と申して、法性寺の入道、前のおほきおとゞの御むすめにおはします。 さきのかうづけのかみ源のあきとしのむすめの御はらとなん。 みかどのまことの御母の事は、さきに申し侍りぬ。 この中宮、二条のみかどおはしまさねども、いまのこくもとて、なほうちにおはしませば、むかしにかはれる事なくなむ、おはしましけん。 りんじのまつりの四位の陪従に、きよすけときこゆる人、もよほしいだされて、まゐられたりけるに、せんだいの御ときはくものうへ人なりけれど、このよには、まだ殿上もせねば、たちやすらひて、北のぢんのかたにめぐりて、きさきのみやのおはします、ごたちのつぼねまちなどみるに、又殿上のかたざまへまゐりて、はるかに見わたしなどしけるにも、むかしにかはりたる事もなく、なれならひたりし人どものみえければ、きさきの御かたの人に、物など申しけるついでに、ひあふぎの、かたつまををりてかきつけて、ごたちの中に申しいれさせける、 むかしみし雲のかけはしかはらねど我身一のとだえ也けり いとやさしく侍る事ときこえ侍りき。 27 二葉の松 さて後一条院の御ときよりちかきやうに侍れど、十代にみよあまらせ給ひにけり。 今は當今の御事、申すもはゞかりおほく侍れど、つゞきにおはしませば、事あたらしくはべれど、申すになむ。 當代は一院の御子、御母は皇后宮滋子ときこえさせ給ふ。 贈左大臣平時信のおとゞの御むすめ也。 みかど應保元年かのとのみのとしむまれさせ給ひて、仁安元年十月十日春宮にたゝせ給ふ。 御とし五、みかどよりも、二年あにゝておはします。 あに春宮は三条院のれいなるべし。 同三年二月十九日、位につかせ給ふ。 御としやつにおはします。 おなじみかど申せども、よの中へだてある事もなく、一院あめのしたしろしめし、御母ぎさき、さかりにおはしませば、いとめでたき御さかえなるべし。 しかあれば、ふたばの松のちよのはじめ、いとめでたくつたへうけたまはり侍りき。 御母ぎさきこのみかどうみ奉り給ひて、五六年ばかりにや。 女御ときこえさせ給ひて、仁安三年と申ししやよひのころ、皇大后宮にたゝせ給へり。 いまは女院と申すとぞ。 いとめでたき御さかえにおはします。 おほくの、女御きさきおはしますに、みかどうみ奉り給ふべかりける御すぐせ、申すもおろかなり。 さきのみかどの御時も、この御世にも、御さんの御いのりとのみきこえて、まことにはあらぬ事のみきこえ給ひしに、いとありがたくきこえさせ給ふ。

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